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Masao Kuwabara
桑原真夫
くわばらまさお
1977年よりほぼ毎年スペインを訪問。1984年から1989年まで銀行員としてマドリッドに駐在。ヨーロッパ在住約14年。 スペイン関係主要著書;『斜めから見たスペイン』(山手書房新社)、『それぞれのスペイン』[共編著](山手書房新社)、『スペインの素顔』(河出書房新社)、『スペインとは?』(沖積舎)、『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)、『我が母へ』(沖積舎)、『ガリシアの歌・上巻』(行路社)、『花へ』[写真詩集](山手書房新社)他多数。

マドリッドの夜(2)

 去る五月三日、鎌倉市のカドキホールで一人のジャーナリストの告別式が執り行われた。故人は山本一郎と言い、享年七十六。東大を卒業して時事通信社に入社し長く海外に勤務し、外信部長を最後に大学の教壇に職場を変え定年まで教職にあった。

 山本氏のペンネームは黒野十一という。日本でいくつか出版されているカジノに関する本のなかで、黒野十一著『カジノ』(新潮社)は古典といってもよいほど傑出している。カジノに魂を奪われた一人のギャンブラーとしてこれほど深くカジノを追求した本は他にない。

 私の著書のなかでも度々名著『カジノ』を紹介させて頂いた。私の近著『スペインとは?』(沖積舎)では、その第八章を次ぎのように締め括っている。

「最後に私の尊敬する黒野十一氏の著書『カジノ』の冒頭部分を抄出して筆を擱きたい。
 “カジノは面白い。人間と人間のまじわりの最高であり最低でもある一つの舞台だ。ときには、頬を思いっきりぶん殴られたような気分、泣きたくなるように情けない気分で、ここのドアを出る。あるときはこれ以上なく自信にあふれ、傲慢な気分でここを立ち去る。だがいずれにしても、ここのドアを押して入るときには、胸が高鳴り、無限の可能性の前に立たされているような気分になれる。
 カジノの入口に立つと私は幻影を見る・・・・・・・・・”」

 このように日ごろその著書を通し尊敬していた黒野氏には一度お会いできればと考えていた。4月30日の新聞の死亡欄を見ていて、山本一郎氏=元時事通信社外信部長、29日、食道がんのため死去、76歳とあった。そのまま見過ごすところであったが、何だか気になってその記事を最後まで目を通した。するとこの方の著書として『カジノ』(黒野十一)とあるではないか。

 私はさっそく上京の準備をし、当日鎌倉での告別式に(一度もお会いしたこともない方なのに)参列させて頂いた。いつか、世界のカジノについて、ルーレットについて、それらの魔性についてお話できればと希望していたのだが、その機会は永遠に失われてしまった。

 マドリッドの夜で最も魅惑的なものの一つにカジノがある。カジノで身を持ち崩し、自己破産し一家離散という話はどこにでもある話である。夕方4時頃より明朝の5時まで開いているカジノは正に地獄の一丁目である。これほど人間の弱味をついたゲームは他にない。カジノ模様をみていると実に嘆かわしい。人間とはこんなにも弱く、脆い。人前では人間はいかに見栄を張る生き物であることか。カジノが密室の誰も見ていない状態で行われるゲームであればこれほど自己を見失うこともあるまい。周りに人がいるからこそ(誰もその人を注目しているわけではないのだが)自分の賭けが負けてしまうと羞恥心と悔しさで熱くなってしまう。その人には見えていない周囲の人々に対し、「いや自分がこんなに弱いわけがない。今度こそ自分の強さをみせつけるぞ」と心の中で叫んでいる。二度目もまた負ける。もっと熱くなる。三度目こそは取り返す気持ちでもっと高額を賭ける。次第に倍倍ゲームになってゆく。もうこの時点では自分の財力など関係なし。そして誰もその人を止めることはできない。その羞恥心を挽回するために狂気の中にいるのである。あるときマドリッドのカジノの中で夫婦が取っ組み合いの喧嘩をしていた。二人の会話を聞いていると、旦那がカジノでスッテンテンになったらしい。旦那はその場でカードで借り入れまでして更に注ぎ込もうとしているのを、奥さんが
「この恥知らず!」と怒鳴りつけていた。

 マドリッドの市内には、他のヨーロッパ大陸の首都と同様カジノは禁止されており正式なカジノは存在しない。これはナポレオン時代、ナポレオンが征服した国々にギャンブル弾圧政策をとったからである。従って、ナポレオンに征服されなかったイギリスでは首都であるロンドン市内にはいたるところに大小のカジノがある。但し、ナポレオンのギャンブル弾圧政策は、税収のことを考えて途中で骨抜きになったようであるが。

 さて、私がマドリッド郊外にある「カジノ・グラン・マドリッド」を最初に訪問したのは、1985年の3月であったと記憶している。部下のE君と二人で、スペイン広場から出発するカジノの手配したバスに乗ってオズオズと出かけた。バスは往復ともに只である(只より高いものはないという典型ではある!)。最初は数万円ほどのペセタを懐に入れて出かけた。勿論、全部すってしまえば潔くそのままバスに乗って帰ってきた。そのころはまだカジノの中でカードで現金が引き出せることも知らなかった。とにかくマドリッドへ帰る最終のバスが11時過ぎ出発であったので、勝っても負けても数万円くらいの動きで満足して帰宅したものである。

 そのうち、マイカーで行ったほうが便利であることに気がついた。何時まででもおれるし、勝った場合は勝利の祝いに高級レストランに直行したり、あるいは女性のいるバーに顔を出すことも自由であった。それからはE君と二人でほとんど毎日のようにカジノ通いが始まった。当初、自分の会社のスペイン人社員から「スペインでは銀行員の賭博は禁じられている」と脅かされたが、どうもそのようなチェックもなく、しかも一日入場券のみならず一ヶ月から三ヶ月まで通しの入場券まで手に入る。

 私の賭け金も当初の数万円から段々に増えて、ゼロが一つ多くなった。負けるときは20~30万円、勝つときも20~30万円という単位になっていった。途中でこのままでは勝ったか負けたか分からなくなるので一ヶ月毎に収支表を作成することにした。一年間の統計をとってみるとだいたい収支ゼロであった。ということは賭博としては大健闘していることになる。

 私はカジノでは主にルーレットをやったが、少しやってみればこの遊びは賭ける側が100%負けるゲームであることに誰でも気付くはずである。数字は1から36までありどれかの数字に当たれば36倍の配当がくる。しかしミソはゼロである。ゼロが入った場合は1から36に賭けた賭け金は当然全部胴元に持って行かれるが、白や黒、或いは奇数や偶数に賭けていた場合(いずれも当たれば配当は1倍であるが)、賭け金の半分を持っていかれる。ということは統計的に同じ回数だけ1から36そして0が出る訳だから、やればやるほど0の回数も増えてゆき着実に寺銭を取られてゆく。賭ける側の手持ち金は有限であるので当然どこかでドボンとなってしまう。

 ただ、短期的に見ればディーラーが大負けをするときもあるが、そこは監視役が見張っていてツキに見放されたディーラーはすぐに新しいディーラーに交代させられる。新米のディーラーではたまにそんなこともあるが、ベテランのディーラーで客に負けるケースは殆ど見たことがない。そこで私は「カジノに勝つための10カ条」を編むことにした。この10カ条がクリアーできたときは100%勝つ。その秘伝を次ぎに紹介いたしたい。

(つづく)

桑原真夫