Autor del artículo

Saeru Matsuda
松田 冴
まつだ さえる
1983年5月19日生まれ。 宮崎県出身。1992年にFCバルセロナが来日した際にファンになり、2007年には念願のソシオ入会を果たす。京都外国語大学大学院でFCバルセロナをカタルーニャ民族主義の側面から研究中。

スタイルとメンタリティの結実

2010年8月

 スペインは疑いようもなく世界有数のフットボール大国の一つに数えられるが、これまでワールドカップの優勝には縁がなかった。しかしながらクラブレベルの大会に目を向けると、2009年に前人未到の6冠達成という金字塔を打ち立てたFCバルセロナを筆頭に欧州の舞台で好成績を収めるクラブがスペインにはひしめいており、それに比べると代表チームの成績はあまりにも凡庸すぎるものである。今回のワールドカップでスペイン代表の監督を務めたデル・ボスケ氏は、かつてスペインがワールドカップで勝てなかった理由を「歴史にある」と言及したことがある。スペインは複数の民族からなる複合国家であり、1939年から36年間続いたフランコ独裁体制下では、カタルーニャ語やバスク語、ガリシア語といった民族固有の言語は公の場での使用が禁止され、支配者の言語であるスペイン語が強要された。支配される側の民族は国家に対する敵対意識を強くしていった。その敵対意識はクラブ間の強烈な対抗意識へと昇華され、クラブレベルで多くの栄光をもたらしたと考えられる。複合国家スペインにおけるクラブチームの栄光と代表チームの凡庸さは、光と影であった。かつてスペイン代表には様々な民族意識や思想、対立が存在し、チームとして確固たるフットボールのスタイルを持つことができなかったのである。加えて、ナポレオンによって植えつけられた“ピレネーの向こう側”というコンプレックスにより国際舞台におけるメンタルの弱さを度々露呈していた。クラブにもたらされた栄光もスペイン人選手主導ではなく、クバーラやディ・ステファーノなど外国人選手の活躍によるところが大きく、スペイン人は彼らに傅く下部のようであった。

 しかし1988年にクライフがスペインにやってくると状況が変化する。クライフ曰く「フットボールの基本はテクニックでとボールコントロールであり、それさえあればボールを支配できる。ボールを支配できれば、自分たちのやりたいことができる。相手のやり方に合わせる必要はない」。クライフは常に主導権を握り攻め続けるというスタイルを貫いたが、それは徐々にバルセロナに浸透し、ファンも魅力的なフットボールに誇りを持つようになっていった。無謀とも呼べるクライフの攻撃一辺倒のスタイルはバルサの哲学となり、守備重視のスタイルが世界のトレンドとなった90年代後半でも変わることはなく、それが結果的には仇となり欧州の舞台で毎シーズンのように惨敗していた。しかし、その後ライカールトやグァルディオラによってもたらされた勝者のメンタリティと柔軟性によって“美しく勝つ”というスタイルが確立された。特にグァルディオラは現役時代にバルサだけでなく、イタリア、カタール、メキシコでもプレーしており、強烈なクライフイズムをバックグラウンドに持ちつつも様々な国の多様なフットボール観に触れ視野を広げてきた。監督として強烈なバルサスタイルを押し出しつつも状況に応じた戦術変更を行う柔軟性も持ち合わせており、冒頭にも述べたように2009年に6冠を達成した。今回のスペイン代表には、そのバルサから8名が選ばれていた。決勝のスタメンには11人中7人がバルサの選手で占められ、スペイン代表はバルサそのものであった。今大会スペイン代表があげた8ゴール中7ゴールがバルサの選手によってもたらされた。加えて、バルサ以外から選ばれた選手を見ても所属しているクラブにおいてリーダーシップを発揮しており、外国人に牛耳られていた時代は遠い昔のことである。チームとして確固たるスタイルを持ちえたのと同時にスペイン人選手の勝利に対するメンタリティが確実に上がった結果辿り着くことができた戴冠ではないかと考えられる。

松田 冴