Autor del artículo

Kohya Nakase
中瀬 航也 / なかせこうや
971年 東京生まれ
日本におけるシェリーの第一人者。
1986年にスペイン初渡航して以来ヘレスを中心に約20回渡航。

ゴンサレス・ビアス社、オスボルネ社で「ヴェネンシアドール」の実技試験に合格。
ヘレスの原産地呼称統制委員会から 「ヴェネンシアドール・デ・メリト」の称号を授与。
他にも5Jで有名なSRC社認定の 「コルタドール・デ・ハモン・イベリコ」でもあり、ボデガやアンダルシア州政府、EU、輸入業者などの依頼で多くのプロモーションをこなしている。

著書「シェリー酒:知られざるスペインワイン」PHPエル新書他、共著、酒類関係の雑誌等での執筆(投稿)多数。
また「神と酒の文化史:仮題」を執筆中。

現在は銀座のスペイン・バル 「Ollaria」に籍を置く。
http://www.ollaria.com

Vino de Jerez(Sherry) ヴィノ・デ・ヘレス(シェリー)

2010年8月

 フラメンコ留学された方ならいざ知らず、スペインに行ったけれど、一度も飲まなかったと言われることが多いのが、ヘレスのワイン、そうシェリーだ。(以後シェリーとする)

 シェリーの故郷はスペインの南アンダルシア、セヴィージャSevillaの南ヘレスJerez de la Fronteraとその周辺だ(以後ヘレスとする)。ヘレスはヨーロッパでは、サーキットや馬術学校の街としても有名だが、日本ではまだ知られていない街の一つだろう。もちろん、フランメンコ・ファンには外せないブレリアで知られる街だ。

 そもそもシェリーという名が、日本人にスペインを連想させない要因となっているのは確かだ。それもそのはず、シェリーSherryというのは英語であるし、スペイン語の辞書にはShで始まる単語は上海ぐらいしか無い。事実、フランコ時代のゲルニカ爆撃以降の暗黒の10年を除けば、シェリーの最大消費国は他ならぬ英国である。そのせいか、歌劇カルメンに登場し、古くからスペインで親しまれてきたマンサニージャManzanilla以外は、今でも国内消費より輸出が主である。しかも、渡航・留学された方が肌で感じる通り、サッカーだけでなく、スペインは地元意識が強いので、シェリーが主に飲まれるのは、生産地があるアンダルシアの西側だ。

 確かに、バルセローナのバルでシェリーを頼むなどというのは、札幌に来た外人が沖縄の泡盛を頼むが如く一笑にふされる。が、一方で、スペイン皇室行事にも欠かせないワインとなっている他、今は、スペインはおろか、世界を代表するレストランとなったカタルーニャのアルブイィ(エルブジ)のシェフ、フェラン氏もシェリー好きで知られるのもまた事実である。

 ここまでお読みの方でも、既に「シェリーってワインなの?」とか、「あれっマンサニージャってお茶とか、オリーブの品種じゃないの?」と思われるスペイン・ファンも多いことだろう。まぁ無理もない。

 ヘレスはアルフォンソ十世によってムスリムから1264年に奪還され、その後、英仏間の百年戦争の影響によって英国では必要不可欠なワインとなった。簡単に言えばボルドー・ワイン(実際はボルドーの北部ロシェル港周辺)の代わりとして発達したわけだが、ボルドー・ワインと言っても当時は今や代名詞となった赤ワインではなく、白ワインが主流だったので、その白ワインに代わってスペインの白ワインであったヘレス・ワインが求められたのだ。

 他国に先んじるが如く、スペインでは12世紀頃にルネサンスが起こった。これは、明らかにアラブ文化の影響なのだが、彼らと縁遠いと思われる酒の世界でも、彼らの技術は大きな影響を与えた。それは蒸留という技術である。この場合は、平たく言えば、ブランデーを造る技術である。奇しくもこの技術はその後のキリスト教世界の中でそれをどう扱うかが、大きな問題に発展していくのだが、少なくともこの頃のスペインの哲学者(化学者)は、それを積極的に取り入れ、それまで長持ちしなかったワインに、人の手で永遠の命を与える技術を生み出した。そして、それがタブー視されるまで、密かに不老長寿の薬として王族などの間で飲まれるようになる。
 こうして大航海時代を準備するが如く、日持ちする保存性のあるワインが誕生したのである。シェリーがいつブランデーを足すようになったかは定かではないが、少なくとも15世紀以前には行われていたようだ。

 シェリーには、まず大きく辛口Secoと甘口Dulceという2種類に大別される。この辛口はパロミノPalominoという白葡萄を用いて造られるが、この中にも熟成地の違いからフィノFinoまたはマンサニージャManzanillaという特殊な酵母の影響を受けて造られる透明なタイプと、その酵母の影響が無いオロロソOlorosoという空気と接しながら熟成させるタイプに分けられる。さらに、透明なタイプFino y Manzanillaは、その特殊な酵母を無くす/無くなる事によってアモンティジャードAmontilladoと呼ばれるオロロソによく似たタイプへと変貌する。一方で甘口はペドロ・ヒメネスPedro Ximenezや、モスカテルMoscatelという葡萄を用いるが、これはゼウスにも象徴される太陽によって乾し葡萄にされ、世界で最も甘いワインへと姿を変える。その甘さは、時として甘口ワインで知られるフランスの貴腐ワインの3倍以上にも及ぶ。ちなみに、これら辛口と甘口をブレンドしたミディアムMediumやクリームCreamというタイプもあるが、その言葉が示す様に、これらブレンドされたものは元来、英国の影響を受けた英国生まれなので、スペイン国内では滅多に見かけない。

 シェリーが現在のような形になったのは19世紀も中期以降の事。それまでのシェリーは上記に挙げたオロロソやクリームというタイプが主で、食前酒の代名詞となったフィノはまだ無かった。しかも19世紀中頃以降は、フランスを始めとする他国の葡萄樹の虫害(フィロクセラ禍)の影響で、スペイン・ワインであるシェリーの人気は不動のものとなっていた。その一方で、世の中の嗜好も変化しており、19世紀後半から20世紀初頭にかけて辛口のシェリーFinoが英国を中心に脚光を浴びていく。日本が鎖国以降、商品としてのシェリーを知るようになったのもこの時期だった。そしてまた皮肉にも日本の宮中が英国の王室スタイルを模範とした事で、英国経由のフランス料理と共に、スペインのワインとしてのシェリーがもたらされたのだ。そのせいか、英国と日本の宮中には二種類の茶会が存在するそうだ。それぞれの国のお茶のお茶会と、シェリーのお茶会だ。

 現在、日本を含め、世界の大都市でスペイン・バルが増えつつあるが、必ずしもシェリーが無いのは、そういった理由から、これまた仕方がないのかもしれない。しかも、スペイン固有にして唯一無二のワインでありながら、スペイン資本でない会社が多く存在することから、国を挙げて宣伝活動というのが出来ないという、まことに皮肉な現実がいつもかすめる。

 シェリー産業は19世紀後期のピークを最後に、世界大戦で衰退のスピードを速め、フランコ政権時代にかつてない大打撃を被り、1950年代以降に各社の企業努力の甲斐もあって1970年代に再び大きなピークを迎えたが、1986年のスペインのEC加盟と、著しい英国の消費の冷え込みによって、奇しくもその消費・生産は今なお激減している。 

中瀬航也