Autor del artículo

Kunio Kuramoto
蔵本邦夫(くらもと くにお)
関西外国語大学教授。
専攻はスペイン文学および日西比較文学研究。
著書に『滅びと異郷の比較文化』(共著、思文閣出版)、『セルバンテスの世界』(編者、世界思想社)を始めとする日本におけるセルバンテスの受容史や、森鷗外、夏目漱石を始めとする日本作家におけるスペイン文学の影響などを研究した著書・論文多数。

『虞美人草』と『ドン・キホーテ』

2010年8月

 夏目漱石の作品は今では古典の範疇に入る。古典は読まれないものだと言うが、漱石の場合は古典でありながら、今でもなお変わることなく愛読者が多くいる。そして『虞美人草』もその愛読書の一つに入るだろう。しかし『虞美人草』を読むときに、この小説の主人公が、ドン・キホーテを模して創られた人物であると、思い到る読者がどれほどいるだろうか。おそらくそのことを知る人は少ないだろう。ドン・キホーテは脈々と生き続きている。その事は創刊号で世路蛮太郎氏も紹介された。私は今もなお読み継がれている漱石の作品が、『ドン・キホーテ』とどのような関わりを持つのかを読者に知っていただきたい。というのは、一つの文学作品も違った見方をすれば、読み方も、捉え方も変わるからだ。読み方に幅ができると言い換えても良いかもしれない。だから『虞美人草』を初めて読む、また読み返す時に、いったいドン・キホーテは誰なのか、それが如何に生かされているのか、そんな視点で読んでもいただきたい。

 漱石は明治30年代にイギリス留学を果たす。留学中に漱石は気が狂ったと言われたが、実際には英文学研究に行き詰まりを覚え、視点を変えて、文学そのものを見極めようとしていた。そのためにロンドンの下宿に閉じこもって読書三昧に耽った。哲学や心理学の書物を始め、数々の科学書を読みながら、また英文学に留まらず、幅広く世界文学を読み漁った。それは文学をより大きな視点で捉えようとしていたからで、そしてまた世界文学の中で、英文学の位置づけを見極めようとしていたからだ。そして漱石が読んだ世界文学の中に、『ドン・キホーテ』があった。漱石は2種類の英訳書(訳者が異なる)を購入したことを日記に書いている。2種類とも読まずに、もっぱら英国の小説家スモーレットの翻訳になる方しか読んではいないが、そこにはいくつも書き込みがあり、精読したことが窺える。今回は精しく紹介できないが、漱石の蔵書『ドン・キホーテ』を調査した結果、漱石の『行人』にも愛読者が多いが、これにも明確な『ドン・キホーテ』の影響があることがわかる。では『虞美人草』ではいったい誰がドン・キホーテなのかというと、宗近一である。宗近は法学部出身で28歳。外交官試験に2度目で合格しロンドンに赴任することになる。小説では「顔も体躯(からだ)も四角に出来上がった男」、「大の呑気屋(のんきや)」、「鉄砲玉」と評され、「行為(アクション)さ。本を読むばかりで何にも出来ないのは、皿にもつた牡丹餅を、画にかいた牡丹餅とまちがへて、おとなしく眺めているのと同様だ」と言い放つ。しかしこの小説にはもう一人主人公がいる。それが甲野欽吾である。実はこの人物もある小説の登場人物を模して創った。それがハムレットである。

 これに関して、漱石の弟子である小宮豊隆は、漱石が好んで「コントラスト」の手法を用いたと指摘している。だから登場人物のそれぞれが対照的になっており、また場面の排列までそうなっているのだと言う。小宮の言葉を借りると「生に対する二人の態度は、かなり飛び離れたものとして現はれる。甲野さんは、ハムレット型の人間である。宗近さんは、ドン・キホーテ型の人間である。(中略)ハムレット型の人間とドン・キホーテ型の人間とを ― 頭で考へてばかりいて、なかなか実行に移る事のできない人間と、考へているひまがあれば何度でも実行ができるとして、自分の善いと信じる事をどしどし実行に移して行く人間とを対照させ、しかもその対照を、『真面目』もしくは『誠実』で、しかと結び合せ(中略)小野さんの救済には、宗近さんが乗り出して行く。宗近さんのアクションの意味は、甲野さんによって鮮明にされる」というように、2人が互いの存在を明確に確認し合うことで、漱石は20世紀に入ったばかりのこの時代の煩悶する若者たちを描いて見せた。それはこの小説に登場する人物が、すべて対照的になっているのだから、小野と宗近だけのことではない。ハムレットとドン・キホーテを対照することは明治の末から始まった。これは1860年に行われたロシアの作家ツルゲーネの講演「ハムレットとドン・キホーテ」が最初である。小宮は、漱石はこれを読まなかったと言うが。これを読んだとする評家もいる。いずれにせよ明確な事実は、漱石が両方の登場人物を良く知っていたのだから、この2人を対照的に取り扱うことは容易であったことだ。小説の最初の比叡山に登る場面から、小野(ハムレット)と宗近(ドン・キホーテ)の対照的な場面を拾ってみる。

「頂上まで一里半だ」
「どこから」
「どこからか分るものか、たかの知れた京都の山だ」
 痩(や)せた男は何にも言わずににやにやと笑った。四角な男は威勢よく喋舌(しゃべ)り続ける。
「君のように計画ばかりしていっこう実行しない男と旅行すると、どこもかしこも見(み)損(そこ)なってしまう。連(つれ)こそいい迷惑だ」
「君のようにむちゃに飛び出されても相手は迷惑だ。第一、人を連れ出して置きながら、どこから登って、どこを見て、どこへ下りるのか見当(けんとう)がつかんじゃないか」
「なんの、これしきの事に計画も何もいったものか、たかがあの山じゃないか」

 初めて『虞美人草』を読む方も、また読み返す方も、2人の主人公にハムレットとドン・キホーテを重ね合わせて読んでもらいたい。そしてまたさらに『ハムレット』や 『ドン・キホーテ』も読む、また読み返してみるのも良い。

蔵本邦夫
関西外国語大学教授