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Autor del artículo

Shizuka Shimoyama
下山静香
桐朋学園大学卒。文化庁派遣芸術家在外研修員としてスペインへ渡り、マドリード、バルセロナで研鑽。スペイン各地に招かれリサイタルを行い、「スペインの心を持つピアニスト」と賞される。ラジオ、テレビ番組に多数出演、これまでに多くのCDや書籍をリリース。現在、スペイン・中南米音楽を含む多彩なレパートリーをもつピアニストとして活発な演奏活動を展開。またクラシック界において、翻訳・執筆・講演・舞踊とマルチにこなすユニークな存在として注目を浴びている。

Official Website サラバンダ
http://www.h7.dion.ne.jp/~shizupf

裸足のピアニスト・下山静香のブログ 
http://ameblo.jp/shizukamusica
ファリャを聴かずしてスペイン音楽を語るなかれ

2010年8月

 近代スペインにおける「三大作曲家」といえば、アルベニス、グラナドス、そしてファリャである。音楽界だけをみても、三大テノール[ドミンゴ、カレーラス、パヴァロッティ]、ドイツ三大B[バッハ、ベートーヴェン、ブラームス]、さらに専門的なところではハンガリー出身ピアニストの三羽烏[シフ、コチシュ、ラーンキ]などなど、ピンをトリオにまとめるというのは何かとバランスがよく、商業的にも成功するらしい(もっとも、日本の芸能界における最近の売り方は、女子十二楽坊からモーニング娘。、AKB48にみられるように怒涛の人海作戦が功を奏しているが)。それなら、と、あるときカジュアルなコンサートのトーク中に「三大静香」を提案してみたことがある。「工藤静香、荒川静香、下山静香・・・あっスミマセン」口にしたらおそれ多くて思わず謝ってしまったのだが、もしかして私は"オチ"担当?・・・政治が熱く混迷する昨今、オチはやはり亀井静香さんに譲ったほうがよかったかしら。

 しょっぱなから脱線したが、長らく不振の時代にあったスペイン音楽をまさに"スペインらしさ"をもって国際舞台に押し上げたのが、冒頭に挙げた3人であることは確かである。なかでもマヌエル・デ・ファリャは、スペイン近代音楽を完成させたといわれ、後続の迷えるスペイン人作曲家たちにも大きな指針を与えた重要な作曲家。「迷える」と言ったのは、音楽創作における"スペイン人としてのアイデンティティ"のバランスとスタンスの取り方において、モダンに向かう時代を生きるファリャ以降の作曲家たちには多少なりとも葛藤があったであろうと思うからだ。そう、スペインの近・現代の音楽を「ファリャ以前」と「ファリャ以後」に分けることができるほど、ファリャの存在は大きいのであった。


Teatro Falla


 マヌエル・デ・ファリャとは、どんな人物だったのか。放浪好きの冒険小僧だったアルベニス、悲劇的な最期を遂げたグラナドスに較べると、ファリャはアネクドタ(いわゆる、ネタになるようなエピソード)に欠ける地味めな人生を送ったのかもしれないが、残された音楽の内容の濃さをみると、その人となりに自然と興味をそそられる。そこから浮かび上がってくるのは、内気で真面目で自分に厳しい"音楽修行僧"の姿。そんな彼が、アンダルシアはカディスの出身だということがまた面白く、「アンダルシア人=ちょっぴりいい加減で、休むことが好き!」というような安易なステレオタイプ的イメージなど持ってはいけないことに、今更ながら気づかされるのだった。

 あるとき、ファリャの故郷をみてみよう、と思い立ってカディスを訪れた。大変古くから重要な港町として栄え、「フラメンコのゆりかご」ともいわれる土地である。季節は春・・・青い空の下で穏やかな海風に吹かれ、フェニキア人がこの町を建設したはるか昔にも想いを馳せながら、ファリャも歩いていただろうこぢんまりとした街を散策。彼の生家やお墓も訪ねて、それまで作品を通してしか付き合ってこなかったファリャという人間に、少しだけ近くなれたような気がしたものだ。

 彼が生まれた当時のカディスは、「スペインの出窓」といわれるほどの国際都市として華やかな時代を謳歌していた。商業貿易はもちろんだが、音楽においても、新世界からはハバネラ(本誌創刊号にて言及)やグアヒーラが届き、スペインのホタやファンダンゴもここから新世界へ伝わっていった。また、国内の他の地方からやってくる人々が持ち込む故郷の歌や踊りがカディスでフラメンコ化し定着していく、という現象も起きるなど、ここはかねてから文化の交差点のひとつだったのである。常に新しい音楽世界を切り開こうとしたファリャの姿勢には、そんな故郷の活気ある空気が影響しているのではないだろうか。しかし、ファリャが20歳のとき父親が破産してしまい、一家はマドリードに移ることになる。この破産の遠因はスペイン国家の植民地経営の失敗であり、一家の経済は苦しくなってしまうわけだが、ファリャが良き時代のカディスをかろうじて体験できたことは不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

 しかしながら、首都マドリードは、作曲を生業と決めた彼の将来を決定づけるほどの大きな出会いをもたらすことになった。そんな出会いは、往々にして突然、そして偶然訪れるものだが、結果的には「必然」なのである。ファリャの場合もそうであった。

 プラド美術館にほど近い古本屋通り、その中の一軒に立ち寄った彼の目にふと留まったのが、半世紀も前に出版された『新音響学』なる本。出版された当時は話題にもならず、古本屋の棚にひっそりと置かれていたこの本に書かれていた内容が、和声に対するファリャの概念を根本から変えてしまったのである。著者のルイ・ルーカスは、まるで100年後の現代音楽を先取りしているようで驚かされるが、きっと先取りしすぎた ―― 逆にいえば、時代のほうがついていけなかったのだろう。よくあることではある。新しい発見や発言に対する世間の評価は、タイミングに左右されるものだが、半世紀も後とはいえファリャがこの本に出会い、それを理解し応用する術(すべ)を持ち合わせていたということもまた、ひとつのタイミングだったのだろう。ルーカスはこの本で、他でもないフラメンコのカンテ・ホンドの素晴らしさにも言及していたのであり、ファリャは故郷カディスとかかわりの深いフラメンコの音楽にもあらためて向き合うことになる。そして、これらの内容に触発されたファリャ独自の和声や音響世界はまず、バレエ音楽『恋は魔術師』に結実する。

 ファリャの作品にも、これまた「三大舞台音楽」といわれるものがある。すなわち、オペラ『はかなき人生』、バレエ『三角帽子』、そしてこの『恋は魔術師』。グラナダのジプシー社会を舞台に描かれる『恋は魔術師』の音楽は、その創造性とオリジナリティにおいて、まぎれもなくファリャの代表作のひとつである。ちなみに、個人的な語感センスに基づく感想かもしれないが、『恋は魔術師』という少々軽そうな(失礼)邦訳にはなんとなく納得しきれないのが正直なところ。原題は『El amor brujo』で、brujoには確かに「魔術師」とか「魔法使い」という意味があるのだが・・・この作品の内容はたとえば『オズの魔法使い』とか『魔法使いの弟子』みたいなファンタジックなものとはまったく違うのである。主役は魔術ではなく、「恋」を軸にした人間の本能や欲望や怨念といったものであるから、もっと"魔的に"しっくりくる訳はないものかなぁ、といつも考えている私である。ちなみに「恋」というやっかいな魔物をテーマに名作を生みだしたファリャだが、当の本人は恋愛とは程遠い生活を送り、敬虔なカトリック信者として生涯独身を通した。「修行僧のよう」といわれる所以の一つである。

 さてこの『恋は魔術師』、音楽を抜粋して編まれた組曲がオーケストラで演奏されることはあっても、なぜかオリジナルのバレエ作品としての舞台の全容を観ることのできる機会はあまり多くない。その代わり、「フラメンコの伝道師」との異名をとる名監督カルロス・サウラの映画『恋は魔術師』によって、物語の大筋やファリャの音楽に触れた方はあろうと思う。(主人公カンデラの新しい恋人を演じるアントニオ・ガデスの抑制された色気には、いつ観てもノックアウト。これぞ永遠のカリスマだ。)この音楽のなかで最も有名な「火祭りの踊り」―― 火の力を借りて悪魔を払う踊りの音楽 ―― もまた、映画というメディアによって広まったといっていいだろう。映画『カーネギーホール』のなかで、スペインを愛したことでも知られる名ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインがこの曲のピアノソロ版を演奏するのだが、両手を頭より高く上げてから打鍵する演奏スタイルがインパクト大(衝撃的?!)なのである。

 この「火祭りの踊り」については、ファリャと親交があったスペイン人ピアニストの未亡人から興味深い話を聞いたことがある。ファリャはルービンシュタインと親しく、その非凡な才能を認めもちろん尊敬もしていたが、スクリーンを通した彼の演奏によってこの曲のイメージが人々に焼き付けられたことには少々当惑していた、というのだ。すなわち、「火祭りの踊り(Danza ritual del fuego)」はritual(儀式的)なのでありfiesta(祭り)ではない、ということが人々に伝わらない、という作曲者としての苦悩があったようだ。しかし、「創造」と「表現」(再創造)の分業が進んで久しい今の時代、作品がひとたび作曲者の手を離れれば、演奏家によって様々な姿となり得ることもまた宿命であろう。とはいえ、やはり忘れてはならないことがある。エンターテインメントとしてのパフォーマンスもむろん大切だが、その創造物=音楽の本質を"自分のやり方で"とことん追究していくことが、再現芸術家たる演奏家の使命なのだと、時折思い出しては襟を正すのだった。

 この話の最後に、彼女は私の目を見てこう言った。「スペイン音楽って、本当はとても真剣なものなのよ。」そしてまた一言、「Muy serio.(とてもシリアスなの)」と繰り返した。この言葉はとても印象的で、"スペイン音楽"の本質のキーワードとして今も私の中にあるが、まさにファリャにあてはまる言葉でもある。

 ファリャの妥協のない真剣さは、作品が世に出たのちも変わらない。生前、彼は3通の遺書をしたためている。正確には、あとの2通については1通の前半と後半であるらしいが、そこには「遺産相続者が生活に困らない限りは、自分の作品の上演は禁じてほしい」との記述がある。これは『恋は魔術師』の脚本家マルティネス・シエラが反対したため実行されることはなかったが、ファリャはそれほどまでに自分に厳しかった。そして死ぬ間際まで、ベルダゲールの叙事詩による大作カンタータ『アトランティダ』の創作に精魂を傾けていたのである。

 最後の遺書が書かれたのは、内戦ぼっ発直後の1936年8月4日。そのわずか2週間後、親友だったロルカが殺される。3年にわたった内戦によって国中の人々が傷つき疲弊し、多くの芸術家たちの運命も変えられてしまった。もしかしたら、すでにカンテ・ホンド・コンクールや人形芝居などで共同作業をしていたロルカとファリャの手によって、後世に残る傑作が生まれ得たかもしれないのだが・・・それはまた、別の物語。

下山静香