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Autor del artículo

Hiroyuki Mahana
真花 宏行
まはな ひろゆき
1962年北九州市若松区生まれ九州産業大学芸術学部を卒業後上京し、デザイナーとして玩具メーカーに就職、その後テーマパークの設計会社を経て、日本映画における特殊美術の第一人者である若狭新一に師事し「孔雀王」などの特撮映画やテレビ、CMの美術の仕事に多数携わる。独立後、黒澤明監督の「八月のラプソディー」で特殊美術を担当する。永井豪監督の映画で東北のロケ地にて同郷である天本氏と知り合い、以後親交を深める。父の病気を機に、北九州市若松区に帰郷し家業の料亭「金鍋」の店主となる。天本氏の父は住友石炭若松支店長時代、当料亭の常連客であった。現在「天本英世記念館をつくる会」会長を勤め、年一回若松にて「天本英世記念若松映画祭」を催している。

スペインを愛した日本人-天本英世

2010年8月

 2003年3月23日、天本英世が77年の生涯を閉じた。
 出演した映画は100本以上、そしてどの映画でも天才的な表現力と個性で、強烈なインパクトを与え続けた。東京では各所で追悼映画祭が催された。郷里の北九州市若松区で行われた追悼公演に来て頂いた市民は延べ2000人余り。多忙の中、東京より多数の俳優仲間が駆けつけてくれた。どの俳優方も彼のような逸材は二度と出てこないだろうと口を揃えて言った。天本英世は俳優として特別な地位を築き上げた。正に無類の俳優、彼を失った映画界、映画ファンの計りしれない悲しみを感じた。私生活では、強い意志と精神を持ち、何者にも左右されないその一貫した生き様をみせ、多くの人々に感動を与えた。又、天本は生涯をかけて、1000点余のスペインの陶磁器を始めとする様々な工芸品、5000点余のフラメンコレコード、ロルカの書籍、芸術書を集めた。我が国におけるスペイン文化の、第一人者でもあった。
 天本英世が遺した物、今ではスペイン本国でも手に入らない、膨大な数のコレクションと、たった一つの遺言だった。

- 遺 言 -
私は、スペインで死にたい。20数回も訪ねて歩きまわった大好きなスペインで死にたい。
スペインの中で一番数多く訪れた、アンダルシアで死にたい。
しかし、もし私が日本で死んでしまったら、せめて私の灰を、グワダルキビール川に撒いてほしい。
アンダルシアの北、ドンキホーテのラマンチャ地方を下り、アンダルシアの入口の東に、カッソーラという小さな美しい町がある。
山に雪を項いた、美しい小さな町がある。
町をさらに山へ入ったところに、グワダルキビール川の最初の一滴という名のついた、水の涌いている地点がある。
もしも私が日本で死んだなら、その源に、私の灰を撒いてほしい。

 天本はなぜそこまでスペインに魅了されたのか?
足繁くスペインに行く天本をみて彼の父は言った「英世はきっとスぺインに恋人がおるんじゃろう。」と。
天本は言った「スぺインに恋人がいるのではないのです。スぺインそのものが私の恋人なのです。」

   天本英世は生と死の狭間を潜り抜け、断末魔の戦争末期を生き延びた。終戦後、東大法学部を中退し俳優になった。天本がスペインに傾倒するきっかけとなったのは、音楽からであった。少年の頃よりクラシック音楽に馴染み、大学に入った辺りでクラシックは卒業した。そして民族音楽へと入っていった。中央アジアから、中南米の民族音楽まで地球を一周し、そしてスペインの民族音楽に出会う。その一つであるフラメンコにに出会った天本は、フラメンコに熱中し、1973年以来、20数回もスペインを訪れている。7カ月半をかけてスペイン全土を巡る長旅も敢行した。そして、フラメンコと深い関係のある詩人フエデリーコ・ガルシア・ロルカの美しい詩に出会い、傾倒していく。民衆に支持され、多彩な才能を開花させながら、フランコ独裁政権により38歳の若さで銃殺された悲運の詩人ロルカ。その命を奪ったスペイン市民戦争にも興味をもつようになる。天本がスペインに通い始めた1973年、スペインはまだフランコ独裁政権下だった。スペインではまだ禁じられていたロルカのレコードや詩の本を探して歩いた。スペイン国内でロルカの詩はタブーとされていた時代、天本は、日本でロルカの詩を朗読し続けた。それは、ロルカを殺したフランコ独裁政権への執念と、自らの不条理な戦争体験を重ていた。ロルカの詩を通して、死の裏にある生の素晴らしさ、今日を精一杯生きる大切さを伝えようとした。フラメンコから感じられる情熱は「死」に対する情熱だ。そして「死」に対する情熱は、そのまま「生」に対する情熱だ。激しい「死」の裏には、必ず激しい「生」がある。天本がフラメンコに惹かれた理由はここにある。
 スペインといえば闘牛の国といわれるが、天本は闘牛についてもこのように言っている。「スペイン人は、牛と人間との死を賭けた戦い、「死の儀式」を見にくる。スペイン人は「死」を見て「生」を実感する。スペイン人は、常に「死」と「生」を身近に感じて生きている。人生というのは、はかないものである。だから今日を精いっぱい楽しんで生きようとする。日本人は何年も、何十年先でも、自分は生きていると思っている。長生きこそが人生の目標となり、ボケてまで長生きをしようとする。今日がおろそかになっている。それは、たんに生きているだけではないか。日本人は自分はなぜ生きるのかという問いかけをしない。それは哲学がないからだ。なんのために生きるか。生きているとは何か。個性はないのに、自己の存在は認めている。けれど他人の存在を認めていない。だから最近では簡単に人を殺す。親も教師も何を教えていいかわからない。スペイン人は個性が強いが、同時に人も認めていて非常に寛容だ。日本人にはそうした寛容さもなければ、人間に対して無関心だ。スペインには、はかない人生だからこそ、今日を懸命生きようという思想がある。」と。

 テレビ番組、「笑っていいとも」に出演していた時、司会のタモリに72歳という高齢にもかかわらず、元気でいられる秘訣をたずねられて、「スペイン人の様に生きる事」と答えていた。

 2005年10月25日、天本英世の遺灰は彼の遺言通り、遺族と友人達の手で、グワダルキビール川源流より撒かれた。彼の遺灰は、ロルカが称えた大河を、オレンジとオリーブの木々の間を流れ下り、愛して止まなかった、スペインの大地の土となった。彼の魂は今もなおロルカの詩を口ずさみながらスペインを巡る旅を続けている。

真花宏行