Autor del artículo

Yoshinobu Takebe
武部好伸 / たけべよしのぶ
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。
元読売新聞大阪本社記者。
映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。
日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。
著書に、『スペイン「ケルト」紀行~ガリシア地方を歩く』など多数。
最新刊は、『ビジュアル版・ヨーロッパ「ケルト」紀行』上巻(島編)・下巻(大陸編)。

ガリシア、「ケルト」の残影

2010年11月

 カストロ(Castro)という古代の遺跡がガリシアに点在している。ケルト系の部族が暮らしていた集落跡のことで、2000年以上前には石塁を積み上げて造った堅固な家屋が立ち並んでいた。いずれも防御機能をそなえており、集落の中で穀物や豆類の栽培、家畜の飼育などが行われていた。カストロはポルトガル北部と合わせて30数ヶ所が確認されている。渦巻きや螺旋を使った流麗な装飾模様(ケルト模様)が特徴のトルク(首環)や水差し、ブローチなどの手工芸品、馬具、武器、人頭像などが出土している。サンティアゴ巡礼のセブレイロ村にあるガリシアのひと昔前の農家パジョサ(パリョサ)はカストロの住居を起源にしているといわれている。

 北東部ルーゴ県にある丘陵地ヴィラドンガ、北西部ラ・コルーニャ(ガリシア語ではア・コルーニャ)県のバルバンサ半島西海岸に面するバローニャ、南西部ポンテヴェドラ県のポルトガルとの国境にそびえる標高341メートルのサンタ・テクラ(ガリシア語ではサンタ・テグラ)山の中腹にあるカストロがよく知られている。とくに「ケルトの村」の異名をとるサンタ・テクラは160ほどの家屋がびっしりと密集しており、保存状況も良好とあって、観光スポットになっている。

 古代のヨーロッパを席巻したケルト人がドナウ川上流域やガリア(現在のフランス)辺りからピレネー山脈を越え、イベリア半島へやって来たのは紀元前7世紀末ごろとみられている。ケルト人は単一民族ではなく、インド=ヨーロッパ語に属するケルト語を共通にした部族の集合体である。先住の非インド=ヨーロッパ語族のイベリア人と混血した彼らはケルト=イベリア人と呼ばれ、半島のほぼ全域に定住したが、紀元前2世紀以降、ローマの勢力に押され、最後の牙城となったガリシアも紀元前19年、ローマの軍門にくだった。ガリシアの名は、その地に住み着いていたケルト系の部族、ガラエキ族に由来する。

 ローマ化の進行につれてケルト語はすたれ、紀元5世紀には消滅したという。それでも今日、ガリシアは古代ケルトの息吹を伝える地として、アイルランド、英国のスコットランド、ウェールズ、フランスのブルターニュなどと共に〈ケルト文化圏〉に属している。一見、ケルトらしさはほとんど感じられない。それでも古代ケルト人の末裔であることにガリシアの人たちは何かしら拠り所を求めているようだ。
「ラテンの鎧を着たケルトの地」。しばしばガリシアはこう例えられる。

(文・写真 エッセイスト 武部好伸)
 


俯瞰撮影したヴィラドンガのカストロ。大きさは甲子園球場とほぼ同じ



「ケルトの村」と呼ばれているサンタ・テクラ山のカストロ



紀元前4世紀ごろのケルト=イベリア人の人頭像
(オレンセ考古学・美術陳列館)