Autor del artículo

Saeru Matsuda
松田 冴
まつだ さえる
1983年5月19日生まれ。 宮崎県出身。1992年にFCバルセロナが来日した際にファンになり、2007年には念願のソシオ入会を果たす。京都外国語大学大学院でFCバルセロナをカタルーニャ民族主義の側面から研究中。

カタルーニャ人にとって一年で最も重要な日

2010年11月

 今年もクラシコ(伝統の一戦)「バルサ対レアル・マドリー」が迫ってきている(11月29日)。クラシコというとメッシやロナウドをはじめスーパースター同士の競演というエンターテイメント性ばかりが注目されがちだが、クラシコの真の醍醐味は相容れない二つの国すなわちカタルーニャとスペインの代理戦争という側面ではないかと私は考える。

 二つの国の違いはスタジアムの入り口を見たら一目瞭然である。マドリーのホーム「サンティアゴ・ベルナベウ」の入り口ゲートには「¡Bienvenidos!(スペイン語でようこそ)」と書かれている一方で、バルサのカンプ・ノウには「Benvingut!(カタルーニャ語でようこそ)」と表記されている。国が違うのだから言葉が違うのは当然のことである。カタルーニャとスペインの政治的・歴史的対立は中世にまで遡るが、両クラブの間に明確なライバル関係が生まれたのはフランコ独裁政権時代からである。1939年のバルセロナ陥落をもってスペイン内戦はフランコ軍の勝利で終結した。当時フランコ軍の兵士として戦争に参加しバルセロナ陥落に居合わせた元レアル・マドリーの選手サンティアゴ・ベルナベウは終戦後間もない1943年にレアル・マドリーの会長に就任した。フランコ政権と親交が深かったベルナベウの会長就任によりレアル・マドリーはフランコ政権の文化的シンボルとしてフットボールの世界で長きに渡って猛威を振るうことになった。1943年の総統杯(現在の国王杯)の試合でバルサ相手に11対1という歴史的な大勝を収めたり、バルサが九割方獲得で合意していた南米の至宝「ディ・ステファーノ」を政治的圧力により寸前で横取りし、そのディ・ステファーノの大活躍でチャンピオンズカップ(現在のチャンピオンズリーグ)5連覇という離れ業をやってのけたり、カンプ・ノウでのバルサ戦でペナルティーエリアから3メートルも手前のファールでペナルティーキックを獲得する(悪名高いグルセッタ事件のことである)など、フランコ時代におけるマドリーの強さと政治力は他の追随を許さず、時としてレフェリーはフランコ政権の傀儡のようであった。マドリーの栄光の傍らカタルーニャ人は己の無力を呪い、時折バイオレンスに訴えることもあったが、その度に逮捕・負傷という代償を払わねばならなかった。

 当時、反中央色の濃いカタルーニャに対して、フランコ政権は自治権を剥奪しカタルーニャ語及びサニェーラ(カタルーニャの国旗のこと。黄色に赤の4本線が入ったデザインでバルサのエンブレムにも刺繍が施されている)の公式使用を禁じた。カタルーニャ主義の旗艦バルサに対しても、カタルーニャ語(英語起源)のクラブ名「Futbol Club Barcelona」を「Club de Fútbol Barcelona(スペイン語)」に変更するように強制的に命じ、クラブの執行部は中央より派遣された役人が担うようになり事実上フランコの支配下に置かれた。内戦前1万人以上いたソシオ(会員)の数は、戦後3500人にまで減少し、体制の圧力と深刻な財政難でクラブの存続自体が風前の灯であった。

 しかしながら1940年代に入ると瀕死のクラブがカタルーニャ民衆の支持を急速に獲得し華麗な復活劇を演じる。1943年にはソシオ数が内戦前の水準を大きく上回り15000人を突破した。独裁体制に苦しむ民衆たちはバルサというクラブを通じてカタルーニャの自由や自治権、民主化を求める抗議デモを展開した(スタジアムの周辺等で)。中世のコルツ(身分制議会)の制度からも分かる通り、カタルーニャは市民中心の自治や民主主義が比較的早い時期から確立されていた地域である。その伝統を引き継いだソシオ制度、どんなに時代が変化しても失われないバルサの洗練された芸術性と気品、勇敢さは、ギフレやジャウマ1世、ガウディ、ジュジョール、ダリ、ミロ、ラモン・リュイら歴代のカタルーニャ人が有してきた崇高さと少なからずリンクしており、FCバルセロナという存在はカタルーニャ人が長い歴史の中で作り上げてきた永久不滅の文化的財産なのである。スペイン継承戦争やスペイン内戦、フランコの圧政で散った多くの同胞たちの祈りを胸に再びバルサは聖地カンプ・ノウに永遠のライバル「レアル・マドリー」を迎え撃つ。カタルーニャ人にとってフットボール観戦はただの娯楽ではない。フランコ政権の象徴であったレアル・マドリーがカンプ・ノウを訪れる時、それはまさにカタルーニャ民族の誇りと威信をかけた闘いなのである。

松田 冴