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Autor del artículo

Shizuka Shimoyama
下山静香
桐朋学園大学卒。文化庁派遣芸術家在外研修員としてスペインへ渡り、マドリード、バルセロナで研鑽。スペイン各地に招かれリサイタルを行い、「スペインの心を持つピアニスト」と賞される。ラジオ、テレビ番組に多数出演、これまでに多くのCDや書籍をリリース。現在、スペイン・中南米音楽を含む多彩なレパートリーをもつピアニストとして活発な演奏活動を展開。またクラシック界において、翻訳・執筆・講演・舞踊とマルチにこなすユニークな存在として注目を浴びている。

Official Website サラバンダ
http://www.h7.dion.ne.jp/~shizupf

裸足のピアニスト・下山静香のブログ 
http://ameblo.jp/shizukamusica
名旋律は永遠に

2010年11月

「タララー、タ・タ・ターンタラッタ・タララーン」
これだけで、何の曲かがわかった人はすごい。が、音程をつけて歌えば、きっと誰もが「あぁ、それね!」とわかってしまうのが、このメロディのすごいところだ。20世紀クラシックの"ベストヒット・メロディ賞"の名にふさわしい(いつの間に受賞?)、この名旋律を作曲したのは、ホアキン・ロドリーゴ。1999年に亡くなった、盲目の巨匠である。


アランフェスの宮殿


 その年、私はマドリードにいた。小さいトランクひとつ携えて単身乗り込み、一晩1000円あまりの安オスタルでひと月暮らしながら住居を探し、―― といった話せば長い話はとりあえず飛ばすとして、7月のある朝である。いつものように、通っていた語学アカデミアのドアを開けると、校長のアンヘレスが開口一番、「Ay, シズカ!マエストロが亡くなってしまったね・・・我々は偉大なアルティスタを失ったわ!」
ここはさすがにスペイン人、落胆と悲しみを実に豊かに表現している彼女を前に、感情を共有できずキョトンとせざるを得なかった私。マエストロって、誰のことだろう?・・・なんといっても、マドリードでの生活が始まってまだ数か月。テレビもなく新聞を買うわけでもなく、滑舌いいけど超早口で理解不能、聞いているとトランス状態にでも陥りそうなスペイン語のラジオ放送と、日本から唯一持ってきていた宇多田ヒカルのCDで、1人寂しい夜をしのいでいた時期である。その前日、100歳を目前にして、あのマエストロ・ロドリーゴがこの世を去ったことを知らなかったのだった。同じマドリードにいながら、お会いすることがかなわなかった大作曲家・・・スペインに生まれ、4歳で失明、その後20世紀をほぼまるまる生き抜いたロドリーゴが、その耳で聞き、肌で感じ、表現したことはなんだったのだろうか? ―― 私は、皮肉にも彼の死がきっかけとなって、その「人と音楽」を知りたいと思うようになったのだった。

さて、冒頭の「タララー・・・」は、ロドリーゴの代表作《アランフェス協奏曲》第2楽章のテーマである。あまりにも名曲ゆえ、ジャズ、ポピュラー、お笑いといろいろなジャンルでアレンジされているから、ともすると「メロディは知っているけど、実はオリジナル編成では聴いていない」という方も少なくないかもしれない。私も実は、オリジナルを聴いたのはずいぶんあとになってからのことで、ジャズの巨星マイルス・デイビスの《スケッチ・オブ・スペイン》のほうが先に耳についていたりしたのだった。

《アランフェス協奏曲》の功績のひとつは、「ギターとオーケストラ」という組み合わせによる協奏曲の可能性を広く知らしめたこと。もっとも、この編成はとても珍しいようでいて、それ以前から存在していたのだが、ともあれこの曲によって、独奏楽器としてのギターにあらためて光があてられたことは間違いないだろう。2楽章の冒頭で「タララー」を奏するのは、実はギターではなくイングリッシュ・ホルンで、ギターはまず、伴奏のアルペジオを担当する。そうしてひとしきりテーマが提示されたあと、あらためてテーマが独奏のギターにわたされ、以後はギターとオーケストラで交互に会話をするように進んでいくわけだが、このテーマが、実にシンプルにできていることに驚かされる。表面的にみれば、ほとんど順次進行で上がったり下がったりしているだけなのだ。ロドリーゴは、それだけでこの名旋律を生みだしたのだった。折しも、調性音楽に限界を感じたゲンダイオンガクの実験が様ざま行われモダンに向かう時代、また、国際的に「スペイン音楽」というとどうしてもアンダルシア的なものを期待されがちだった状況下で、あえてこのような音楽を書いたというところに、ロドリーゴが目指していたもの、というよりむしろ、目指さなかったものが見えるような気がする。

しかし、この曲が人々の心をとらえるのは、単に「シンプルでわかりやすい」からではない。私たちは、ギターのつま弾きにいざなわれながら、そこに息づくロドリーゴの心を感じとり、その心をともに"生きている"のではないだろうか。素晴らしい音楽にはそんな不思議な力があり、そして私たちには本来、感じとる能力がちゃんと備わっているのである。(ファリャが言ったように、「音楽は理解するものでなく感じるもの」だから、頭で理解させようとする音楽は確かにムズカシいと思わせてしまうのかもしれない。)この2楽章の旋律は、愛妻ヴィクトリアとの新婚旅行で散策した古都アランフェスの美しい庭園の思い出からインスピレーションを得ている、と作曲者自身も語っているが、その一方で、作曲当時、社会的にみればスペイン内戦という悲劇が、プライヴェートでは、初めて授かった我が子を失うという悲劇がロドリーゴを襲っていたという背景がある。その絶望的な悲しみのなかにあって、だからこそ、美しい音楽を創り出すという生みの苦しみ ―― それらを乗り越えて、内戦終結の年に完成、翌年バルセロナで初演されたこの《アランフェス協奏曲》は、内戦で深く傷つき疲弊していたスペインの人々の心を癒したのである。

「芸術作品と、その作者の私生活は切り離して考えるべきだ」という意見を耳にすることもあるが、真の芸術家にとって「創作」は「生きること」と同義である以上、やはり切り離すことはできないはず。そして、「個」の生活は必ず、「世界」と関わっている・・・。音楽って、そのはざまをつないで行き来する天使のようなものなのではないかしら、と思ったりするのだった。ちなみに、ともすると2楽章の陰に隠れがちな1楽章、3楽章は明るく快活な楽想で、ロドリーゴがこの作品にオマージュとして込めた18世紀スペイン、 いわゆる「ゴヤの時代」の生き生きとした雰囲気が伝わってくる。これら全ての楽章があいまって、《アランフェス協奏曲》は人々に再び生きていく希望を与えたのだと想像するに難くない。そしてほどなく、このスペイン色あふれる作品は「世界的な名曲」として愛されるようになったのである。

ところで、ロドリーゴに興味を持ち始めた私はどうしたか。演奏家とは、ある音楽に興味を持ったらそれを実際に演奏してみないと気が済まなくなる人種である。基本的には"再現の芸術"であるクラシックの演奏家は、楽譜から読み取ったものを繰り返し演奏し、自分の身体になじませていくことによって初めて、その音楽を「理解する」ことが可能となるからである(結構、肉体派でもあるのだ)。といっても、その理解への道に終わりはないのがミソだが、とにかく弾かないことには何も始まらない・・・。そんなこちらの思いを見抜いたかのように、マドリードでのピアノの師匠ロサ・マリアは、無謀にも、私にロドリーゴ作品の全曲演奏をすすめ始めた。彼女は、ロドリーゴのピアノ作品を高く評価していたのだが、一般的に知られていないだけでなく、音楽界でもあまり取りあげられないことをかねてから残念がっていらしたのだった。そこへ、遠い東の果ての国ハポンから、スペイン音楽ならなんでも知りたいらしい女の子(齢アラウンド70の彼女からすれば、"女の子"で間違いないと思う)が、ポーンと飛び込んできたのである。しかも、ロドリーゴ生誕100年のメモリアル・イヤーが間近にせまるグッド・タイミング。そんないろいろな条件が合致して、私はロドリーゴのピアノ曲の数々を一から勉強し始めることになった。

「ロドリーゴのピアノ曲って、アルベニスともグラナドスともずいぶん違うなぁ。でもなんだか、とても"スペイン的"な感じがする!」・・・
かくして、マドリードの街を日々歩き回ってその空気を吸い、暗譜に苦労しながら"誰も弾かないロドリーゴ"を練習していく生活のなかで、私は「スペイン的」なるものの扉を開いていくことになる。
その正体については、また、次回。

下山静香