Autor del artículo

Masao Kuwabara
桑原真夫
くわばらまさお
1977年よりほぼ毎年スペインを訪問。1984年から1989年まで銀行員としてマドリッドに駐在。ヨーロッパ在住約14年。 スペイン関係主要著書;『斜めから見たスペイン』(山手書房新社)、『それぞれのスペイン』[共編著](山手書房新社)、『スペインの素顔』(河出書房新社)、『スペインとは?』(沖積舎)、『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)、『我が母へ』(沖積舎)、『ガリシアの歌・上巻』(行路社)、『花へ』[写真詩集](山手書房新社)他多数。

マドリッドの夜(4)

 これまでマドリッドの夜のいくつかを取り上げてきたが、一つだけ抜けているものがある。それはフラメンコである。マドリッドの夜といえばまずフラメンコが頭に浮かぶ。私はマドリッド駐在時代、日本からの来訪者を数知れずタブラオに案内した。夕食を兼ねての場合もあるし、夕食後フラメンコを堪能したいという場合もある。いずれにせよ世話役をする我々駐在員にとってフラメンコは退屈な日常的行事でしかない。みなさんをホテルに送り届けるのは決まって深夜となる。このように接待の一つとして位置づけられていたフラメンコにはあまり興味も湧かなかった。

 ところが、フラメンコの真髄に触れる事件が起きる。それはマドリッドではなく、ロンドンで。私はマドリッドのあとロンドンに駐在となった。ある日空港に向かうタクシーのラジオで視聴者によるリクエスト番組が流れていた。そのうち古いフラメンコの歌がリクエストされラジオから流れ始めた。そのとき電流のような衝撃に打ちのめされ、その曲が終わるまで身動きができなかった。フラメンコ(カンテ)とはかくも奥深い、と感嘆した。その歌は多分パストーラ・インペリオかラ・アルヘンティニータの歌であったと思う。激しさが人を驚かすケースはままあるが、そのうち古いフラメンコの歌がリクエストされラジオから流れ始めた。そのとき電流のような衝撃に打ちのめされ、その曲が終わるまで身動きができなかった。フラメンコ(カンテ)とはかくも奥深い、と感嘆した。その歌は多分パストーラ・インペリオかラ・アルヘンティニータの歌であったと思う。激しさが人を驚かすケースはままあるが、激しさが(それは悲哀や悲運の激しさが大半を占めるのだが)人の心臓を鷲掴みにするような感動を与えることはそんなにあるものではない。ファーリャに多くの霊感を与えたパストーラ・インペリオは時代のミューズであった。その賛美者の一人であった国民的画家フリオ・ロメロ・トレスは彼女のために絵筆をふるっている。ラ・アルヘンティニータは1931年ガルシア・ロルカのピアノの伴奏に合わせ『カディス通り』を歌っている。公演先のニューヨークで病没した彼女の亡骸はスペインに移送され、多くの詩人たちがその鎮魂の詩を残している。

 それから私はフラメンコに興味を抱くようになった。マドリッドを訪問するたびにフラメンコのCDも集めるようになった。しかし、自分のフラメンコの知識の乏しさはどうしようもなかった。そんなとき、私のガイド役のような素晴らしい本が出版された。有本紀明氏が心血を注いで完成された名著『フラメンコのすべて』である。題名どおり、フラメンコに関する全てが満載されている。フラメンコ誕生からの長い歴史、カンテ、バイレ、トケの歴史。特に隆盛を極めたカフェ・カンタンテの時代のバイラオーラたちの解説は圧巻である。資料編もまた実に充実している。(左欄にその著書の表紙を紹介する)

 マドリッドの一夜をタブラオ訪問で過ごすのもよい。Sala Galileo GalileiやCentro Curtural Paco Rabal、Teatros del CanalやTeatro Nuevo Alcaláなどの新鮮なフラメンコもお勧めである。近頃は日本人の若い女性に秀逸なフラメンコダンサーが多い。昔と違い、最近の日本女性の体形もまんざらでもない。技術はもともと一級品である。

(つづく)
 
桑原真夫