Autor del artículo

Mari Watanabe
渡辺万里 / わたなべまり
学習院大学法学部政治学科卒。
1975年よりスペインで食文化史の研究に取り組むと同時に、スペイン料理界最前線での取材に従事する。
1989年、東京・目白に『スペイン料理文化アカデミー』を開設。さらに各地での講演、執筆などを通してスペイン文化の紹介に携わっている。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。
著書に「エル・ブジ究極のレシピ集」(日本文芸社)、「修道院のうずら料理」(現代書館)、「スペインの竃から」(現代書館)など。

スペイン料理文化アカデミー
http://academia-spain.com
〒171-0031 東京都豊島区目白4-23-2  TEL : 03-3953-8414
スペイン料理クラス、スペインワインを楽しむ会、フラメンコ・ギタークラスなど開催

2.伝統料理の魅力

2011年02月

 スペインには、「仔羊を焼く煙とガルバンソを煮る湯気をつないでいくと、スペインの食文化地図を描くことができる」という言葉がある。仔羊に代表されるアサードasado(肉のロースト)の世界。ガルバンソに象徴されるギソguiso(煮込み料理)の世界。この二つが、スペインの伝統料理という小宇宙を構成していると言い換えてもいい。

 スペインに行って何を食べるべきかと聞かれたら、何よりもまず勧めたいのがこういう料理だろう。肉をかまどで焼く、豆を鍋で煮込むという、いずれもこれ以上単純なものはないと言えそうな素朴な料理でありながら、これほどに、他所の国で再現するのが難しい料理もないからである。その実例のいくつかを紹介してみよう。


アランダ・デ・ドゥエロのレチャソ

 レチャソlechazoとは、仔羊のなかでも特に乳飲み子の羊をさす。

 「レチャソ・デ・カスティーリャ・イ・レオン(カスティーリャ・レオン地方の仔羊)」と聞いただけで、アサードを好む人間は心が弾む。魚好きな日本人が、「大間のマグロ」と聞いてわくわくするのと同じようなものかもしれない。

 羊は、まだ草を食べない乳飲み子であること。なおかつ、母羊がおいしい牧草を食べていること。その仔羊を昔ながらの薪のかまどで、熟練のアサドール(焼き職人)が焼くこと。これがおいしいアサードの条件である。その条件がそろったカスティーリャ・イ・レオン地方のドゥエロ川流域の一帯には、アサードを名物とする町や村が点在しているが、なかでもアランダ・デ・ドゥエロは「アサードの町」として知られている。

 ドゥエロ川を城壁のように周囲にめぐらしたこの古い町は、スペイン有数の高級ワイン産地リベラ・デル・ドゥエロの一角でもある。町の家々の地下には地下蔵があり、そこにはワイン樽が積まれている。それどころか、それらの地下蔵は通路でつながっていて、かつて敵の襲来に備えての避難路や備蓄庫をかねていたことを彷彿とさせる。ドゥエロ川の恵みをうけて育つのは、ワインのためのブドウだけではない。野菜も豊富で、肉が最高となれば、この町のレストランがどこも味自慢なのも当然のことだろう。

 この町で「薪のかまど、あります」と看板に書かれたレストランはかならず仔羊のアサードを売り物にしているから、どこの店でもいい。おいしい煙につられて入っていくと、「オルノ・モルーノ(モロッコ風のかまど)と呼ばれるオレンジを半分に割ったようなかまどがあって、薪の熱気がこちらまで伝わってくる。そこに、仔羊1頭をバンと断ち割ったダイナミックな固まりが入れられ、絶妙の火加減とタイミングで焼き上げられていく。

 「コシネーロは育てられるが、アサドールは生まれる」とスペインで昔から言われるとおり、アサードの職人は生まれながらの勘とでもいいたいような直感と経験とで、肉と対話しながらオルノに向かう。仔羊はそのたびに違うし薪も違う。そこではマニュアルどおりの知識は通用しない。

 カスティーリャ地方のアサードは、何も特別なスパイスを使わない。肉のうまみを生かして塩と水、ごくわずかな白ワインだけをかけて焼く。だからこそ、薪の香りまでがはっきりとわかる焼き上がりになるので、ぱりっと焼けた皮の部分はとりわけ香ばしく、一番おいしい部位として好まれることになる。

 日本にも随分色々なスペインの食材が輸入されるようになったけれど、この仔羊の美味しさだけは、カスティーリャの大地まででかけていかないと味わえない。リベラ・デル・ドゥエロのワインを添えて、内陸の美味を満喫してほしい。


ボティンのコチニージョ

 いかにもマドリードの下町らしい風情のクチジェーロ通りの一角。ソブリーノ・デ・ボティン、通称「ボティン」と呼ばれるレストランがある。マドリードでもっとも古い創業のレストラン、とも言われているが、実際にはレストランとして最古参というわけではない。店の歴史は1723年にポサーダ(旅籠)として始まっている。

 マジョール広場からクチジェーロ門を通って下ってくるこの通りには、種々雑多なタイプの旅人が足を止めたことだろう。そのころからこの店は、大きなかまどをしつらえ、どちらかというと料理自慢の宿だったらしい。この時代、ポサーダの料理は一般的にはおいしくて評判というわけではなく、旅の都合上やむを得ず食べる所、場合によっては少しでも多くの勘定を取り立てるためにどちらかというと怪しげな材料を使って料理する場所というイメージさえあったらしいから、ボティンは例外だったことになる。

 その後、ボティンは製菓店の時代を経てレストランとなる。どの時代にも、大きなオルノ(かまど)はボティンの象徴だった。そして今、ボティンで出される一日に150から180匹という仔豚のアサード、すなわちコチニージョcochinilloも、このオルノで焼かれている。

 仔豚は、生まれてから6週間前後。乳飲み子のうちに、マドリード近郊の農場から運ばれてくる。話は少しそれるが、こうして見て行くと、スペイン人は種類を問わず乳飲み子の肉を好むということがわかってくる。レストランでなくても、市場や食肉店を見ればわかる。羊も豚も牛も、とにかく若ければ若いほど好まれるし値段も高い。

 実は魚に関しても同じ傾向が存在した。メルルサという、育てば数キログラムになる魚を稚魚でフライにしたり、ウナギの稚魚をオリーブ油で煮込んだり。このメルルサの稚魚は近年では法律で禁止されるに至ったが、そうしなかったらスペイン人は稚魚を盛大に食べてメルルサを絶滅させていたことだろう。その点、一部の雄の仔豚や仔羊をアサードにするのは、生命のリサイクルから見ればまだしも罪のない方かもしれない。

 仔豚は内臓を取りきれいに掃除する。皮を上に開いた形にして素焼きの土鍋の上にのせ、ほとんど何の調味料もなしに、薪のかまどへ。ボティンでは、樫の木の薪が主に使われている。

 時々かまどから出して少量の水をかける。すると、その気化熱で、皮がいっそうぱりっと焼きあがる。仔羊のときと同様、コチニージョでも一番おいしいのは皮のところなのである。焼きあがった仔豚はワゴンへと運ばれ、給仕頭によって4人分に取り分けられる。それを、頭から足まできれいに食べつくす。脳みそなども美味で、残すところはない。スペインでは「豚は、歩く姿までおいしい」というけれど、その言葉を実感できる料理である。

 コチニージョを待つあいだには、いかにもカスティーリャ地方らしいニンニクのスープなど、アサードにふさわしい一皿目の料理が楽しめる。終わったあとにはバルトリージョという揚げ菓子など、これもマドリードならではのポストレ(デザート)が待っている。昔風の樽の香り鮮やかなリオハのワインも、こういう料理にはふさわしい。観光客に独占させておくにはもったいない、古き良きマドリードの食卓が、ここでは毎日繰り広げられているのである。


グアダルペのポタヘ

 ガルバンソという豆は、カルタゴ人がイベリア半島にもたらしたといわれている。乾燥豆が重要な保存食品として常に大きな役割を果たしてきたスペインでは、ほとんどの地方の食卓でこの豆の料理に出会うことができるが、ガルバンソの料理が特に生き生きとした存在感を持っているのは、やはり保存食品の需要度の高い内陸部ということになる。そしてそのなかでもまず一番に紹介したいのが、ポタヘ・デ・ビヒリアである。

 スペイン語のポタヘpotajeは、日本語のポタージュというイメージとはいささか異なり、豆と野菜などをたっぷりの汁で煮込んだシチューのようなものを指す。そのポタヘのなかでポタヘ・デ・ビヒリア(精進日のポタヘ)と呼ばれるのは、ガルバンソ豆に干ダラやホウレンソウなどを加えて煮込んだもので、肉を食べることを禁じられている精進の日に食べるために生まれたという、カトリック国スペインならではの一皿である。この料理が別名ポタヘ・エストレメーニョ(エストレマドゥーラ地方のポタヘ)と呼ばれることからもわかるように、このポタヘを食べようと思ったらエストゥレマドゥーラへとでかけていくことを勧めたい。

 ポルトガルとの国境と山々に閉ざされたエストレマドゥーラは、確かに一般的な意味で豊かな地方ではないかもしれない。しかしそこには、目立たないながらも豊かな食がぎっしりと隠されている。スペインで一番品質のいいパプリカ、ピメントン・デ・ベラ。ヘルテのさくらんぼ。カセレス郊外の村で作られるトルタ・デ・カサールというとろけるチーズ。山からはイノシシを筆頭に様々なジビエの肉。樫の木の原生林では、今世界中で人気のイベリコ豚が放牧されてハモン・イベリコになる日を待っている。グアディアナ川沿いで作られるワインも、素朴な料理にふさわしいどっしりとした味わいがある。食材に目の肥えていたかつてのローマ人たちが、この地方のハムやワインを好んでローマへと持って帰ったというのもうなずける。

 グアダルペは、そんなエストレマドゥーラのなかでは比較的中央部に近い。マドリードからトレドへ向かい、その先のオロペサから南へと国道を曲がると、この小さな町が高々とそびえる教会の塔を、目印として現れる。

 この町はかつて、権力を誇ったモナステリオ(大修道院)の領地として栄えた。古い独特の家々が連なる美しい町並みが残る町は修道院を中心として広がり、小さな町のどこにいても教会のミサの鐘が時計代わりに聞こえてくる。細い坂道を歩いていくと、いつの間にか町を外れていて、畑のなかから修道院の塔を見上げながら戻り道をたどることになる。

 この由緒ある修道院の食堂では、レストラン顔負けの料理人が腕をふるった料理が出される。なにしろ、この修道院の神父様が書いた料理の本がいっときスペインでベストセラーになっていたくらいだから、料理自慢なのは想像できる。そしてこの食堂に金曜日に行けば、必ずポタヘが出てくる。スペインでも「金曜には精進料理」などというカトリックの習慣は聞いたこともないような若者たちが増えている昨今、こういうところに来なくては「金曜日の豆料理」を目にすることもないかもしれない。

 一晩じっくりと水で戻してほどよく塩気をぬいたタラの旨み。ほうれん草の甘み。それらをしっかり吸い込んだガルバンソのほっくりした食感。最後に散らしたゆで卵が、全体の味をまろやかにまとめる。素朴でありながら計算しつくされてもいる、バランスのいい一皿。スープ皿にいっぱい食べても飽きない、無理のない味付け……。肉を禁じられても、これだけおいしい料理が出てくるならかまわない。そんな気にさせてくれる食事とともに、山の中の修道院の夜は更けていくのである。


マラガトのコシード

 マラガトというあまり聞きなれない言葉は、レオン王国の一角、アストルガという町を中心とした地域に住む人々を指す名称である。この一帯独自の文化がマラガテリアと呼ばれ、そのなかにコシード・マラガトという一皿が登場することになる。したがって、この料理を食べてみたいと思ったらまずはアストルガへとでかけていかなくてはならない。

 アストルガはガウディの設計した司教館があったり、食べ物でいうとマンテカダという素朴なカステラのような菓子が名物だったりする小都会だが、ここからさらにマラガテリアへの旅が始まる。目指すのはカストティーリョ・デ・ロス・ポルバサレスという村である。

 昔から小さな村のことを、「村の名前を言い終わるころには村を通り過ぎてしまう」などというスペインらしい大げさな表現があるのだが、たしかにスペインの小さな村には、村の大きさに反比例するかのように長い名前のものが多い。ここもそのひとつといっていい。

 この村に入っていくと、中世へとタイムスリップしたような不思議な空間が現れる。磨り減った石畳。その両側に並ぶ家々。傍らを流れる川。何世紀もまったく変わっていないとしか言いようがない風景のなかで、その通りに並ぶ家の何軒かがレストランとして営業していて、そこの売り物がコシードなのである。

 店に入ると、黙っていても水差しに入れたワインと大きなパンかごがテーブルにでてくる。そしていきなり巨大な皿が、豚の耳、豚の足、豚の顔、骨付き肉、脂身、チョリソ、モルシージャ、そしてレジェーノと呼ばれるオムレツのようなものなどを満載して現れる。この事態にびっくりしているとまもなく、これも大きな皿に山盛りのガルバンソ、キャベツ、ジャガイモが出てくる。こうなると、どうやって食べていったらわからない。呆然とするばかりである。

 マラガトの人々はアリエロ(ロバ追い)とも呼ばれ、ロバを追って一日野山で過ごしていた。だからこの料理でエネルギーを蓄えてから出かけていったのだろうが、現代のわれわれはいったいどうやって、この大量の野菜と肉を食べたらいいのか?

 ついに降参というところで、まだまだ肉の残っている皿を片付けてもらうと、驚くべきことにスープの皿が出てくる。「最後にスープ?」と店の人に問いかけると、こんな返事が返ってきた。

 「マラガトの人たちはロバを追って長い旅にでることが多かったから、自分の食べる肉を茹でて木の入れ物にいれて出かけた。そして旅籠や食堂につくと、まず自分の持ってきた弁当の肉を冷たいままで食べ、そのあと温かいスープを宿の人に頼んで、それを飲んでからでかけたんだよ。」

 もう1軒の店では、違う説明をしてくれた。

 「ロバを追っていく人たちはゆっくり食事する時間がないことが多かった。だから家では、ぜひ食べてほしいものから出したのさ。まず肉。次に野菜。時間にゆとりのある人だけが最後まで残ってスープを飲んだのだろうね」

 カロリーが、あるいはコレステロールがと心配しない日が一日くらいあってもいいだろう。あの巨大な肉の皿に、一度は向かい合ってみてもいいのではないか。そのあとにスープが出てきたときの、あの驚きをあじわってみてもいいのではないだろうか。そんな気分にさせてくれる、ゆったりとした時間が、マラガトの村には今も流れている。

(文・写真提供 渡辺万里)