Autor del artículo

Mari Watanabe
渡辺万里 / わたなべまり
学習院大学法学部政治学科卒。
1975年よりスペインで食文化史の研究に取り組むと同時に、スペイン料理界最前線での取材に従事する。
1989年、東京・目白に『スペイン料理文化アカデミー』を開設。さらに各地での講演、執筆などを通してスペイン文化の紹介に携わっている。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。
著書に「エル・ブジ究極のレシピ集」(日本文芸社)、「修道院のうずら料理」(現代書館)、「スペインの竃から」(現代書館)など。

スペイン料理文化アカデミー
http://academia-spain.com
〒171-0031 東京都豊島区目白4-23-2  TEL : 03-3953-8414
スペイン料理クラス、スペインワインを楽しむ会、フラメンコ・ギタークラスなど開催

3.エル・ブジのもたらしたもの

2011年02月

フェラン・アドリア 
「エル・ブジ El Bulli」(コスタ・ブラバ)


 たとえピカソが嫌いな人でも、ピカソを無視してスペインの絵画史を語ることはできないだろう。同じように料理の世界では今、「フェラン・アドリアを無視してスペインの料理史は語れない」という時代が訪れている。

 レストラン「エル・ブジ」のオーナーシェフ、フェラン。「エル・ブジ」は確かに、6年間連続イギリスの「レストランマガジン」によって世界一のレストランとしてランキングされてきた。10年にわたって「世界でもっとも予約のとれないレストラン」といわれてきた。しかし、人気のあるレストランはほかにも次々と現れているし、優れた料理人も彼一人だけというわけではない。 彼の名前が、料理史の1ページに刻まれるにいたったのはどうしてなのか? 彼は何を成し遂げたのか?

 おおざっぱに言ってしまうことが許されるなら、フェランはスペイン料理界の常識をことごとく覆したのである。

 毎年シーズンごとに一新されるエル・ブジのメニューには、ほとんど必ず新しい調理のテクニックが登場する。一世を風靡して今ではフランス料理やイタリア料理、いや中国料理の世界でまで定番のテクニックとなったエスプーマ(泡)を初めとして、誰も思いつかなかった食材の扱い方、組み合わせ方、そして調理法などが、今までに生まれてきた。しかし重要なのは、それらのテクニックがすべて公開されているということである。

 何かにつけて封建的で、各料理人が自分の料理を教えることにいたって消極的だった料理の世界で、フェランは「僕のテクニックは誰でも使える」と宣言し、新作の料理のレシピをことごとく発表してきた。だから、彼のテクニックを盗むために苦労する必要はない。しかし、自分の料理を創作しようと思ったら、そこから先により困難な道が待っている。フェランは、多くの若手料理人たちに大きなチャンスを与えるとともに、本当の意味での「創作料理」というのがいかに難しいものかということを、身をもって教えたのである。

 もうひとつ、彼が料理界の常識を破ったこと。それは「料理はチームで作り上げていくもの」というエル・ブジのポリシーだろう。エル・ブジでは50人近いスタッフが働いているが、それはフェランが言うとおりスポーツのチームのように一緒に働く若者たちの集団なのである。

 これも封建的なレストラン業界では想像もできない発想だったが、今では若い世代のオーナーシェフをトップとする店から次第に、このポリシーも浸透しつつある。そしてその成果は、スペイン各地に、最新のテクニックと若々しいアイデアの感じられる料理を出す優れた水準のレストランが続々と生まれてきていることで証明されている。

 フェランはすでに単なる料理人ではなく、彼の料理哲学を発展させ、料理と科学の融合を深めていくという使命に向けて方向転換し始めた。エル・ブジは単なるレストランとしての時代を終え、料理界の向上のための総合的な機関として生まれ変わろうとしている。現にフェランは、2012年から2年間、レストランとしてのエル・ブジの扉を閉ざして研究に専念することを発表して世間をあっといわせたばかりである。

 そして今、様々な形でフェランの影響を受けた料理人たちが、現代のスペインのレストラン業界の先端を担っている。フェランの世界をどこまで受け入れるのか? どんな形で伝統料理との折り合いをつけていくのか? そして自分のアイデンティティをどこに求めるのか……?

   それぞれが、異なったスタンスと異なった個性で、これからのスペイン料理の歩んでいく方向を示唆しているすばらしい料理人のなかから、数人にスポットライトを当ててみたい。


マノロ・デ・ラ・オサ 
「ラス・レハス Las Rejas」(ペドロニェラス)


 ラ・マンチャの小さな村。街道沿いの昔風の構えのレストラン。そしてサンチョ・パンサのようなどっしりとしたシェフが挨拶に出てきたら、ここで最新のテクニックを駆使したクリエーティブな料理が出てくると想像する人は少ないかもしれない。しかし彼は、れっきとした「ポスト・エル・ブジ」のシェフの一人、それも当代有数の優れた料理人の一人であり、「ラス・レハス」は、決して便利とはいえない場所にありながら、スペイン中のグルメ垂涎の名店として知られている。

 マドリードから南へ100キロ。ドン・キホーテの時代そのままの田園風景のなかに、ペドロニェラスという小さな村が現れる。もともとはニンニクの産地として知られるこの村に生まれたマノロは、父親の代からのレストランを受け継ぎ、持ち前の感性で、フェランが切り開いた新しい料理のテクニックのなかに、自分の進むべき道を見出した。

 ラ・マンチャの大地に根付いた食材。昔ながらの素朴な料理。そこに、シャープで切れ味のいい発想で新しい要素が加わるとき、マノロでなくては出来ない独自の料理の世界が展開する。

 料理の名前だけを見ると、そのかなりのスペースを、ごく昔風の料理の名前が占めていることに気づく。ソパ・デ・アホ(ニンニクのスープ)。ガリアーノス(ラ・マンチャのガスパッチョス)。ドゥエロス・イ・ケブラントス(痛みと悲哀)にいたっては、ドン・キホーテの時代に遡ったかのような最近聞くことのないほどクラシックな料理名である。

 しかし出てくる料理はどれも美しいフォルムと斬新な構成の皿で、一見すると料理名とは結びつかない。口にして、味わって初めて、その名前に頷くことができる。そしてその美味に改めて感激する。マノロの細やかな感性と豊かな創造力によって、一皿のなかで過去と未来の融合が完璧に表現されているのである。

 かつてエル・ブジが評判になり始めたときスペインのグルメガイドブックは「未舗装の道を20キロ行くだけの価値がある」と表現したが、私ならこのマノロの店を「マドリードから100キロ車を飛ばす価値がある」と言いたい。

 見かけによらずロマンティストのマノロは、自分の料理の小宇宙を、ひとつの物語として紡いでいく。彼の料理を食べるといつも、この先どんな風に物語が展開していくのかと気になる。だからまた、国道を100キロ飛ばして訪れることになる…。

 最近、同じラ・マンチャ地方のクエンカの町にも、マノロのレストランが出来た。古い町に新しい料理、という組み合わせは同じだが、物語の語り口が少し違う。「アルス・ナチューラ(自然な芸術)」と名づけられたこの店では、より自由に宇宙をはばたくマノロが見える。現代のドン・キホーテがどんな夢を追い求めていくのか、これからも彼の料理からは目が離せない。


エレナ・アルサーク 
「アルサーク Arzak」(サン・セバスティアン)


 バスク地方ギプスコア県の中心、サン・セバスチャン。かつて「スペインで一番たくさんミシェランの星が集まっている」といわれたこの町に、バスク料理界の重鎮フアン・マリ・アルサークのレストランがある。

 ファン・マリと私の交流は20年以上になるので、初めてアルサークを訪れたころ次女のエレナはただのかわいいお嬢さんだったが、今では、才能と環境が一致して開花する幸運というものが存在することを実感させてくれる、すばらしい料理人に成長した。そこには、父ファン・マリの影響とフェラン・アドリアの影響が見事にからみ合っている。そのどちらがいなくても、今日のエレナはいなかっただろう。

 そもそもバスク地方は、スペインで一番しっかりした料理体系が存在していた。そこへ1980年代に「新バスク料理」という新しい動きが加わって、スペインで唯一、国際レベルで通用する洗練された料理を出すレストランが軒を連ねるようになったのがサン・セバスチャンの町であり、その動きの一番の中心がファン・マリだった。

 「新バスク料理」の土台となったのは、昔ながらのバスク料理の発掘、昔ながらの素材の再認識、そして最後に新しい食材への挑戦だった。つまり、ここでは新しさは「素材」という形で導入されてきた。しかしフェラン以降、新しさの定義は変わった。ひとつの素材に新しい調理法をみつけること、新しいテクスチュアを生み出すこと。これが現代の料理人たちに出されている新しい宿題なのである。

 その点、バスク料理にフェラン的新しさを見事に実現している若手の一人がエレナだといっていいだろう。ひとつの素材を使ってテクスチュアで遊ぶ。色で遊ぶ。しかしその素材は、昔ながらのチピロン(小イカ)だったり、珍しくないラディッシュだったりする。フェランから学んだ科学的な発想に、女性らしい細やかな感性と豊かな色彩感覚を加えて、エレナの作り出す皿はどれも、楽しくて好奇心をそそる出来上がりになっている。

 ファン・マりはそんな娘の才能を大いに認めながらも、彼は彼なりに新しい料理に挑戦している。

「料理人は、いくつになっても料理人。3色の信号をみたら3色のボンボンに見えるのが料理人だ。常に頭のなかには新しい料理のアイデアがある。エレナの料理は楽しい。フェランは天才だ。だが私は私の料理をつくる。それでいいじゃないか?」

 だから「アルサーク」のメニューは、素直においしさをたっぷりと味わいながら、同時に新鮮な驚きも楽しむことができる。付け加えるなら、このランクの高級レストランとしては珍しいほどの暖かで家庭的なサービスも、何代も続いてきたこの老舗ならではの魅力のひとつになっている。

 スペインにはもともと「コシネーラ(女性料理人)」の偉大な伝統がある。この店も、先代までの料理人はファン・マリの祖母であり母だった。エレナはその流れを見事に受け継ぎながら、現代女性として、仕事も、2児の母としての生活もフルに楽しんでいる。どこにも支店を出さずに、サン・セバスチャンだけで本当に自分たちらしいレストランを守ろうと決意した父と娘に、心からの拍手を贈りたい。


ジョアン・ロカ 
「セジェール・カン・ロカ Celler Can Roca」 (ジローナ)


 フェラン・アドリアの愛弟子の一人、ジョアン・ロカとその兄弟の店は、カタルニアのなかでも豊かな町ジローナの町外れに位置している。スペインを代表するシェフの一人ジョアンを中心として、ソムリエのジョセップ、パティシエのジョルディの3兄弟は、両親から受け継いだレストラン業を見事にレベルアップし、いまやこの店は「いつ行ってもがっかりすることのない、最高の品質と味のレストラン」とスペイン内外のグルメたちから高い評価を受けるようになった。

 もともとの始まりは、3人兄弟の母が料理人として采配を振るう「カン・ロカ(ロカの家)」という素朴な町の食堂だった。ジローナの素朴で温かい味の家庭料理を、気取らない空間でたっぷりと食べる。そんな食堂を切り盛りする母に育てられたジョアンは優れた料理人に育ったが、彼に大きな転機を与えたのはフェランだった。ジョアンはフェランのすべてに心酔し、モンジョイ入り江のエル・ブジに足しげく通った。なかでも、母の食堂の隣で「セジェール・カン・ロカ」として独自の料理の世界を築いていこうと努力していたジョアンを大きく成長させてくれたのは、「チームで料理を作る」というフェランのシステムだった。

 自分ひとりで考えることはない。もともとこの店は家族のもの、兄弟のもの。厨房のスタッフも、そのファミリーの一部だと考えれば、新たな可能性が生まれてくる。自分より若い世代の意見。ほかの店で修業してきた料理人のアイデア。すべてを取り入れて、この店の個性を作っていけばいい…。料理そのものに才能があるだけでなく、皆に慕われる兄のような性格のジョアンは、チームの信頼を集め、そこにはエル・ブジとはまた違う、良い雰囲気の共同体が誕生したのである。

 厨房のチームだけではない。この店では、レストラン全体のチームプレイが暖かく客を迎えてくれる。レストランのホールに入ると笑顔で迎えてくれるのはジョアンの奥さんのエンカルナであり、食堂に座るとワインの相談にのってくれるのは弟のジョセップ。厨房に挨拶にいけば、ジョアンとともに下の弟のジョルディが、デザート部門から手を振ってくれる。

 そして出される料理も、華やかで斬新でありながら、ジョアンの温和な人柄を反映してどこかやさしくおだやかな味で、人を跳ね返すことなく受け入れてくれる。ジョセップは、出された料理にさらに生き生きした個性を加えるような意表をつくワインの選択で客を魅了する。それに加えて、いまやスペインのデザート界一の人気者となったジョルディの尽きることのないアイデアは、デザートに止まらず、香水の香りからシャンパンの泡、そして葉巻の煙まであらゆるものを皿の上で表現するに至っている。時には暴走に近い弟の飛躍ぶりに苦笑いしながらも、ジョアン自身のインスピレーションも大いに刺激されて、彼の料理にまた新しい幅が広がりつつある……。

 ジョアンは家族とチームに支えられて、彼自身ののびやかな個性を生かした新作料理とそれにふさわしい空間が一体となったレストランという、多くの料理人の夢を実現したのである。今が円熟期のジョアンの料理を味わう機会があったら、これはまさに僥倖というべきだろう。


セルジ・アロラ 
「セルジ・アロラ・ガストロ Sergi Arola Gastro 」(マドリード)


 スペイン料理界が「未知数」を好むようになったとしたらそれはフェランの功績のひとつだが、そんななかでも特に、常に未知数であることを目指しているシェフがいるとしたら、それはセルジだろう。 「ステイタスとしての高級レストランはあっても、味で勝負できるシェフは不在」と長年のあいだ批判されてきた首都マドリードのレストラン業界を、見事逆転させたセルジ。彼もフェランに育てられた 「エル・ブジ学校」の卒業生だが、料理のスタンスは彼独自のもので、カタルニアの家庭料理を土台としながら大胆で力強いセルジの料理の世界は、常に多くのファンを魅了してきた。

 何より端的に彼の実力を示しているのは、昨今フェランを筆頭として最先端のシェフがひしめくカタルーニャ地方から、最初にマドリードに進出して成功したのがこのセルジだということだろう。

 セルジがマドリードで最初に開いたのは、むしろこじんまりしたレストランだったが、そこで瞬く間にマドリードのセレブたちの関心を独り占めにして、次にはクラシックなホテル付属のレストランをミニマリスムのインテリアがシックな高級店に変身させてオープン。高級レストランといえば昔風の豪華さを売り物にすると信じられてきたマドリードのレストラン業界の古い体質を、見事に覆して見せた。エル・ブジ仕込みのサービス体制のよさは、セルジの奥さんのサラによって完璧に再現され、これでいよいよセルジも落ち着くのかと思われたが、それは誤算だった。

 テレビのトーク番組に出て、ひっぱりだこになる。積極的に環境問題や第3世界への援助にも関心を示す。そして料理人としても名声に安住せずに、常に新しい可能性を探していく。

 そんな彼が次に開いたのが、「セルジ・アロラ・ガストロ」。セルジ個人の好みでレストランを作ったらこうなった、と言いたいような、彼の主張が隅々まで感じられる店である。

 フェランの弟子として身近に彼のシステムを学んできた彼は、だからこそ逆に早くから、「フェランの後ろを追っていたのでは何もできない」ということにはっきりと気づいていた。フェランの生んだ技巧に頼り過ぎない。フェランの巻き起こした流行からむしろ遠ざかる。そんなセルジの現在の料理は、出来上がった皿を見ると一見クラシックな料理に仕上がっている。衒いのない豆のスープ。素直にご馳走らしい肉料理。フランス風の懐かしいデザートの再現。それらの料理が、実際に口にすると一ひねりも二ひねりもした立体感のある複雑な味に仕上がっていて、客をうならせる。

 それというのも彼はなかなかの理論派で、自分のイメージした料理を的確に分析し、系統立ててひとつの皿として完成していくという困難な作業を、むしろ楽しんでやってのけているからだろう。だから料理にめりはりがあり、単なる思いつきに終わらない。その力量には常に感心させられる。

 傲慢なほどに自信がある。それでいてデリケートな感性と揺れ動く自分を知るだけの知性がある。こういう手に負えない腕白坊主のような才能あるシェフが出現するから、スペインという国は面白い。必ずしも新しい路線を追うことではなく、したたかに自分なりの「王道」を模索していく彼を見て、スペイン料理の未来に一段と期待を寄せたくなるのは私だけではないだろう。

(文・写真提供 渡辺万里)