Autor del artículo

Juzo Katakura
片倉 充造
かたくら じゅうぞう
天理大学国際学部言語教育研究センター教授。
天理大学アメリカス学会会長。
『スペイン学』編集委員。
専攻:スペイン・ラテンアメリカ 文学。
著書:『ドン・キホーテ事典』(共編、行路社2005)、『ドン・キホーテ批評論』(南雲堂フェニックス2007)、『スペイン・ラテンアメリカ図書ファイル』(沖積舎2009) 他。

書評 ピオ・バローハ『知恵の木』  
片倉 充造

2011年02月

 スペイン文学史上ピオ・バローハ(1872~1956)は、「1898年」の国家衰退に際し再建に乗り出した知的革新グループ〈98年世代〉の代表的作家の一人として位置づけられる。

 バローハによる『バスク幻想』(1902、長南実編注、芸林書房、1985)は、外国語学部の講読教科書として長年使用されてきた名品でもある。「アンへルス」での“緑の海の白銀の航跡”という情景は、評者には1960年代大阪港のスケッチを呼び覚ませてくれる。

 表題書『知恵の木』(El Árbol de la Ciencia、1911)は、書き出しの1章だけでもソル、アトーチャ通り、アントン・マルティン広場など首都マドリードに実在する馴染みの地名や、科学者名(パスツール、リービッヒ等)、作家名(ソリーリャ、エスプロンセーダ)が登場する、医学生A.ウルタードを主人公としたリアリズムの青春小説である。

 ここでもバローハの文体は、何よりも簡潔をもって代表される。四六版300頁超(訳書)=7部53章という区分は、およそ6頁で一つの纏まりを叙述することになる。・ほとんどが会話体で覆われている章(2部うじ虫たち5さらにルルーについて)、・知的問答が続く章(4部尋問の章)や、・冒頭より改行が集中する章(5部地方での実験8ジレンマ)などは、独自の簡明な筆致を特徴付ける好例である。

 作家バローハの観察力は極めて高い。個人の日記を3人称で綴り直したような淡々とした場面が、無駄なく綿密に描出されている。周囲の人物も的確に捉えられ、その洞察力はなお深い。「ルルーは機知に富み抜け目がなく、人を惹きつける何かがあるのかもしれないが、女の子の一番の魅力である(・・・)ウルタードには思えた。それは労働や貧しさ、そして頭のよさがもたらす負の産物だった。」(2部1ミングラニーリャス家、p.76)の記述には、主人公(作家)の医師としてのまた科学者としての特性が窺える。

 「5部地方での実験」「6部マドリードでの実験」とあるが、ともに医師(医療関係者)として地域社会に貢献を重ねる日常生活の実践を指す。実人生においてマドリード大学で医学を修め、後年文学へと傾斜した経緯からすれば、これはクロード・ベルナール『実験医学研究序説』(1865)を基底とした、〈観察〉と〈実験〉を技法とするエミール・ゾラの『実験小説論』(1880)を意識した用語なのだろう、と評者は推測する。

かたくら・じゅうぞう
天理大学教授 スペイン・ラテンアメリカ文学