Autor del artículo

Chieko Uchida
内田 千重子
うちだちえこ
愛知県立大学非常勤講師。
専門はスペイン美術(サルバドール・ダリ研究)。
スペイン留学中に観たダリ展に感銘を受け、ダリ研究の道を志し、現在に至る。
趣味は美術館巡り・街歩き。

サルバドール・ダリと三人の分身

2011年5月

 カダケスの風景、幼少期の体験、取り巻く人々・・・。
 サルバドール・ダリと言う人物や彼の作品を語るうえで、不可欠な要素が幾つかありますが、今回はその中からダリを取り巻く人物、中でも彼が著書やインタビューで度々分身に準えた人物を取り上げたいと思います。

私は余分な兄とともに二重に生まれた。その兄を私はまず殺さなければならなかった、私自身の地位を獲得するために。

 ダリが最初に出会う分身は兄のサルバドールです。兄はダリが生まれる9ヶ月前に1歳9カ月で他界していたのですが、両親は幼くして亡くなった長男と同じ名前を次男にも与えました。この事実は、ダリに大きな混乱と苦悩をもたらすことになります。兄が生きていれば、自分がサルバドールという名前で存在することはなかったわけですし、そもそも誕生すらしていない可能性も考えられるからです。ダリは幼少時から自分の存在や死について思い悩みました。彼は周囲の人々の関心を引くために度々突飛な行動を引き起こしていますが、その背後には自分こそが正真正銘のサルバドールであることを自他に知らしめようという意図がありました。しかし、亡兄の存在を払拭することは不可能であるばかりか、その存在はますます大きくなり、兄の代わりに自分が墓に埋められ、土の中で肉体が腐敗しているというイメージをも喚起させるようになります。その朽ちていく肉体という主題はダリ作品の中に度々登場し、発展していくことになります。

すぐに私は新しい友人たちが私に何も与えてくれないくせに、私から全てを奪っていくことに気づいた(中略)が、フェデリコ・ガルシア・ロルカだけは別で、私に強烈な印象をもたらした。

 二人目の分身はフェデリコ・ガルシア・ロルカです。ダリとロルカは1923年3月、マドリードの学生館で出会いました。ダリはマドリードのサン・フェルナンド美術学校への入学に伴い学生館に寄宿したのですが、そこでその文学や音楽の才能からひときわ存在感を放っていたのがロルカでした。先に引用したダリのロルカに対する印象は二人が交友を結び始めた頃を振り返ってのものですが、知り合った当初からダリがロルカの芸術的才能に魅せられていたことが窺われます。しかし、ダリがロルカと強く結びつくようになる理由はそれだけではありませんでした。
 ダリは『告白できない告白』で、ロルカが自身の死の場面を演じていたことを回想しています。一連の演技の中で、ロルカは自分自身が徐々に腐敗していく段階や納棺の様子の一部始終を迫真の演技で演じていたといいます。また、『天才の日記』には、ロルカが一日に5回は自分の死を暗示するようなことを言っていたという記述があります。このように、ロルカもまた死に対して強迫観念を抱き、肉体の腐敗に対する明確なイメージを持っていました。これらの強迫観念やイメージの共有は、二人を精神的により一層強く結びつける役割を果たしました。
 ロルカとの間に相互作用が強く働いていた時期(1925年から1928年頃)は「ダリのロルカ時代」と呼ばれています。ダリは作品に度々ロルカを登場させているのですが、その中の≪静物「夢への誘い」≫、≪蜜は血よりも甘い≫、≪小さな遺骸たち≫といった作品では、二人の強迫観念を彷彿とさせる、切断された頭部という姿のロルカが描かれています。

一つの接吻が私の新しい未来を確約したのだ。ガラは私の人生における刺激剤となり、私の灯台、私の分身――つまり私自身になった。以後、永遠に結ばれたダリとガラが存在するようになった。

 三人目の分身は妻のガラです。二人が出会ったのは1929年の夏でした。その前年からダリはシュルレアリスムに接近しており、夏の休暇をカダケスで過ごすようポール・エリュアールらを招待していました。その招待を受け、エリュアールは当時妻であったガラや娘を連れてカダケスにやってきました。
 当時、ダリは極度の精神的緊張により引き起こされる激しい笑いの発作を抱えていました。ダリはそれが自身の性的不安によるものだと述べていますが、亡兄の存在や未だ父親から独立できずにいる自身の状況などもまた、彼の精神を不安定にする要因でした。ガラはダリからそれらの不安を少しずつ取り去り、身の回りの世話や絵の売り込みなどを一手に引き受けてダリを一人前の画家に成長させました。20世紀を代表する画家ダリは、ガラの存在なくしては誕生し得なかったのです。ダリは献身的なガラの支えに感謝し、作品に「ガラ=ダリ」と署名をしたり、ガラを称える発言を数多く行なったりしました。しかし、ダリが富と名声を得ていくにつれてガラの金銭欲や若い異性への執着も激しくなり、二人の間には徐々に距離が生じていきました。1950年前後から、ダリはガラの不在という事実に正当性を与えるかのように、度々女神や聖母――崇高で手の届かない存在――の姿をしたガラを描いています。
 ガラは自分の欲望を十分に満たせるだけの金銭を得るためにダリが望まない仕事を強制するようになり、遂にはダリの世話の一切を放棄してしまいました。そのため、晩年の二人の関係は良いものではありませんでしたが、それでも半世紀以上に渡り、ダリにとってガラはかけがえのない分身であり続けました。ガラを亡くした後も、ダリは「ガラ=ダリ」という署名を残しています。

文・写真提供  内田千重子


ダリとガラの名前をモチーフにしたアクセサリー



フィゲラスにあるダリの生家



マドリードの学生館 ここで、ダリとロルカは出会った