Autor del artículo

Masao Kuwabara
桑原真夫
くわばらまさお
1977年よりほぼ毎年スペインを訪問。1984年から1989年まで銀行員としてマドリッドに駐在。ヨーロッパ在住約14年。 スペイン関係主要著書;『斜めから見たスペイン』(山手書房新社)、『それぞれのスペイン』[共編著](山手書房新社)、『スペインの素顔』(河出書房新社)、『スペインとは?』(沖積舎)、『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)、『我が母へ』(沖積舎)、『ガリシアの歌・上巻』(行路社)、『花へ』[写真詩集](山手書房新社)他多数。

マドリッドの夜(5)

 前号ではフラメンコについて触れたが、今回はマドリッドの夜を飾るもう一つの華やかなショウについて書かねばならない。スペインには「サルスエラ」(Zarzuela)というオペラとも違うオペレッタでもない、独特の歌と踊りの音楽劇がある。

 サルスエラの創始者は、劇作家として有名なカルデロン・デ・ラ・バルカ(1600~81)と言われている。具体的には、1657年にサルスエラ宮で行われた新作喜劇「アポロの月桂樹」(カルデロン・デ・ラ・バルカ台本、フアン・イダルゴ作曲)の上演からこの種の音楽劇を「サルスエラ」と呼ぶようになった。それは17世紀前半より18世紀にかけて広まり、その後イタリアのオペラの進出により一時的に廃れたが、19世紀に入り格調の高いスペインの民族音楽として復活した。前者をバロック・サルスエラ(1630~1750)と呼び、後者をロマンティック・サルスエラ(1850~1950)と呼びこの時期はサルスエラの黄金時代と言われる。なお、サルスエラ宮の語源は、フェリペ4世の弟フェルナンドが作った別邸に野茨の一種であるサルサが生い茂っていたことにより、この別邸をサルスエラ宮と呼ぶようになったとのことである。

 私が最初にサルスエラを耳にしたのは、ベルギー駐在時代にスペイン語の先生であったスペイン大使館勤務のエドワルドからクリスマスの贈り物として頂戴したレコードであった。サルスエラとは何ぞやと思いながらレコードをかけてみると、そこには世にも不思議な世界が隠されていた。突然バラの花園に迷い込んだような、明るい音楽と歌と踊りのリズムの連続である。これまでに聞いたこともない音楽の世界であった。

 その後マドリッド駐在となった私はいよいよ本物のサルスエラを観ることになった。それは元スペイン大使の林屋永吉氏のお供としてであった。「いやあ~、サルスエラを観るのは実に久しぶりです」と嬉しそうにそわそわとしている林屋氏とともに、私は初めてサルスエラ劇場に入った。幕が上がると間もなく、観客に挑戦するような民族衣装のダイナミックな踊りが始まった。そして恋の駆け引きの掛け合いの台詞。今度はロマンティックな楽曲が観客の胸を甘く締め付ける。そしてまた踊り。最後はハッピーエンドで役者も観客も幸福に満たされて幕が降りる。

 その後何度もサルスエラを観たが、やはり一番印象深いのはエドワルドからもらって最初に接したサルスエラ「レボルトサ」である。パララ、パララ、パララッパーと始まる管弦楽の幕開けのメロデイーは、えも言われぬ心のときめきを覚える。これこそ19世紀以降のスペイン人の感性をみごとに表現しているのではないか。「レボルトサ」のほかには「パロマの前夜祭」もよい。また「ラバピエスの理髪師」や「ルイサ・フェルナンダ」もよく上演されている。

 マドリッドの夜で、カジノやバーやフラメンコに飽きたかたは、スペイン人の心の探索に是非ともサルスエラを観劇されることをお勧めする。そこにはまた一つスペインの素晴らしさがあなたを待っている。

(つづく)
 
桑原真夫