Autor del artículo

Masao Kuwabara
桑原真夫
くわばらまさお
1977年よりほぼ毎年スペインを訪問。1984年から1989年まで銀行員としてマドリッドに駐在。ヨーロッパ在住約14年。 スペイン関係主要著書;『斜めから見たスペイン』(山手書房新社)、『それぞれのスペイン』[共編著](山手書房新社)、『スペインの素顔』(河出書房新社)、『スペインとは?』(沖積舎)、『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)、『我が母へ』(沖積舎)、『ガリシアの歌・上巻』(行路社)、『花へ』[写真詩集](山手書房新社)他多数。

マドリッドの夜(6)

 6年近くマドリッドに住んでいた私は、マドリッドの夜のエピソードには事欠かないが、どうしても書いておきたい一つの思い出がある。

 私は今ではロサリア・デ・カストロ(注)の専門家のようになって、殆ど毎年ロサリアの作品を翻訳しているが、そもそもその切っ掛けとなった著書がある。ロサリアの没後百周年の1985年に出版されたその本は『Rosalía de Castro: La luz de la negra sombra』(Silex)という題で著者はEugenia Monteroであった。この本はロサリアの伝記としてはよく纏まっており、ロサリア研究には必読の内容であった。私は1989年に転勤で日本に帰国後もこの本の翻訳を続け、いつかは本にして出版したいと考えるようになった。そして帰国の翌年1990年9月に休暇を利用してロサリアの終焉の地パドロンを訪れる計画をたて、その際マドリッドでこの著者と会うことにした。早速我が社のマドリッド支店のO君に電話をし、出版社経由著者とのアポをとってもらった。

 マドリッドに着いた日、定宿であるPadre Damián通りのホテル・ユーロビルディングの私の部屋にO君から電話があり「例の著者は明日午前11時にホテルに伺うことになっています。ご存知だとは思いますが、この著者は女性ですよ。しかも声からすると若い女性と思われます」とのことであった。それまで気付かなかったが、確かにエウヘニアは女性名である!こんな大部の著書を書ける人物が若い女性というO君の言葉に、私は半信半疑であった。

 翌日ちょうど11時にホテルの受付から私に来客の電話が鳴った。私は急いでエレベーターでロビーに降りていった。そこには確かに若い女性がにこやかに立っていた。しかも、美人である!背のスラリとした魅力的な女性であった。彼女のかもし出す雰囲気はただ者ではない。お互い自己紹介したあと、ホテルのキャフェテリアの椅子に腰を下ろしインタビューを始めた。

 彼女の『ロサリア・デ・カストロ』を書くことになった動機、ロサリアとのかかわりなど、いろいろ質問していった。そして最後に私はこう尋ねた。「ところであなたの本職は何なのでしょうか?作家でしょうか?」 すると彼女は、何だと思いますかと私の推測を楽しんでいたがこう答えた。「私の本職はバレリーナです。幼いころからクラッシック・バレエをやってきました。あの本はロサリア没後百周年にたまたま書いてみる気持ちになったのです。私自身、詩も書きますし文学は大好きですから」

 「バレリーナ!」 そうか道理で彼女との初対面にこれは「ただ者ではない」と感じたわけである。歩き方、話し方、微笑み方、どれもこれも私が知っているスペイン女性にはないものである。聞けば彼女の家系はアンダルシア出身の貴族とのこと。これまでにいろんなスペイン女性と友人になったが、彼女には独特の雰囲気がある。それは主にバレリーナ(しかもプリマドンナである!)という職業からくるものであろう。もちろん、貴族の家系という優雅さもある。鼻筋の通った(スペイン人であれば当り前ではあるが)、黒髪の典型的なアンダルシア美人である。輝く知性的な目と、なぞらえるようなゆっくりとした話し方が特徴的であった。さっそく私は彼女に翌日の夕食の招待を申し出た。昼間はダンスのレッスンがあるので時間がとれないが、夜ならなんとかなるとのこと。明日の夕食を誰ととろうか迷っていたところでもあり、私はこの美女とマドリッドの一夜を、夕食をともにすることができる幸運に欣喜雀躍したのであった。  

(この章つづく)
 
桑原真夫


(注) スペインを代表する十九世紀の詩人・作家。1837年2月にサンティアゴ・デ・コンポステーラで生まれ、1885年7月にパドロンの「マタンサ」(現在のロサリア記念館)と呼ばれた自宅で死去。短い生涯に多くの詩集と小説を残した。ガリシア語で書かれた詩集『ガリシアの歌』は十九世紀ガリシアの文芸復興を代表する作品として有名である。



自著をもつエウへニア