Autor del artículo

Saeru Matsuda
松田 冴
まつだ さえる
1983年5月19日生まれ。 宮崎県出身。1992年にFCバルセロナが来日した際にファンになり、2007年には念願のソシオ入会を果たす。京都外国語大学大学院でFCバルセロナをカタルーニャ民族主義の側面から研究中。

バロンドール製造工場「ラ・マジーア」

2011年08月

 FCバルセロナの4度目の欧州制覇が記憶に新しい昨今であるが、FCバルセロナの強さの理由を考える時、最終的にいきつくのがカンテーラ(下部組織)の選手寮“ラ・マジーア”の存在である。このラ・マジーアから巣立ったメッシ、チャビ、イニエスタが2010年のバロンドール(世界最優秀選手賞)最終候補3人にノミネートされたのは周知の事実であるが、彼ら以外にもバルデス、プジョール、ピケー、ブスケッツ、ペドロ、ボージャン、ジェフレン、ティアゴなど、ラ・マジーアから巣立ちバルサの主力として活躍する選手は数多く、トップチームのスタメンは常時7~8人のカンテラーノ(下部組織出身の選手)で占められており、このラ・マジーアはバルサのフットボール哲学のシンボルとも言える重要な施設である。

 1702年に完成したこの建物はもともと農家の厩舎及び居住空間(ラ・マジーアとはカタルーニャ語で農家という意味)として使用されていたが、バルサに売却されて以降は1970年代くらいまではクラブのオフィスとして使用されていた。内戦後間もない頃は、下部組織にスカウトしてくる選手の大半はバルセロナ市内在住の選手ばかりで選手寮を設ける必要はなかったが、1960年代に入るとカタルーニャ以外からも積極的に若い才能を受け入れるようになり、当然親元を離れて暮らす彼らが寝泊りする施設が必要になってくる。当初は格安のホテルや寄宿舎などで生活していたそうだが、あまり良い環境ではなく、加えて多感な時期にこれといった規律のない生活を送る彼らにとってバルセロナという街はあまりにも誘惑が多すぎてスポーツに打ち込める環境とは言い難い状況であった。クラブはそうした状況を改善するために他のクラブに先駆けて選手寮を設置することを決定し、その場所に選ばれたのが彼らの夢のステージ、カム・ノウ(カンプ・ノウ)から徒歩5分のところに隣接するラ・マジーアであった。


「Joan ⅩⅩⅢ」通り沿いにあるラ・マジーア。
聖地カム・ノウ(カンプ・ノウ)から徒歩5分のところに隣接している。
グァルディオラ監督もここでバルサの哲学を学んだ一人である。


 現在のバルサのスタイルは、1970年代にオランダのリヌス・ミケルスが考案しヨハン・クライフが体現したトータルフットボールをカタルーニャ風にアレンジしたものだが、ラ・マジーアの重要性がより増すようになったのは1988年にクライフが監督に就任してからである。それ以前のバルサは選手を育てることよりもむしろ買うことに躍起になっていた傾向があったが、クライフ以降は一変しカンテラーノを重用するようになった。トップチームから一番下のカテゴリーであるベンハミン(現在はプレベンハミンで7歳対象のカテゴリー)に至るまで同じ戦術、同じ練習方法が取り入れられ、10年、20年という長いサイクルでチーム育成が行われるようになった。バロンドールにノミネートされた3人は10代前半の頃からバルサのカンテーラでプレーしており、11歳で入団したチャビに至っては20年近くバルサでプレーしている。バルサの練習は狭いエリアの中で行う11人対11人のポゼッションゲーム(素早いパス回しでボールを長時間キープする練習)が主体であるが、最も冷静さを失いやすい密集という状況における広い視野と素早い判断力、ボールを失わない技術が要求される。“バルサは一日にして成らず”と言われるように、バルサスタイルは一日や二日で完成するような単純なものではなく、持ち前の才能以上に長い間の積み重ねが大事であり、いかなる状況においても努力を惜しまない選手が最終的にはトップチームにまで登りつめるのである。

 バルサというとどうしてもフットボールばかりに目が行きがちだが、ラ・マジーアが重視するのはフットボールを通して優れた人格を備えた知性溢れる教養豊かな人間を育てることであり、学業をさぼる選手には練習への参加を禁止し課題や宿題を強制するなど、かなり厳しい罰則も設けられている。学業面に限らず生活全般に渡って厳しい規律のもとに管理されストイックな毎日を送っている。持ち込みが許可されている物はノートや教科書くらいで、漫画やゲーム、成人雑誌などは影も形もない。当然多感な時期の若者がこのようなストイックな環境に身を置けば、ストレスから盗みや口論、ホームシックなどのトラブルはつきものである。とはいえ若い時期に世界最高クラスのポテンシャルを持った金の卵たちと苦楽を共にし切磋琢磨できる経験は何物にも代え難い貴重なものではないだろうか。フットボールに打ち込む傍らイニエスタやムニエサのように大学に進学する選手も多々おり、学業面でもここ最近は目覚ましい成果を上げている。いくらバルサがカンテラーノ重視だからといってもトップチームに昇格できるのは極一握りの選手に過ぎず、他のクラブでのプレーはおろかプロになる夢を諦める選手も多々いるというのが現実であり、志半ばで夢を断たれた彼らにどういった道を切り開いてあげられるかということもこの寮に託された重要な役割ではないだろうか。いずれにせよプロになるかならないかは別にしてラ・マジーアから巣立った人間はフットボールの才能にもまして優れた人格者であり、加えて単にプレーの素晴らしさだけでなく人間的な部分にも着目したうえでバロンドール受賞者は選出されるべきであると私は考える。そういった意味で2010年のバロンドール最終候補の3人が全てバルサの選手で占められたこと及び、バルサが現在欧州チャンピオンに君臨していることに関しては文句の付け様がなく、これはラ・マジーアが育んだバルサの歴史の勝利ではないだろうか。まもなく新シーズンが開幕するが、彼らの快進撃はしばらく続きそうである。

松田 冴
写真提供 Centre de Documentació i Estudis del FC Barcelona


食堂。座席の指定はなく毎回奥の方から来た順番に座る。
メニューはカタルーニャの郷土料理などが中心。



自習スペース。フットボールに打ち込む傍ら勉学にも精を出す。