Autor del artículo

Masao Kuwabara
桑原真夫
くわばらまさお
1977年よりほぼ毎年スペインを訪問。1984年から1989年まで銀行員としてマドリッドに駐在。ヨーロッパ在住約14年。 スペイン関係主要著書;『斜めから見たスペイン』(山手書房新社)、『それぞれのスペイン』[共編著](山手書房新社)、『スペインの素顔』(河出書房新社)、『スペインとは?』(沖積舎)、『ロサリア・デ・カストロという詩人』(沖積舎)、『我が母へ』(沖積舎)、『ガリシアの歌・上巻』(行路社)、『花へ』[写真詩集](山手書房新社)他多数。

マドリッドの夜(8)

2012年02月

 所用があってまたスペインに行ってきた。目的地はア・コルーニャ(ラ・コルーニャ)であったが、当然マドリッド経由とした。到着した日とその次の日はホテルはユーロビルディングに宿泊した。嘗ては5つ星の超高級ホテルであった。1970年代後半にしばしば利用したホテルである。チェックインのとき受付で「以前このホテルをご利用なさったことがありますか?」と聞かれた。一瞬答えに窮した。少し考えてから「多分、100回以上は利用していると思います。何しろ1970年代から利用していますから」と、答えた。初老の受付のスペイン人は目を輝かせて「私は1970年のこのホテル設立からここにおります。それではお客さんとは何度か会話をしたかも知れませんね」と、言った。「ええ、何度もお会いしていると思います。しかも私はアミーガと一緒だったでしょう」と片目を瞑って見せた。レセプショニストはその意味を即座に理解し高らかに笑った。

 ア・コルーニャには数日滞在した。現在翻訳を進めているガリシアの女流詩人ルース・ポソ・ガルサとのインタヴューのためであった。10年ぶりで会ったルースは多少衰えているとはいえ、その知性とユーモアの輝きは全く変わっていなかった。インタヴューが一段落したあと、翻訳本の表紙に使う写真について話し合った。私は彼女が二十年程前に出した詩集の中にある、大鐘楼をバックに写った彼女の写真が気に入っていたので、これを是非とも使いたいと申し出た。しかし彼女は「この写真は光が横から当たりすぎて、片方の顔が黒人のように黒くなっているので好きではない」と柔らかく謝絶した。同席した彼女の娘たちは10年ほど前の彼女の全集の表紙に使われている、凛々しい横顔の写真ではどうかと提案した。しかしこれもどうも彼女は気に入らない様子であった。そこで私は彼女の書斎をバックに新たに写真を撮ることになった。日本に帰ってから現像して写真を送るので、その出来栄えによって最終的にどの写真を採用するか決めてもらうこととなった。

 さてア・コルーニャからまたマドリッドに帰ってきた。今度はマドリッドに3連泊するので、ホテルはエージェント経由で安ホテルを予約しておいた。セラーノ通りにあるそのホテルは名前のとおり大変小さなホテルであった。しかし立地的に銀座や青山のような場所なので大変混んでいた。受付嬢はいつも不愉快な顔と態度をしていた。いかにも「こんな安給料で、何でこんなに沢山のお客を私一人でさばかねばならないのか!」という顔をしていた。高級ホテルのユーロビルディングとは雲泥の差である。

 ここからマドリッドの夜のその(8)が始まる。このホテルに到着した翌日、夕食は旧友のヘスス夫妻ととることになっていた。前日彼の家に電話をすると奥さんのローサが出てきて「今主人は不在ですが、明日改めてどこでお会いするか主人から電話をします」とのことであった。当日、昼間は「FNAC」や「Corte Ingles」を回り十分に買い物をした。その後は嘗て6年間スペインに住んでいたのに一度も訪れたことのないMuseo del Romanticismoを訪れた。さりげなく置かれたピアノや揺りかごなど19世紀貴族の生活がそのままなまなましく展示されており、スペインの19世紀文学を中心に翻訳している私にとってはまさに翻訳の世界そのものに迷い込んだ感があった。それよりも19世紀の絵画群が豊富であったのは私を喜ばせた。エスキベルの古典派からロマン派のベッケル(詩人ベッケルの兄で弟と同様夭折)、ルーカス・ベラスケス、エスパルテール、F・マドラッソ、ロペスなどなど。

 さて、夕刻になって私はホテルに帰りヘススからの電話を待った。予定通り7時過ぎにヘススからの電話。「今晩はテラサ・デル・カシノという近代的なレストランか、カーサ・ルシオの伝統的なレストランか、どちらにする?両方とも予約してあるが」私はどちらにも行ったことがないので君に任せると言った。「それではルシオにしよう、7時半ころには落ち合えるから。¡Hasta pronto!」ということとなった。

 私は盛装してネクタイをつけホテルのレセプションで待っていた。7時半になってもヘスス夫妻は現れない。7時40分になっても現れない。ひょっとして自分の聞き間違いではないかと不安になった。8時も近くなった時点で、待ち合わせ場所は「テラサ・デル・カシノ」ではなかったかと思いだした。こんな早い時間帯なので、そこで一杯飲んでから「カーサ・ルシオ」に行こうということではなかったのか。私はあわててタクシーを拾って「テラサ・デル・カシノ」のあるアルカラ通りに向った。アルカラ通りはこのホテルからは近い。間違っていればまたホテルに帰ってくればよい。ところが夜の8時のマドリッドの中心街は正にラッシュアワーである。なかなか前に進まない。そのうち運転手は痺れをきらし、近道のつもりで小さな通りに滑り込み右へ左へハンドルを切る。やっと大通りに出たと思ったら警官が一杯いて通行規制をしている。我々が向う方向は(一時的であろうが)進入禁止となっている!またまた元来た方に引き返す。こんな繰り返しをしている間に1時間も経ってしまった。結局、「テラサ・デル・カシノ」にはタクシーでは行けず、途中で下車して徒歩で向った。やっと着いて受付に尋ねると、予約はすでにキャンセルされているとのこと!

 またまた私は車が流れている大通りまで歩いて再びタクシーを拾い、ホテルに向う。まだラッシュアワーが続いておりスンナリとはホテルには辿りつかない。9時半ころホテルに着いた私はすぐに部屋に入り何かメッセージが入っていないか確認したが、何もない。そうかやはり落ち合う場所は「カーサ・ルシオ」だったのだ。私は三度タクシーを拾いマドリッドの下町にある「カーサ・ルシオ」を目指したのであった。ホテルを出るとき受付のほうを振り返ると、あのいつも不愉快な受付嬢がチラリと私の方を見た。受付は相変わらず沢山の人で混みあっていた。

(この章つづく)
 
桑原真夫