Autor del artículo

Shoji Bando
坂東 省次 (ばんどう しょうじ) 
京都外国語大学スペイン語学科長・教授。京都セルバンテス懇話会代表。 専攻はスペイン語学、日西交流史。 近著に『スペインを訪れた日本人ーエリートたちの異文化体験』(行路社)がある。

エル・グレコが倉敷にやって来た

2012年08月

 スペインの古都トレド訪問の目的は人によってさまざまであるが、何よりもエル・グレコとの出会いを目的にトレドを訪れる人が圧倒的に多いのではないだろうか。エル・グレコは16世紀スペイン最大の画家として知られるが、出身はギリシャのクレタ島であり、本名はドメニコス・テオトコプーロス、通称エル・グレコ(ギリシャの人)と呼ばれるようになった。エル・グレコは今でこそ16世紀スペイン最大の画家といわれるが、評価が定まったのは、死後300年も経った19世紀はじめのこと、スペインの碩学マヌエル・コシオによって見出されたという。

 日本にもエル・グレコを見出した人物がいた。画家の児島虎次郎(1881-1929)その人である。児島は倉敷の大原美術館の創立者大原孫三郎の援助を受けて画家の道を歩んだ。1908(明治41)年から5年間ヨーロッパに留学して、ベルギーのガンの美術学校に学んでいる。

 二度目からの児島の渡欧の目的は、後の大原美術館の基になる西欧絵画のコレクションの蒐集であった。第一回目の蒐集は、1919(大正8)年のこと、当時の現代フランス絵画が中心で、モネの《睡蓮》、マチスの《画家の娘》など18名の画家の作品27点を入手している。この時、児島は44日間に及ぶスペイン旅行を企てている。マドリードでは当時スペインに留学中の京都の生んだ洋画家、須田国太郎(1891-1961)と出会い、彼の案内でプラド美術館を訪れている。館内で児島はベラスケスやゴヤなどスペインの画家の名作と出会って驚きの連続であったという。

 「中でも、ひときわ目を引いたのが、天と地の間を浮遊するかのようなグレコの宗教画だった。「LA ANUNCIACION」と記され、それは「受胎告知 聖母マリアへのお告げ」を意味した。」
 「神秘的でしょう」
 須田の声は耳に入らない。
 虎次郎は雷に打たれたように、立ちつくした」 注1


 二回目の蒐集は1922(大正11)年のことで、このとき児島はゴーギャンの《かぐわしき大地》、ロートレックの《マルトX夫人の肖像》らとともにグレコの《受胎告知》を手に入れたのであった。入手したのは、スペインではなく、フランスであった。パリの凱旋門の近くにある有名画廊、ベルネーム・ジュンヌをのぞいていた児島は、壁にかかっている《受胎告知》を見つけ、それを日本に持ち帰ったのである。
 《受胎告知》は、大原美術館の顔である。

「素晴らしい。グレコ1点をみるだけでも来た価値があったよ」注2

1923(大正12)年7月31日、京都の洋画家・黒田重太郎(二科会会員、1881-1970)は、倉敷の大原家の蔵に置かれていたグレコの名画を観て、このようにうなったという。そして、日本でもエル・グレコの名は人口に膾炙し、スペインを訪れる日本人は、必ずといっていいくらいトレドにエル・グレコを観に行くようになった。

(注1・2はいずれも山陽新聞社編『夢にかける大原美術館の軌跡』1991年、からの引用です。)

坂東 省次