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Autor del artículo

Shizuka Shimoyama
下山静香
桐朋学園大学卒。文化庁派遣芸術家在外研修員としてスペインへ渡り、マドリード、バルセロナで研鑽。スペイン各地に招かれリサイタルを行い、「スペインの心を持つピアニスト」と賞される。ラジオ、テレビ番組に多数出演、これまでに多くのCDや書籍をリリース。現在、スペイン・中南米音楽を含む多彩なレパートリーをもつピアニストとして活発な演奏活動を展開。またクラシック界において、翻訳・執筆・講演・舞踊とマルチにこなすユニークな存在として注目を浴びている。

Official Website サラバンダ
http://www.h7.dion.ne.jp/~shizupf

裸足のピアニスト・下山静香のブログ 
http://ameblo.jp/shizukamusica
モンポウ
~ 響きに魅入られた作曲家 ~

2012年08月

 「ピアノの詩人」といえば?・・・こう尋ねられて、あなたは誰の名を挙げるだろうか。「それはやっぱり、ショパンじゃない?」これは模範解答、誰もが認める組み合わせ。「詩的という意味なら、シューマンでは?」同感、確かに。しかし、そこでちょっと控え目に、「モンポウもいいよね・・・」なんてつぶやいたとしたら。あなたはピアノ通として一目置かれる存在になる、かもしれない。

 フェデリコ・モンポウ。奇しくもショパンと同じ名(「フェデリコ」は、「フレデリック」のスペイン語名)の彼は、発展著しい19世紀末のバルセロナに生まれたカタルーニャの人である。作曲に関してはほぼ独学で、ギターのための《コンポステラ組曲》や愛すべき歌曲集、「20世紀に書かれたもっとも美しいオラトリオ」と呼ばれる《インプロペリオス(叱責)》などの作品があるが、彼の音楽が持つ魅力は、やはり数多くのピアノ曲において最大限に発揮されていると言っていいだろう。そしてその世界は、"誰にも似ていない"―― 「孤高の作曲家」と呼ばれる所以だ。

 もっとも、後世に名を残す大作曲家たちの音楽はみな、それ自体が名刺のようなもので、それぞれに自分だけの個性が刻まれているわけなのだが、「ピアノ音楽」をある観点からみるならば、19世紀ロマン派を代表する"ピアノの貴公子"ショパンとリストが、当時著しく向上した楽器の性能を生かしてピアノの可能性を開拓し、また19世紀末から20世紀前半にかけては、ドビュッシーやラヴェルがさらに新しい響きを創りだして、もはや「ピアノ」という宝箱の中身は出つくしたかと思われていた。

 そんなとき、まだ聴かれたことのないピアノの秘密をそっと差しだしてみせたのが、モンポウなのである。それも、ごくシンプルなやり方で。

 彼のピアノ曲を聴いたフランスの高名な批評家ヴュイエルモーズは、驚きをもってこう紹介した。

「フェデリコ・モンポウは、ピアノの詩人である」―――

 私が初めてモンポウを聴いたのは、世界的なスペイン人ピアニストA.デ・ラローチャのCDだったと思う。それまで持っていた「スペイン音楽」のイメージとは違う、耳を澄まさずにいられない不思議な音楽。気になって、楽譜を手に入れ、1995年のデビューリサイタルでは、初期の作品《内なる印象》から何曲かをプログラムに入れてみた。独自の感覚で選ばれている、感じやすい音。静かだった水面に波紋が広がるような和音の響き。そして、「音と音のあいだ」の豊かさが、とても新鮮だった。それらに俳句や墨絵にも通じるものを感じた私は、「モンポウの音楽って、日本的な感性に近いものがあるのかしら?」と思ったりしたものだ。

 そのうち、彼が生み出した独特の「響き」には、「鐘の音」が大きく関わっていることを知る。モンポウの母(フランス人)が生まれたダンコース家は、「音楽的な音色」の保証を謳う鐘鋳造の名門で、パリのノートルダム大聖堂やモンマルトル聖心教会に鐘を納めていたほどだった。モンポウは幼い頃、祖父の鋳造工場に遊びに行くと、時間の経つのも忘れて、その広い空間で鐘の倍音が共鳴し混じりあっていくさまにじっと耳を傾けていたのだという。これが、モンポウの感性に深く刻まれることになった「音の原体験」である。

 ここで、ちょっと寄り道。そもそも、ピアノとは何か?「楽器の王様」と呼ばれるのは、その大きさのみならず、オーケストラのほぼすべての音域を1台でカバーできるから。外見は鍵盤楽器だけれど、上から覗くと、たくさんの弦が張ってある弦楽器。中の仕組みを見れば、鍵盤に連動して動くハンマーが弦を打つことで音が出るので、打楽器でもある。モンポウのピアノのとらえ方はたぶん、この「打弦」――― 金属弦を打って音を響かせる、というイメージが重要な核になっているのだと思う。

 10年ほど前だったか、バルセロナで、モンポウの未亡人カルメン・ブラーボ女史による、モンポウのピアノ作品の講習会が開催された。彼女はその頃すでに80歳を超えていらしたが、とてもエネルギッシュで、全力投球の集中力でレッスンなさり、何時間かすると「ちょっと休憩」とピアノを離れ、煙草をスパスパ・・・。品のよさと豪快さがほどよくブレンドされた、まさに「かっこいいスペイン女性」だった。ピアニストだったカルメン女史は、モンポウの音楽がもつ素晴らしさ、その真の姿を伝えたいという強い思いをもって、精力的に活動しておられた。講習会では、実技レッスン以外にも、テレビのドキュメンタリー番組に出演した折のモンポウの映像を見せてくれたり、彼はとてもシャイだったけれど、同時に、人のなかにいることやユーモアが大好きだった、などといったエピソードを聞かせてくれたりした。そして、そんな話の端々から、彼女がどんなにモンポウを愛していたかが、ひしひしと伝わってきたのだった。

 レッスンで一番印象的だったのは、「流れ星のしっぽをつかまえる」という表現。

 「音をひとたび鳴らすと、そのあとに、響きが豊かになる瞬間があるの。そしてその響きが流れ星のように降りてくるから、後ろに引いてるしっぽを耳でうまくつかまえて、次の音の音量や音質を決めるのよ。それが、モンポウが言っていた音楽の紡ぎ方なの」

 あ、あの鐘のイメージ!・・・目からうろこ、であった。弾いたあとに響きが豊かになる?そしてそれをどのように聴くかで、最終的には音楽全体の印象が変わってしまうとは・・・。すべては「耳」が勝負なのだ。カルメンも、まるで全身が耳になったように、目をつぶって受講生が弾く音を聴き澄まし、これだ、という響きが奏でられるまで、「違う」「もう一度」「よく聴いて」・・・と根気よく繰り返していた。まるで、モンポウが彼女の姿を借りて、そこにいるかのように。

 その数年後、カルメンは、87歳で亡くなられた。2007年、モンポウの死からちょうど20年後のことだった。

「私の目的は、もっとも研ぎ澄まされた内なる耳でも容易には出逢えないような響きを創りだすことでした」
――― フェデリコ・モンポウ

 内なる耳。それは「心」や「本能」とも言えるもので、内なる耳を研ぎ澄ますとは「心を開くこと」「本能で感じ取ること」ではないだろうか、と思う。そしてモンポウは実際に、「容易には出逢えないような響きを創りだした」――というよりも、宇宙の神秘のなかにすでに息づいていた響きを「発見した」のだろう。その研ぎ澄まされた、内なる耳で。

 だから、モンポウの音楽はとても自然。どんなにひそやかなときでも「開いて」いて、聴く人を受け入れてくれる音なのだ。

 サティに似ているとか、サロン風の音楽とか、的外れな紹介も多いなか(表面的にサティに通じる曲があるのは確かだが)、今年没後25周年という節目を迎えたモンポウ。ぜひ、より多くの人に彼の「打ち明け話」を聴いてほしい、と願いながらも、いつまでも宝箱のなかでそっと光る存在でいてほしいな・・・という気持ちも、ほんのちょっとだけよぎったりする、ワガママな私なのだった。

文・写真  下山静香


故カルメン・ブラーボ女史と マーシャル音楽院(バルセロナ)にて