Autor del artículo

Kazuichi Enomoto
榎本和以智 / えのもとかずいち
1948年東京生まれ。
中央大学文学部中退。1968年より数年の無銭旅行後、1974年よりスペイン在住。日本食堂、貿易会社等を経営現在に至る。著書に、日本人には分からないスペインの生活(南雲堂)、現代スペイン語俗語慣用語集(南雲堂フェニックス)、男と女のスペイン語会話術(TLS出版)などがある。

マエストランサ闘牛場

2013年05月

 セビリャには、2つの重要な祭がある。一つは、セマナ・サンタ〔宗教祭〕で、もう一つはフェリア・デ・アブリル〔春祭り〕である。

 春祭りには2つの重要な会場があり、一つはロス・レメディオス地区の隣にあるフェリアの会場、あと一つは春祭り闘牛祭のマエストランサ闘牛場である。セビリャは、春祭りの期間中、十数試合の闘牛興行とセビリャーナス踊りの街と化すのである。

 普通、闘牛場の持ち主は、市等の地方自治体で、興行主が入札で落として興行権を獲得し経営するのである。しかし、国内に数箇所Real Maestranza de Caballería(王立騎士協会)が闘牛場の持ち主と言うところがある。セビリャ、ロンダ、グラナダ、バレンシア、サラゴサの闘牛場などがそれである。収益は当然、地方自治体のものにならず、王立騎士協会のものとなる。

 王立騎士協会の歴史は古く、レコンキスタ時代の頃、貴族が戦争のためにより良い騎馬術・武器術を習得するために設立された、貴族のための教育協会であった。イスラム教徒との共存共栄の時代が続くと、この協会も廃れたが、セビリャでは1670年、カルロス2世の時代に騎士道が再び甦って、貴族のための騎士協会が設立された。

 1730年、フェリペ5世の許可により、騎士協会は、現在の闘牛場の近くに木造、長方形の自らの闘牛場を建設した。1763年には Palco del Príncipe (王子のバルコニー) と言う、王家の特別観賞席が作られた。その後、再三再四の改築を余儀なくされて、1881年には建築家、フアン・タラベラによってバロック風の現在の闘牛場が完成することになった。幾度も造り直しを重ねたため、闘牛場は正確な円形ではなく、どちらか言うと卵型のいびつな円形である。収容観客席数は約12,700人である。

 1965年より、春祭り闘牛祭が主催され、多くの最優秀闘牛士がでて、闘牛界トップに登りつめた。中でも、地元闘牛士、 Curro Romero 〔クーロ・ロメロ〕は、神話化され、Curroの春祭り、春祭りのCurroと呼ばれた時代があった。普通、良い演技で、耳を2枚切ると、Puerta Grande 〔大門〕から、肩車で闘牛士が担ぎ出されるのだが、ここセビリャでは、最低3枚で、大門ではなく、 Puerta del Príncipe 〔王子の門〕から肩車で出るようになっている。なお、 Real Maestranza de Caballería de Sevilla の名誉会長は、現国王、フアン・カルロス1世である。

榎本和以智


満員のマエストランサ闘牛場。緊迫した空気が流れる



Puerta del Príncipe 〔王子の門 〕
この門から肩車で出ることは多くの闘牛士の夢だ