Autor del artículo

Mari Watanabe
渡辺万里 / わたなべまり
学習院大学法学部政治学科卒。
1975年よりスペインで食文化史の研究に取り組むと同時に、スペイン料理界最前線での取材に従事する。
1989年、東京・目白に『スペイン料理文化アカデミー』を開設。さらに各地での講演、執筆などを通してスペイン文化の紹介に携わっている。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。
著書に「エル・ブジ究極のレシピ集」(日本文芸社)、「修道院のうずら料理」(現代書館)、「スペインの竃から」(現代書館)など。

スペイン料理文化アカデミー
http://academia-spain.com
〒171-0031 東京都豊島区目白4-23-2  TEL : 03-3953-8414
スペイン料理クラス、スペインワインを楽しむ会、フラメンコ・ギタークラスなど開催


INFORMACIÓN

[ キッチン・クラブ KITCHEN CLUB ]
住所: Ballesta, 8 Madrid.
Tel: 91 522 62 63, 628 14 73 71.
Web: www.kitchenclub.es

[ アランビケ ALAMBIQUE ]
住所: Plaza de la Encarnación, 2. Madrid.
Tel 91 547 42 20, 91 559 78 58.
Web: www.alambique.com

[ ア・プント A PUNTO ]
住所: Pelayo, 60. Madrid.
Tel: 91 702 10 41.
Web: www.apuntolibreria.com

cazuela

cazuela

マドリード 料理教室体験記

2013年05月

「アンドレスの料理クラスへ」

 私が初めてスペインに渡った、今から30年以上前のこと。マドリードには料理教室というものはほとんど存在しなかった。調理師学校ではなくて短期でも受講できるところ、資格に関係なく料理を習うところというと、昔風の小さな料理学校と、調理用品を売る店に併設された料理教室の二つだけ。言い換えれば「お金を払って料理を習いにでかけていく」という感覚そのものが、ほとんど存在しなかったわけだ。

 当時の私は、「そうか、家庭料理というのは母から娘へと家庭で受け継がれていくもので、わざわざ習いに行くものではないのだなあ」と感心していたけれど、料理だけでなく「趣味のためにお金を払って何かを習う」という場所そのものが、当時のスペインにはきわめて少なかったのだ。カルチャアスクールが群居する日本とは、随分事情が違う。

 ところが現在のマドリードには、以前よりずっと豊富に料理を学ぶためのチョイスがある。ネット上にも様々な広告や案内が載っている。値段も決して安くはない。50ユーロから90ユーロというのは、スペインの物価から換算すると、かなり高いと言っていいだろう。

 そして教室の内容も、バリエーションに富んでいる。タイ料理、日本料理、特に「簡単なスシ」というようなクラスが方々にある。ペルー料理からカップケーキのクラスまで、そのチョイスの幅の広さは驚くほどで、スペインの食シーンもここまで国際的になってきたのかと感慨を新たにしてしまう。

 そんななかで私は、ぜひ行ってみたい「キッチン・クラブ」という教室を見つけた。いかにも今人気のスクールらしく「タイ料理」から「日本料理」に至るまで様々なコースがあるなかで、一番人気のクラスのひとつが「アンドレスのスタジオ」というタイトルなのだ。かれこれ20年前から知っているシェフ、アンドレス・マドリガルの料理を習えるのなら、ぜひ参加したい。

 アンドレスは、私が料理雑誌のためにスペインのトップレストランの取材をして廻っていた頃、私のお気に入りレストランのひとつ「オリーボ」のシェフだった。この店のオーナーはフランス人で、フランス人だからこそスペインの食の魅力がどこにあるかに目ざとく注目した。そのキーワードとは「オリーブオイル」と「シェリー酒」である。

 このレストランでは、料理を注文すると「オリーブオイルのカート」が来て、料理に添えるのにオリーブオイルを選ばせてくれる。そして常に10種類以上のシェリーを、詳しい説明とともに試すことができる。その店のシェフとして、まさに「地中海料理」という名前にふさわしいのびのびとした料理を作っていた若いシェフが、アンドレスだったのだ。

 そのあと彼は、いくつかのレストランのシェフを務め、ミシュランの星もとり着実にシェフとしての業績を積んできたのだが、ある時点で、「より自由な仕事の形態」とでもいうべきものに自分の道を見出したようだ。現在では、マドリードのいくつかのレストランのメニューをオーガナイズする、南米各国で料理指導をするなど、彼の活躍の舞台はより広がりつつあるらしい。

 ずいぶん昔から、「スペイン料理」とか「どこの地方料理」という枠組みを嫌って、自由な料理の世界を築いてきたアンドレス。それでいて新しいテクニックを追うだけでなく、地に足のついた地道な料理を得意とする彼が、今何を目指しているのか、大いに興味をそそられる。早速ネットで問い合わせると、彼のクラスは定員が8名で、今月2回あるうちの1回はまだ申し込み可能だというので、早速ネット上で予約・申し込みを済ませた。

 アンドレスはどんな料理を教えてくれるのか? マドリードの最近の料理教室は、いったいどんな雰囲気なのか? いくつもの楽しみな疑問を抱えて私は、一日だけの生徒となるべくキッチン・クラブへと向かった。



「ちょっと危ない場所の、おしゃれなクラス」

 この記事を読んで「私も参加しよう」と思う方のために、一言断っておこう。「キッチン・クラブ」がある場所は、決して品のいい場所ではない。私の主人の家族は「え、あんな場所に行くの?」とびっくりしたし、友人にも「夜は行かない方がいい」と言われた。当日タクシーに乗って行く先を告げると、運転手さんはミラー越しに私の顔をしげしげと見た。治安が悪いから気をつけろと言われるのはスペインでは日常茶飯事だから気にしなかったのだが、いざ通りに着いてみたら、皆の言っていた意味がわかった。昼の12時だというのに、狭い通りの両側に、次々と女性が立っている。「世界最古の職業」の女性たちだと一目でわかる。私はあわてて、タクシーの運転手さんに言い訳した。
「料理教室に行くので、その番地の建物の前まで送ってくださいね」

 そんなハプニングがあったとはいえ無事到着してみると、狭い間口の教室はガラス張りで、とてもおしゃれな空間になっていた。ぼちぼち集まってきた生徒の面々をみると、とりあえず男性女性がおよそ半々なのがわかる。年代もばらばら。生徒同士であいさつを交わしていると、アンドレスがやってきた。
「さあ、さっそく始めるよ。仕事はたくさんあるからね!」

 配られたエプロンを身に着け、メモ帳やカメラを用意する間もないままに、我々はいきなりモダンなキッチンに配置されていた。
「君はキノコを刻んで。マリはアーティチョークを剥いて。あ、君はフォアグラの係だよ。家でやったことある?」

 質問された若い女性があわてた様子で首を横にふる。
「いえ、私、家で料理したことないの。全部母が・・・。今日は見学くらいのつもりで来たのよ。」

 横にいるお母さんがうなずく。
「フォアグラなんて荷が重いわ、失敗したら困る・・・」

 アンドレスは一笑に付した。
「そういう君がやってみるから面白いんじゃないか、さあさあ、始めて!」
 あとで自己紹介したところによると、そのお嬢さんは検事局にはいったばかりで、司法試験の勉強以来、台所にはいったことはないと言う。その彼女は、フォアグラをソテーして生クリームで煮込むという課題に、司法試験なみの真剣さで取り組み始めた。

 私はというと、大量のアーティチョークを剥いて茹でる作業で忙しく、そのあとはニンジンを刻む仕事も回ってきたし、パセリを刻む仕事もきた。
「まさか、こんなに働かされるとは思っていなかったわ」とぼやくと、アンドレスがにやっとする。
「そうだろう? みんな、こんなに働かされるとは思っていない。ちょっと手伝って食べるだけ、くらいにね。でもここではガンガン料理するんだ!みんなで楽しもう!」

 思ったよりがんばっているのは男性陣。ロシア人のがっしりした男性は、気が付いたら私より容量よく刻み仕事を終えている。今日が2回目だというテレビ局のディレクター氏は、丁寧にキノコをほぐしてソテーしている。そして、アンドレスの息子とその友人だというティーンエージャー二人は、感心するほど良い手つきでズッキーニの皮を剥き、湯通ししている。次第に料理が形を表してくると、アンドレスが簡潔に説明しながら調理を進め、味を確認していく。
「さあ、ビールでも飲んで一息つこう」

 立ったまま厨房で飲む冷たいビールの美味しいこと。なんだか我々がアンドレスのチームになって、プロとして料理しているような気分になってくる。この小気味よいリズムと緊張感は、このクラスの人気の秘密のひとつだろう。




「おいしければ、何料理でもいいじゃないか。楽しくやろう!」

 最初にできあがった皿を各自で持って、テーブルで試食。ワインも出てくる。リゾットとほとんど同じ作り方で、パスタを使って作った一皿目だ。キノコの味と玉ねぎのソフリートがよく効いていて、濃厚だがペロッと食べてしまうくらい美味しい。すると、ベルギー人だという女性が
「でもバターを使ってるし、これってスペイン料理じゃないわよね・・・」
と発言した。私も、これはイタリア料理だなあ、と内心同じようなことを考えていたのだが、アンドレスは笑いながら逆に彼女に問いかけた。
「なぜ、それがいけないの?これをオリーブ油だけで作ったら、こんなに美味しくないよ。チーズも、パルメジャーノのかわりにマンチェゴを使う?それって、一種の国粋主義だよね(笑)。このクラスでは、僕が好きなものは何でも取り入れる。バターでも醤油でも、美味しければいいじゃないか?」

 なるほど、そのあとのメインの魚料理にはアンドレス自作の「照り焼きソース」が使われていて、南米風のアボカドのグアカモレと見事に調和していた。

 そして調理法は、スペイン料理の手法もあればイタリア風の部分もあり南米のものもあるのだが、いずれも無駄がなく合理的で、きちんと習得すれば素人でもできるような簡潔な方法を選んでいる。ここで習った料理を再現しようと思えば、家庭でもほぼ同じものができるだろう。

 しかし参加している生徒たちの大部分は、あとで作る時の心配などしていない。このひとときを心からエンジョイしている。

 次第に料理らしくなってくるできあがりをみる楽しさ。できあがったものを皆で感想を言いながら味わう楽しさ。アンドレスを交えての活発なおしゃべりの楽しさ。一緒に食卓に座った彼は、昔のスペインなら「食卓ではタブー」と言われた政治の話題まで含めて、自分が興味のあることをどんどん話題にのせ、議論していく。「料理をすることは自己を表現すること」という現代のシェフの理念そのままに、自分に正直な彼のスタンスは、私たちをも、既成概念から自由にしてくれたようだ。いつのまにか初対面の私たちは、長年の仲間のように議論を楽しんでいた。

 下ごしらえができたデザートを完成させて出してくれたのは、息子のアンディ―だった。手際もセンスもいい。アンドレスが、嬉しそうにコメントする。
「実は、彼ももうすぐ自分でクラスを始めるんだ。自分の料理を教えてみたい、というんでね。」

 自由人のアンドレスの生き方を見て育ったアンディ―が、どんな料理の世界を築いていくのか、大いに楽しみだ。

「クリスマスには私が食事を作って、家族をびっくりさせようかしら」
という検事さん。
「うちの家族は僕の料理を楽しみに待ってるから、今日のメニューで頑張るよ」
というディレクター氏。

 生徒たちはそれぞれ満足な面持ちで帰途に就いた。

 料理という手段を通じて、相手とコミュニケーションする。楽しい時間を分かち合う。そんな意識を持った料理教室もあるということを、アンドレスは私に教えてくれた。東京の料理教室でも、この楽しさのいくらかを再現できたらいいな・・・。そんなことを思いながら、私は雑踏を抜けてマドリードの下町を歩いて行った。

 キッチン・クラブは、今年は特にイベント年だとのことで、何人もの著名シェフを招いてのクラスが次々に予定されている。タイミングが合えば、トップクラスのシェフの話を聞いて料理を学ぶチャンスもあるかもしれない。 また、1970年代からがんばっている調理用品店「アランビケ」のクラスも、一層充実してきているようだ。基本的なスペイン料理を学ぶという目的なら、ここが一番ふさわしいクラスの数が多いかもしれない。

 さらには、「ア・プント」のように、書店が料理教室を開くという新しいユニークな形も人気を呼んで定着しつつある。ここでは、本の著者を講師に招くことができるというメリットが大きい。

 マドリードに滞在しているあいだに、料理クラスに参加する。こんな新しい旅行のオプションが考えられる時代になってきた。ぜひ挑戦してみてほしい。但しそのためには、まずはスペイン語の勉強もお忘れなく。

文・写真 渡辺万里