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Yuji Shinoda
篠田有史
しのだゆうじ
1954年岐阜県生まれ。フォトジャーナリスト。
24歳の時の1年間世界一周の旅で、アンダルシアの小さな町Lojaと出会い、以後、ほぼ毎年通う。その他、スペイン語圏を中心に、庶民の生活を撮り続けている。

【写真展】 スペインの小さな町で(冨士フォトサロン)、遠い微笑・ニカラグア (〃)など。

【本】 「ドン・キホーテの世界をゆく」(論創社)「コロンブスの夢」(新潮社) 「リゴベルタの村」(講談社)などの写真を担当。

支倉がスペイン最後の日々を過ごした場所

2013年08月

 主君・伊達政宗の命により、ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)との交易実現のために、本国・スペインまで直接交渉に赴いた支倉たち遣欧使節団だったが、スペイン国王からはなかなかいい返事がもらえなかった。

 支倉は、国王の面前でキリスト教の洗礼を受け、イタリアまで赴きローマ法王にも謁見し、スペイン国王への口添えを願う。が、日本ではキリスト教徒弾圧がさらに強まり、その知らせはヨーロッパにも伝わっていた。支倉たちの交渉はさらに困難になった。

 それでも支倉は、スペインに残り、国王からの返書を待ち続けた。その場所が、セビリャ近郊にあるロレト聖母修道院である。ここで、彼は1年以上を過ごした。

 使節団の正使だった修道士ルイス・ソテロが所属する、フランシスコ会管理のロレト修道院は、小さな礼拝堂(1384年建設)があった場所に16世紀に建てられた。その後、何度も増改築が行われたため、400年前からあった古い部分は少ない。中庭とそれを囲む柱は数少ない古い部分である。支倉がここでどう過ごしていたかの手がかりになる記録はない。ただ、ソテロが持って来たとも言われる、日本で殉教した「26聖人」のひとり、ペドロ・バウティスタ(スペイン人)の遺骸が入っている容器が祭壇の脇におかれている。

 修道院での取材を終え、帰ろうとしていると声をかけられた。この町の町長さんのグループだった。彼らは、慶長遣欧使節400年イベントを計画している最中で、つい数日前に「使節団が滞在した農園を発見した」と教えてくれた。さっそくその農園へ案内してもらった。

 そこはロレト修道院から南東へ3.5kmにある古い農園だった。現在はパーティ会場などに利用されている。ここは、かつてソテロ一族の所有だったという。ソテロの家族はセビリャでは名士として知られていたから、ここに一族の農園があっても不思議ではない。バリャドリードのシマンカス総文書館に所蔵されている文書には、使節団のサムライたちは、マドリードへ行くために、この辺りの農園で旅支度をしたと書かれている。周辺にはオリーブ畑が広がり、農園内には、いまもオリーブを絞る器械が残されている。

 1616年の夏から翌年の7月まで、支倉たちはこのオリーブ畑がひろがる大地で過ごしたことは、ほぼ確実である。この町・エスパルティナスでは、400年イベントとして当時の食材を使った料理コンテストを開催し、さらに日本との絆を強くするため、日本庭園を作る予定である。

文・写真 篠田 有史


ロレト修道院
400年前にはもっと小規模な建物だった



中庭とそれを囲む柱は当時のもの(ロレト修道院)



修道院のシンボルでもあるロレトの聖母像は、当時からのもの



農園内の住居は広く、
30人余りの使節団が泊まっても問題はなかったに違いない



最近特定された、使節団がマドリードへの旅支度を整えたという農園