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Autor del artículo

Mari Watanabe
渡辺万里 / わたなべまり
学習院大学法学部政治学科卒。
1975年よりスペインで食文化史の研究に取り組むと同時に、スペイン料理界最前線での取材に従事する。
1989年、東京・目白に『スペイン料理文化アカデミー』を開設。さらに各地での講演、執筆などを通してスペイン文化の紹介に携わっている。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。
著書に「エル・ブジ究極のレシピ集」(日本文芸社)、「修道院のうずら料理」(現代書館)、「スペインの竃から」(現代書館)など。

スペイン料理文化アカデミー
http://academia-spain.com
〒171-0031 東京都豊島区目白4-23-2  TEL : 03-3953-8414
スペイン料理クラス、スペインワインを楽しむ会、フラメンコ・ギタークラスなど開催

cazuela

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フェランに続く若者たち
・・・函館・世界料理学会の収穫・・・

2013年11月

 「革新的な料理が、実は伝統や本質を重視する料理でもありうることを認識してほしい」
 「自分がなぜ料理を作るのか、日々の仕事のなかで立ち止まって考えているだろうか?」
 「料理人が社会にどうやって貢献できるのか、一人ひとりが考えるべき時がきている」
 「料理という世界共通の言語で、日本文化を世界に発信しよう!」


 2013年9月、函館で開かれた第4回世界料理学会の会場でシェフたちがそれぞれに熱く語ってくれた言葉は、単なる料理の知識の交換というレベルを超えて、料理人の本質的なあり方に迫り、高いレベルでの問題意識を提示するものばかりだった。

 それらの発言を聞きながら、私は繰り返し思っていた。

 「厨房から世界へと飛び出して来た料理人たち。高い意識を持った料理人たち。彼らはすべて、フェランが教えた道を進んできているのだ!」

 世界の料理界が、たとえ直接スペイン料理について語っていなくても、スペインの生んだスーパーシェフ、フェラン・アドリアの偉業のあとに続くことで発展しつつあることを、今回の会議はしみじみと実感させてくれた。

 そして更に嬉しかったことは、スペインに関わる参加者がどの人も、「これからのスペイン料理の世界」を象徴するかのように意味のある優れた発言をしてくれたことだ。

 そんなあれこれを中心として、この催しの簡単な報告をしたい。



主催者・深谷シェフを囲んでの開会式


「世界へと躍進する料理人たち」

 2012年の「世界料理学会」の様子も、その折にAcueducto紙上で紹介させていただいたが、昨年と今年との大きな違いは、日本のシェフたちの「より前向きな姿勢」だった。

 大震災の衝撃がまだ生々しかった昨年は、料理人たちがいかにして支援していけるかという具体的な提案や模索が目についたが、今年はその次の段階として、「料理を通して日本文化へのプライドをしっかりと再確認していこう」という力強いステップへの前進が感じられたのだ。

 なかでもはっきりとその意識を発信してくれたのは、日本料理の山本征治氏の発表だった。「料理人には二つの顔があるはず。毎日お客と向き合い料理を提供する顔と、自分の料理に関する知識を通して社会に貢献していく顔。ちょうどお医者さんが、患者さんを治療する顔と、研究して発表し、医学の発展に貢献していく顔を持つのと同じだろう」と述べた山本氏は、その言葉通り、今年も新しい技術、新しい提案などを惜しみなく発表してくれた。

 しかし実は、彼がこういうポリシーを身につけ実践するようになった裏には、フェランが先頭にたってスペイン料理界に浸透させてきた「情報公開」の考え方、そして山本氏がこの数年繰り返し参加している「マドリー・フシオン」を初めとするスペインの学会で実感したに違いない世界の料理界の動きが大きく影響している。言い換えれば、日本料理界を代表する新しいタイプの料理人として、世界各地の学会で活躍する山本氏を生み出したのも、元をたどればフェランなのである。


主催者・深谷シェフを囲んでの開会式


 一方、フェランの料理に対するスタンスを独自の哲学にまで高めて、しかも分かりやすく発表してくれたのは、シンガポールのアンドレ・チャン氏だ。

 台湾生まれ。フランスで修業を積み、今やシンガポールでアジアを代表する料理人の一人として人気の高いチャン氏のメニューは、8つの皿の一皿ずつがそれぞれ「八つの哲学」を象徴しているという。その8つのなかには、素材との接近、料理のルーツへのこだわり等々、見事に「今日のシェフに求められるもの」がすべて織り込まれていた。しかしそれ以上に印象に残ったのは、彼が自分の経歴を語りながら残した言葉だった。

 「アジア人のシェフがフランス料理を専門とする。そこでは、本物をつくることの難しさが、しばしばシェフの大胆さを削いでしまう。一線を越えて創作に挑むことを躊躇ってしまうのだ。しかし、革新的でありながら伝統を重視することは、決して不可能ではない。本質的な部分を完璧に把握していると、確信を持つ事が重要だ。」

 フランス料理という言葉をスペイン料理に置き換えるなら、「日本人のシェフがスペイン料理をつくることの難しさ」ということになる。チャン氏の提示していることは、日本でスペイン料理に取り組む人たちにもぜひじっくりと考えてほしい問題だ。本質的な部分を把握して、そのうえで創作に挑むこと。そこまでいって初めて、異国の料理に取り組んでいると誇ることができる。


アンドレ・チャン氏の発表



 彼が用意したスクリーンには「Why cook?」の文字が浮かび上がっていた。

 「なぜ料理するのか。何を料理したいのか。その問いに答えることが自分の料理を確かなものにする」 というチャン氏の言葉は、

 「歴史のなかでは、最後には伝統も革新もない、美味しい料理、美味しくない料理があるだけ。定義づけすることより、何が作りたいか考えてごらん」
というフェランの言葉を、そのまま思い出させてくれた。

 「よその国の料理に挑むこと」ことの難しさや課題を語ってくれたのはチャン氏だけではない。パリで活躍する日本人シェフ佐藤伸一氏の発表は、彼の努力と模索と苦闘の軌跡を鮮やかに感じさせてくれた。

 「まずフランス料理として、ほぼ完璧に出来ていなければいけない。それに加えて、日本人なのだから繊細なはずだと期待される。僕は居直って、思い切り繊細にすることにしました。」

 しかし問題はそれだけではない。世界の料理界の流れは原点回帰へと向かっているのに、人々はまだ目新しいもの、変わったものを求め、料理人に要求する。そういう流れに屈していると、自分が本当に作りたいもの、あるいは本当の美味しさとは何かということが見えなくなってしまう・・・。

 彼の言葉には、異国で異国の料理に挑んでミシェランの星をとっている人ならではの重みがあった。スペインでスペイン料理を出して、ここまで評価される日本人シェフが現れたら、その時初めて、「日本のスペイン料理も本物」と言えるようになるのかもしれない。



小西氏、渡辺、山田氏による座談会


「そしてスペインは今」

 スペインから参加してくれたのは、ホセアン・マルティネス・アリハ。ビルバオのグッゲンハイム美術館にあるレストラン「ネルア」のシェフである。

 彼の発表は、料理学会が生まれ定着したバスク地方の若手シェフらしい自信に満ちた表現と、彼のおだやかで誠実な人柄とが相まって、説得力のある魅力的なものになった。

「僕の現在の方向を示す言葉はバスク語でmuina、核心ということだ。物事の本質、料理の本質をもっともっと追究したい。」
と語る彼の料理は、てらいがなく、素材への深い思い入れにあふれている。彼の店の傍らを流れるNerua川の名前をそのままレストランの名前にした理由を、「川はすべてをつなぐから」と語る彼の繊細な感性と優しさが、シンプルでありながら美しい料理の一皿ずつに感じられる。

 しかしなんといっても、参加していた多くの料理人を驚かせたのは、彼の発表したのが「たまねぎ」の料理だったということだろう。

 そもそも、今回の学会のサブテーマは「鱈(タラ)」なのだ。開催地である北海道が重要なタラの産地であることから、この食材について様々な角度から検討し、知識を交換しようというのが目的だ。そうなると、タラを巧みに使うことで名高いバスクからやってきたホセアンが、どんなタラ料理を紹介してくれるかということは、皆が期待していたと言っていい。ところが彼は、

「bacalao(タラ)はかつて貴重品だった。だからこそ、それをいかに美味しく有意義に使い切るかを皆が考え、優れた料理が生まれて来た。僕は今、野菜という素材の素晴らしさと大切さに注目している。そのなかでもタマネギは、様々な味の料理に変身できるという意味でタラに似ている。そこで今日は、タラの代わりにタマネギの料理を紹介したい」
と言って皆の意表をついたのだ。

 タマネギを海草の出汁で煮る。ニンニク味のオイルで煮たタラの皮を、その上に載せる。ピーマン入りのオイルをバスク伝来の手法で乳化させたソースにして添える。そこには、タラの代わりにタマネギを主役にした美しく食欲をそそる一皿が出現していた。

 Innovación de la cocina local 、自らの地域の身近な料理、良く知っている素材から新しい料理を、という彼のモットーは見事にこの一皿のなかに凝縮されていたのだ。

 ホセアンの発表は、過日スペインの新聞で読んだ、ある評論家の言葉を思い出させてくれた。「地に足のついた料理」。自分のルーツである土地にしっかりと土台を持って、堅実に花開いて行く料理。スペインの新しい世代の料理人たちは、今まさにその方向を目指し始めていると思う。

 なかでも、長く優れた料理の歴史を持つバスクのシェフたちは、ここに来て改めて、自分たちに与えられたものの大きさ、受け継ぎ発展させていかなければいけない遺産の素晴らしさを再認識しつつあるのではないだろうか。目先の流行だけに踊らされず、控えめななかにもきちんと自分の方向性を主張してくれたホセアンに、私はスペイン料理界の明るい未来を見る気持ちがした。



ホセアン・マルティネス氏と彼の料理




「そして日本のスペイン料理は?」

今回の学会で私は、『一時代を築いたスペイン、その背景と今』という題の座談会の司会を依頼された。学会参加者のなかから私が指名したのは、大阪の「ポニエンテ」をはじめとするレストランのオーナーであり元々はシェフでもある小西由企夫氏。そして東京のレストラン「山田チカラ」のオーナーシェフ、山田チカラ氏の二人だった。

この二人は、それぞれ一つの時代、つまり「エル・ブジ以前とエル・ブジ以後」を代表していると言ってもいい。色々な意味で異なるルートをたどって現在に至る二人と一緒にスペイン料理について語ることを、私は少なからず楽しみにしていたが、その結果は期待以上に興味深いものとなった。


山田氏の発表

まだ日本にスペイン料理という概念がほとんど存在していなかった時代に、勉強を始めた小西氏。次第に本格的にスペインを知るにつれて、日本で本物のスペイン料理を紹介したいと奮闘してきた小西氏は近年、「スペイン料理」という括りではなく、「炭火焼」「マリスケリーア」「バスク料理」などと特化したレストランを次々と展開しているが、それについて氏は、

「自分が好きなもの、やりたいものを形にしてきたら、自然にそうなってきた」
と語る。日本でも、今までスペイン料理と一括りに呼ばれてきたものが実際には地方料理の集合体であることが、やっと少しずつ知られてきた今、こういうレストラン経営者が増えていくことは一番望まれることと言ってもいいかもしれない。スペイン各地できちんと修業していた若手のシェフたちが増えていることも、その傾向を後押ししているとこは間違いない。こういう要素が集まって、日本でも「スペイン料理といえばパエリャとサングリア」という時代から、やっと次の時代へとレストラン業界が動いてきたことになる。


レセプションのための料理制作


一方の山田氏は、「最初からエル・ブジを目指していたわけではない」が、もっとも良い時期にスペインへ行き、もっとも良い時期にエル・ブジで修業できたことで、料理人としての方向が大きく変わった人の一人。その時期、最初はフランスやイタリアでの修業のためにヨーロッパにわたったはずの若い料理人のなかで、たまたまスペインへ到達した人たちが、フェラン・アドリアを始めとするきわめてクリエイティブなスペインの料理人、高いレベルのレストランに出会い、スペインの食の魅力に開眼したという例は数多い。

 フェランのもとで学んだ山田氏は、日本へ帰ると、エル・ブジの料理を出してほしいという希望の経営者と出会って働くことになる。しかし自分自身の店を開くことになったとき、彼が選んだのはかなり異なる方向だった。現在彼がつくる料理に、「スペイン料理」という肩書きはついていない。むしろ日本の食を土台とした創作料理といえる。しかしそれは、彼がエル・ブジにいたからこそ、フェランの哲学に触れたからこそ開眼した日本の食への熱い思いによって形作られた料理だ。ここにも、異なる形でフェランに続くシェフがいる。


佐藤氏の料理と発表



 この二人が共通して語ってくれたのは、現在のスペインの経済不況と、そのなかで、どういう料理人たちが生き残っていけるのだろうかという危惧だった。それに比べると、日本のスペイン料理の世界は、問題もあり、混沌としている部分もありながら、それでもまだ明るい方向へ向かっている。「スペイン料理」という看板を掲げる店が増え続けていることは、その内容や水準がかなりバラバラであるにしても、明るい材料には違いない。

 座談会の締めくくりに「スペイン料理はこれから、どういう方向に向かうのでしょう?」とありきたりな質問をした私に、小西氏から小気味の良い返事が返って来た。

「スペイン料理は、スペイン料理のままでしょう。変わるとしたら、それはスペイン料理店がどうなっていくかということであって、料理そのものは、変わりませんよ!」


鱈についての発表

 確かに、料理そのものは変わらない。フェランが生み出した様々な創作料理がリストに加わったからといって、昔ながらの竃で焼く仔豚料理が変わってしまうわけではない。両者はともに存在する。変わって行くのは、料理人がどんな料理を選び、レストランがどんな料理を出して行くか、何が流行と呼ばれていくのかということだけだろう。

 スペインで、不況にも負けずに生き残って行くのは、どんな料理を出すレストランなのか。日本でスペインバルと呼ばれる一群の店は、スペインという名前に負けずに対応して生き残っていけるのか。パエリャからエル・ブジまでのいささか大きすぎる段差を、日本の料理人たちはきちんとお客に納得させながら埋めていくことができるのか・・・。

 それらの疑問には、これからの時間が答えを出していくことだろう。現場で働く料理人の人たちに、スペイン料理について考えるための何らかのきっかけを与えることができたのなら嬉しいのだが。

 最後に読者の皆さんのために、山田シェフが、「スペイン料理を志す若い人たちへのメッセージを」という問いに対して答えてくれた言葉を送りたい。

「とにかく、語学をやってください。スペイン料理をやりたいなら、スペイン語を!」

文・写真 渡辺万里