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Autor del artículo

Eiji Morohashi
諸橋英二 / もろはしえいじ
1970年福島県いわき市生まれ。1994年日本大学文理学部卒業。米国ボストンにて語学留学後、英国ロンドンのクリスティーズモダンアートスタディーズにて西洋近代美術史を、サザビーズインスティテュート(マンチェスター大学大学院課程)にて現代美術学を専攻。1999年、財団法人諸橋近代美術館開館と同時に常務理事・館長に就任。現在、国内唯一のダリ常設美術館の常務理事 兼 館長 兼 学芸員として多岐にわたる業務に携わる。

ダリ巡礼の旅
~スペイン・カタルーニャ紀行~

2014年08月

「見よ!サルバドール・ダリの誕生だ!
風は凪ぎ、五月の空には一片の雲もない」
サルバドール・ダリ「わが秘められた生涯」1981年

 ダリの110回目の誕生日となる今年の5月11日、私はダリの生まれ故郷スペインのフィゲラスにいました。フィゲラスにはダリが設立したダリ劇場美術館があり、今回の訪問の目的はその美術館にあるダリ財団とのミーティングでしたが、併せてダリの故郷カタルーニャ地方を取材してきました。ダリ作品の背景の多くはカタルーニャの風景が描かれ、ダリの芸術を生み出したのもカタルーニャの独特の地方文化といわれます。今回、訪れたのはダリの生まれ育ったフィゲラス、アトリエと住居のあるポルト・リガト、晩年に愛妻ガラへ贈ったプボル城があるジローナの3か所です。それでは 'ダリ巡礼の旅'に出かけましょう。


ダリが愛し描いたカタゲスから望む風景


 今回の旅の拠点にしたのはフィゲラス。フィゲラスはスペイン第2の都市バルセロナから北東に電車で2時間(今回は特急のAVEで約40分で到着)ほどにある小さな街です。まず出向いたのはダリ劇場美術館に隣接するサン・ペレ教会。この教会はダリが子供の頃初めて洗礼を受けた思い出の場所です。館内は、尖頭アーチのゴシック建築による独特の重厚感があり、外界の眩しい日差しと喧騒とは対照的に闇の中で静かな時間が流れています。荘厳と静寂が織りなす空間で少年ダリはいったい何を思ったのだろうか、そんな思いにふけりながら教会を後にしました。


ダリが洗礼を受けたフィゲラスのサン・ペレ教会



カタゲスのオリーブ畑



カタゲスのダリのアトリエ近くの石壁


 次に訪れたのはダリのアトリエ兼住居のあるポルト・リガト。フィゲラスから東へ路線バスで1時間ほどのカダケスに向かい、さらにバス停から海沿いと小高い丘を歩いて30分ほどでダリのアトリエが見えてきます。そこから見える眺望は、永遠に伸びる水平線、この地域独特の石垣、オリーブ畑、強い太陽光線が生み出す鋭い影。この美しいポルト・リガトの風景に魅せられたダリは26歳から晩年にわたり7軒の漁師の家を買い上げ、自分好みに改装しながらこの家に住み、作品を描き続けたのです。屋根の頂きには卵のオブジェがあり別名'卵の家'とも呼ばれています。建物の中は、ダリとガラが収集したオブジェや骨董品などで装飾されて、とりわけダリの写真や記事が部屋中に張られた部屋は'ショーマン'と呼ばれた自己顕示欲の強いダリの性格が象徴されていて印象的でした。ポルト・リガトから更に北東へ約8キロ進むとクレウス岬という景勝地があります。断絶壁の崖には風化によって奇妙な形をした岩が連なり不思議な空間が広がります。奇岩は見る角度により動物や怪物のようにも見え、実に様々な表情を見せます。ダリが何度となくこの地を訪れインスピレーションを得たことを、ここに来て納得したのでした。


通称「卵の家」の外観



卵がトレードマーク



フィゲラスにあるダリの生家


 場所はフィゲラスに戻りダリの生家を訪れます。ビルの一角にある生家は、現在は商店街の空き店舗になっていて、特に目立った生家の表示もなく地元でもダリの生家と知る人は少ないそうです。その生家の前には大きな広場があり、毎週2回ほど市場が開かれ多くの店と客で賑わいます。「食べることは生きること。」野菜、果物に肉、豊富な食材とみなぎる活気を目のあたりにしたダリはカタルーニャの食文化に'生と死'を垣間見たのかもしれません。


ダリが幼少の頃の遊び場、
サン・フラン要塞。アンプルダン平野が一望できる


 生家から徒歩で20分ほど行くとダリ少年の遊び場であったサン・フェラン要塞があります。1766年に建設されたヨーロッパ最大の要塞で、フィゲラスの誇りでもありました。ここからはアンプル平野からポルト・リガトの海岸までが一望でき、ダリが好んで描いた風景が広がります。また要塞の建物や城壁は複雑な形状で構成されていて、ダリ少年の創造の源泉となったと思われます。


ダリの生家の前にある市場。豊富な食材と人々の活気がみなぎる


 そして、この要塞と生家の中間地点にダリ劇場美術館があります。同館はもともと劇場として建てられた建物で、ダリが15歳のときに描いた印象派風の絵画2点を展示した思い出の場所でもあります。その後、ダリは当時のスペインの国家元首フランコ将軍に直談判してこの建物を入手し美術館に改装し、1974年ダリ劇場美術館として開館させたのでした。館内はまさに'ダリワールド'。車内に雨が降るタクシー、リンカーンとガラの後ろ姿が二重像(ダブルイメージ)で見える大絵画、部屋全体が女性の顔にも見える「メイ・ウエストの部屋」などがあり、美術館というよりも体感型のアミューズメントパークといった施設です。その中でもダリの想いが強い作品が大広間の天井画です。バロック風の天井画はダリとガラが天に召されていく壮大な構図で、その隅には年老いたダリとガラが寄り添うように描かれています。しかし、晩年のダリとガラの関係は良好とは言えず、この美術館が開館した時もガラはこの天井画を見ること無く立ち去り、ダリは非常に寂しい思いをしたそうです。


お馴染みフィゲラスのダリ劇場美術館



ダリ劇場美術館の天井画。ダリに寄り添うガラ


 最後に訪れたのは愛妻ガラへ贈ったプボル城があるジローナです。このジローナは中世に栄えた町で、郊外には豪邸が点在しています。ダリは、その屋敷のひとつを買い取り大改修してガラへプレゼントしました。当時、ダリ65歳、ガラ74歳。建物は決して大きくはなく、建物の中も晩年のダリとガラを象徴するかのように地味な装飾です。地下室にはガラとダリの2つの棺が並べられていますが、入っているのは先立ったガラだけ。ダリの遺体は前述のダリ劇場美術館のエントランスに埋葬されています。ガラはこのお城に若い男性2人と同居し、ダリはこのお城の入口までしか入ることを許されなかったそうです。不可解な関係を象徴するかのような二つの棺の部屋は冷たく静かな空間でした。


ダリ劇場美術館の床にダリの棺が埋められている



プボル城の地下にある2つの棺。右側の棺にガラだけが眠る


 今回訪れたダリゆかりの地には、全てにおいてダリの作品同様、一度見たら忘れられないほどの強く不思議な印象がありました。それは長年変わらない風景であり、独特の文化をもつカタルーニャ地方の土壌にあるかもしれません。ダリはカタルーニャ人として誇りをもち、郷愁を誘う景色を生涯愛し続けました。ダリを生んだカタルーニャは、望郷の念を呼び起こしてくれる土地でした。


「ガラとロブスターの肖像」
©Salvador Dali, Fundació Gala-Salvador Dalí, JASPAR Tokyo, 2014


<出張こぼれ話>
今回の出張ではスペインの他にロンドンのクリスティーズを訪れ、新たに当館で購入しましたダリの油彩絵画《ガラとロブスターの肖像》(1934年頃)を実際に確認してきました。30歳ダリの自信に満ちた筆跡、鮮やかに彩られたガラの横顔、素晴らしい作品です。来春には皆さんにご覧頂けると思いますので、是非、楽しみにしてください。

諸橋英二