バルの中の神話画──ベラスケスの描くスペイン

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 芸術愛好家のフェリペ4世は、ベラスケスを発見するやいなや直ちに自分の肖像を描かせ、それを大変気に入り、この画家を24歳の若さで王付き画家に抜擢、以降は彼にしか王家肖像画を描かせませんでした。しかしそれでは、ほかの宮廷画家はたまったものではありません。 若き才能に嫉妬した周囲から「顔しか描けない画家」と揶揄されたこともあったようです。するとベラスケスは「これまでに本当の顔を描けたものはいたか」と平然と返したといいます。

 そう、顔。ベラスケスは卓越した技術を持つ天才画家であることは言うまでもないですが、何と言っても彼の絵画の魅力は「人物の表情」に集約されていると思います。例えばこれ。

Diego Velázquez, Los borrachos 1628 – 1629. Óleo sobre lienzo, 165 x 225 cm.
©Museo Nacional del Prado
※本作は2018年「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」には出品されません。

《酔っ払いたち》(1628-1629)。もともは《バッカスの勝利 Triunfo de Baco》と名付けられていたようですが、19世紀にマドリード人がこの絵画を「酔っ払いたち Los borrachos」と呼ぶようになったそうです。それも納得、バッカスが何に勝利したのか? という考察に先行する圧倒的「酔っ払いたち」です。酔っ払いたちの顔があまりに上手く描けているので、まだそんなに酔ってないように見える酒の神の顔が、かえって強く印象に残ります。私は、ベラスケスの描く酔っ払いの赤ら顔が大変好きです。なぜならその砕けた表情が非常に人間臭くて実に「ありふれている」からです。マドリードで適当に入ったバルの壁にこの絵画の模写が大きく描かれていたのを見たとき、とても和みました。絵画が、あるいは絵画が纏う威厳が、庶民の溜まり場まで降りてきたような気がしたからです。この絵画はベラスケスの最初の神話画でした。

 兵庫県立美術館の飯尾さんも『acueducto』第32号の特集記事の中で言及していますが、ベラスケスは宗教画や神話画を現世的に描くのが得意です。スペイン語には「de carne y hueco(肉と骨でできた、生身の)」という言葉がありますが、彼の描く人物たちもまた私たちと同様に、それぞれが自身の肉と骨を持っているような実存的な印象を受けます。今回の「プラド美術館展」で目にすることのできる《マルス》もそんな絵画のひとつに数えられるのではないでしょうか。

Diego Velázquez, Marte Hacia 1638. Óleo sobre lienzo, 179 x 95 cm.
ディエゴ・ベラスケス《マルス》1638年頃 マドリード、プラド美術館蔵
©Museo Nacional del Prado
 

 一説によるならば、ヴィーナスとの逢い引きがばれた直後の放心状態の軍神マルスらしいです。虚ろな目元は鑑賞者を見ているようで、どこも見ていないようでもあります。人間、疲れきって思考が停止したらこういう表情になりますよね。この絵画全体から醸し出される倦怠感も、人間の所作のひとつと思えば非常に自然で、魅力的だと思います。

 王付き画家でありながら、このように着飾らず、生身の人間性を露わにするような絵画をベラスケスが描くことができたのは、おそらく国王フェリペ4世自身がまた、そのような表現を求めたからだと思います。絵画の黄金時代と呼ばれた17世紀スペインですが、政治の視点から言えば財政破綻や国外戦争を繰り返し、寵臣オリバーレス公伯爵の幾多の戦略も虚しく、帝国は急速に衰退していきました。フェリペ4世は政治能力のない「無能王」と言われていますが、善良で敬虔な国王で、自国の斜陽、苦しむ国民の姿にはひどく心を痛めていました。そんな国王が観念的な美に支配されず、人間のいわば儚き、どうしようもない一面をも包括して描いたベラスケスを愛したのも、また必然かと思います。

 

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