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ロルカ。あるいは夢見る力
平井うらら

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Federico. El don de soñar

 

ロルカの初心

 フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898年6月5日-1936年8月19日)は多才な芸術家で、詩を作り劇作をし、絵も描きピアノも演奏し即興で歌も作った、とよくいわれます。しかし彼自身は自分のことを、あれにもこれにも手を出すマルチな才能を持った芸術家だとは思っていなかったでしょう。自分が生きたいように生きていただけなのです。自分の心の中に湧いてきた言葉を口に出し、ピアノがあれば思いつくままに弾いてみて、劇を作ってはみんなを誘って演じてみる、そしてその喜びを居合わせた人たちと共有しようとしただけでしょう。

 彼はほんの小さなころから、音楽や詩の朗読にとり囲まれて育ち、夜寝る時には毎晩、乳母の物語を聞いて過ごしたのでした。まだ4、5歳のころから、教会の説教を聞いてきた昼下がりに、自分で説教を膨らませてお話を作っては、同じ年頃の子どもたちと演劇ごっこに興じていたといいます。これがロルカの初心であり、ロルカは終生、この初心から離れなかったのです。私は、ロルカがさまざまな芸術活動を通して目指していた、ただひとつのものがあると考え、それを、「祝祭」という言葉で捉えています。彼の芸術論である「ドゥエンデの働きと、その理論」は、祝祭論として捉えられるものであり、そこで明らかにされた芸術家とは、祝祭を実現するシャーマン的役割を担う存在、とされています。

 ですから、彼の詩はほとんど歌といってもいいもので、言葉がもたらすイメージだけでなく、その調べはそれを聞く人に心地よく、朗誦するにふさわしいものです。彼の詩をスペイン語で読み上げていただければ、そのことはよくわかるでしょう。ロルカは、自分の中で詩が生まれると、やもたてもたまらなくなって、たとえ詩の制作の途中であっても、周りにいる友人や家族にすぐ朗読したものでした。マドリードの学生館で暮らすようになってもそんなふうだったので、彼の詩はたちまち有名になって、出版もされていないのに口づてに友人のあいだに広まり、愛唱されたといいます。

 彼の詩集で最初に有名になったのは、『ロマンセーロ・ヒターノ(ジプシー歌集)』です。これは、スペインに定住したジプシーであるヒターノの神話的物語世界を、スペインの伝統的詩形であるロマンセの形をとって詠ったものです。当時社会的に差別されていたヒターノの魂の中にスペインの魂を見いだしたこの作品は、社会に対するロルカの姿勢を鮮明にするものであり、世間に物議をかもす作品でもありました。

 

展開するロルカ

 ロルカは1929年にはアメリカに長期滞在して、偶然にも世界恐慌の現場に遭遇することになりました。彼は、この経験を通して欧米型の文明の未来に失望し、アメリカの最も底辺にいる黒人の目から当時世界の最先端にあったアメリカを見返そうとします。これが、『ニューヨークの詩人』という詩集に結実しました。欧米型文明との訣別であるこの詩集と「ドゥエンデ論」は、それ以降のロルカの位置を決定づけるものであり、このあとで自分の講演が企画されると、そのたびに何度もこの二つに触れることになります。

 アメリカから途中キューバに立ち寄ったりしてロルカがスペインへ帰ってきたのは1930年ですが、その翌年には世界恐慌の影響で苦しむ人々に無策だったために王政が破綻し、第二共和制が始まります。共和政府は、当時世界でもっとも民主的とみなされていたドイツのワイマール憲法に範をとった憲法を施行し、大胆な改革をつぎつぎに打ち出していきました。ロルカの恩師や知人がその政府に参加した関係から、彼自身も積極的に政府に協力します。それからの5年間のロルカは、疾風怒濤の毎日となりました。

 まず、『血の婚礼』をはじめとする三大悲劇の制作(そのうち『ベルナルダ・アルバの家』は殺された年の6月に完成したばかりで、ロルカが公演に立ち会う機会はありませんでした)とその公演があります。とくに『血の婚礼』は大衆的に大変な評判を呼び、中南米でも大好評でした。彼は中南米で劇の公演があるたびに、呼ばれて記念講演の旅に出かけています。

 他方で、文科大臣になった恩師の提案を受けて、学生を集めて「バラッカ」という劇団を作り、スペインの田舎を公演して回りました。演目は自分の作品ではなく、文化とは程遠い田舎の暮らしを送る農民にも受け入れられるように、カルデロンなどのおもにスペインの伝統演劇をとりあげました。演目の選定において、単なる啓蒙的お説教的な政治劇を選ばなかったことに、注目してください。ロルカが求めたのは、田舎のありふれたおじさんおばさんとともに過ごす祝祭的時間だったのです。その経験が必ず、その人たちの力になるという確信が彼にはあったのです。また、劇の展開に一喜一憂する観客の反応から、ロルカもおおいに学び、それがそれ以降の彼の作劇や演出に変化をもたらしたと思われます。そのせいか、それまでの前衛的作風が影を潜め、登場する庶民(『血の婚礼』の近所のおばさんや娘たち、『イェルマ』の女妖術師、『アルバの家』の女中など)の描き方がきめ細かく深くなっています。「バラッカ」の公演のためにロルカは、おんぼろトラックに乗り込み、大道具や衣装づくりに参加し、演目の決定や演出をし、自らも出演するなど、八面六臂の活躍でした。それは、道もろくに整備されていない不案内なところを、右翼からの妨害をはねのけながらの旅でした。この活動は、共和政府を左派が失ってからも、断続的に続けられました。

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