特集

ESPECIAL

acueducto 31 特集「ロルカを思う。」

PDF記事

PDF掲載誌

ロルカ。あるいは夢見る力


平井うらら

『タマリット詩集』の地平

 かつてグラナダをアラブが支配していた時代に書かれた、すぐれたアラブ詩をエミリオ・ガルシア・ゴメスという若きアラブ文学者が現代スペイン語に翻訳して出版し、当時たいへん評判になりました。エミリオの友人でもあったロルカは、彼の訳詩の仕事におおいに刺激を受けて、この友人の訳詩の形を借りながら、自分の詩集を出そうとしたのです。アラブの詩形を通して、いまのスペインの魂を描くことができることを証明してみせようとしたのです。ヒターノの物語をスペイン伝統の詩形であるロマンセを通して描くことで、スペインの魂を描こうとしたのと共通する大胆な方法です。それはスペインの歴史を、アラブの暗黒を打ち砕いて世界帝国を築いたキリスト教の栄光の歴史と捉えるか、アラブから現代スペインまでを連続したひとつのものとし、多種多様な文化や民族が共生してきた歴史と捉えるか、という当時の歴史観の対立に対する、ロルカの明確な答えでもあったのです。

 「タマリット」は、グラナダ近郊の、叔父の農園の名前で、時間が取れる時はよくここを訪れて、これらの詩を書いたのです。そこはまた、ロルカの魂の故郷でもありました。彼は、「人知れぬ死のガセーラ」で、「自己再生のために、りんごの眠りを眠らせてくれ」と書いていますが、その眠りを眠る場所が、タマリットだったのです。

 闘牛のとき牛は、闘いのさなかに必ず立ち返る、自分が縄張りと思い定めた場所があって、それをケレンシアといいます。ケレンシアには、何か印があるわけではなく、場所に一定の法則があるわけでもなく、ただ牛本人にしかわからないそうです。ロルカにもそのケレンシアがあったとするなら、それはタマリットだったのです。ロルカが最後に、危険を顧みず友達の忠告も聞かず、死地となるグラナダにあえて赴いたのも、そこが彼のケレンシアであったからだと思えてなりません。

 

ロルカ——夢と「黒い鳩」

 この詩集の中の一つ、「外で見る夢のカシーダ」を見てみましょう。

 

外で見る夢のカシーダ

ジャスミンの花と 首を刺し貫かれた雄牛。

どこまでも続く舗道。地図。部屋。竪琴。夜明け。

女の子は ジャスミンの雄牛になってみせるが

雄牛は うなり声をあげる血まみれの黄昏。

もし空が ほんの小さな男の子だったら、

暗い夜の半分は ジャスミンのものだろう、

そしてジャスミンは 空色の闘牛場から闘牛士を閉め出し、

柱の根元では 雄牛の心臓を憩わせるだろう。

しかし空は象だ、

だから ジャスミンは生気をなくした血液

だから女の子は 夜の小枝

それは 暗くてだだっ広い舗道にうち捨てられている。

ジャスミンと 雄牛のはざま

あるいは象牙の鈎との または眠る人々との。

ジャスミンの中にあるのは 象と暗雲

そして闘牛の中には 骨になった女の子。

 

Casida del sueño al aire libre

Flor de jazmín y toro degollado. 

Pavimento infinito. Mapa. Sala. Arpa. Alba. 

La niña finge un toro de jazmines 

y el toro es un sangriento crepúsculo que brama. 

Si el cielo fuera un niño pequeñito, 

los jazmines tendrían mitad de noche oscura, 

y el toro circo azul sin lidiadores, 

y un corazón al pie de una columna. 

Pero el cielo es un elefante, 

y el jazmín es un agua sin sangre 

y la niña es un ramo nocturno 

por el inmenso pavimento oscuro. 

Entre el jazmín y el toro 

o garfios de marfil o gente dormida. 

En el jazmín un elefante y nubes 

y en el toro el esqueleto de la niña.

平井うらら 訳『対訳 タマリット詩集』影書房より

 

 闘牛の牛は、自ら望んで闘牛場で闘うわけではありません。闘いを強いられて、おのれの誇りをかけて闘いに臨むのです。その牛はいま、首にやりを刺されて瀕死の状態にあります。女の子は、ジャスミンに象徴される平和な日常を望みます。しかし願いは、かないません。空が、無垢な魂を持つ少年のものでなく、何物も無慈悲に踏みつぶす象のものになっているからです。少女は、犠牲になって打ち捨てられるしかありません。平和な日常(ジャスミン)は、象の恐怖・絶望の未来をはらんでいます。闘牛の心は、犠牲になった少女の記憶をかかえて、象と対峙するのです。ここで印象的なのは、「ジャスミンと雄牛のはざま」、「ジャスミンと象牙の鈎(テロや拷問を象徴します)のはざま」、「ジャスミンと眠る人々(迫る危機に気づかず安眠をむさぼる人々)とのはざま」をあなたはどう考えるのですか、というきびしい問いかけです。



平井 うらら / Urara Hirai

同志社大学講師 詩人

1952年香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。京都外国語大学大学院修士課程修了。グラナダ大学博士課程修了。文学博士(グラナダ大学)。著書に『対訳タマリット詩集』(単著)、『平井うらら詩集』(単著)、『マヌエルのクリスマス』(単著)、『ガルシア・ロルカの世界』(共著)、『スペインの女性群像』(共著)、『スペイン文化辞典』(共著)など。

VOLVER

PAGE TOP