「泳ぐ少年」と「河童」

堀越千秋先生がおいでなさる天国は、恐らく、

永く住まったスペイン・マドリードの一隅や、

神泉村のような楽しい美境でしょう。御冥福あれ!

写真タイトル『オフィーリアを探して』©Hidetoshi Kumagai

 

 新宿百人町の公務員宿舎で行われた恩師、解剖哲学者の三木成夫先生と桃子夫人の鍋パーティー……そこで我々は堀越さんとご対面。

 当時、氏はスペイン国費留学生としてマドリード滞在中。スペインでは、生活費の足しと好奇心から闘牛場での売子バイトをやっておられたとか。闘牛場で目にされた猛牛と人との死闘。猛牛の四肢揺り、頭の上げ下げの角振りの仕草。さて、どの方向、どの角度から突進するか? 氏は、牛の一挙肢一投足を形態模写で披露された。さてさて、堀越さんの視覚および視覚保存装置はどうなっているんだ? と、一同が唖然。

 その後、堀越さんは、神田神保町・丸の内・銀座・四谷・赤坂そして博多などの地で多くの個展を開きましたが、どの会場にも足を運ばれ、吾子の幼少時の画才の非凡とそのエピソードを、目を細めて語るお母上の姿も楽しいものでした。

 堀越さんは飾らず伸々と誰にでも細かい心遣いをなさる方でしたが、天皇・皇后両陛下にご覧賜った小島章司フラメンコ舞台。その見事な美術の苦労・内輪話について皇后様からご質問があったとき……。堀越さんは、慌てふためき直近の方からネクタイを奪い威儀を整えて皇后様の前に立つや。皇后様直々の「堀越さんならネクタイなしで……」とのお言葉に「ヘイヘイ……以後は……」と応答する天真さ。

 並はずれの天分と天真さとが束となって盛り上がる恒例の神泉村山中の巨大な登り窯炊き……陶芸イベントともなれば、一山は、大戦場の活気と和気さの極み。その堀越氏が手掛けさえすれば画&陶器&落書き&イベント……全てが大らかさ伸びやかさで優美。

 さて、氏の晩年。気楽に、坦々と、ときにを決して、楽しみながら描いていたのがANA「翼の王国」の表紙絵。

 あるとき、ボソボソ鼻歌交じりで作業されており、鼻歌は田原坂の一節。「(右手)に血刀、(左手)に手綱……」のみに「ヘェー堀越さんも民謡を歌うんだワィ」と茶々を入れると、「絵描きは、目と手を描く作業に極集中!……そのときのおいがメテ・メテ!エッヘッヘ!」という、相変わらずの悪戯児の目での滅多にないお諭し。

 そういえば、氏は中野三中水泳部……何よりも水泳好きの堀越さんが心地よく描き上げた……と自賛の「泳ぐ少年」。多くの孫達に囲まれた老晩年の法皇様の、デレッとした至福を眼と手に込めたティツィアーノと同様、この小僧を見守る水着姿の婆ちゃんの目と手。力泳する少年の眦。それと同調した両腕。気の遠くなるような水かきと水滴群。これで渾身の泳ぐ少年の図の完成!!

 

「泳ぐ少年」 ANAグループ機内誌「翼の王国」表紙絵

 

目…眼、そして手。よし!河童を描くぜ!!……と渾身の作業を続け……会心の河童の完成だ!!……と喜び勇んで出版社に提出。あろうことか……この真迫さたるや、……不気味すぎて表紙絵には不適……没……との御託宣。

 珍しく落胆の極みにある氏を、夫婦二人でアトリエへ電撃訪問のお見舞い。大きな書斎の大机の前の大壁に×を賜った河童……絵はたったの一枚……だけが ポツン と。

 

「河童遊楽図」週刊朝日「美を見て死ね」vol. 100掲載

 

 多才の氏は、絵画・陶芸の制作、およびカンテ熱唱の合間、週刊朝日に「美を見て死ね!」を延々と連載なされた。コダワリが少なく、独特のアッケラカンたる美術評が大々好評。その連載100回記念に、「たった一点だけ自作を」と乞われた氏は、何たることか……この河童を選ばれた。

 目力と手力……を深く知り尽くした堀越さんの境地が 河童 であり、人間が具備する卑屈さと猜疑心、そして虚無感などを河童の目と手に託して楽々と描き上げた天才。これが、堀越千秋画伯であろう。

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