とかげは今日も 小鳥の真似 土の真似

画廊香月 / ギャラリーモリタ 25周年記念特別企画 堀越千秋展
2015年6月「アーモンドの咲くころ」
©Shunichiro Morita

 

「ヒトミちゃん、わしの仕事いっぱい創ってくれや、そうしたらみんなに会えるやろ」

末期のがんが堀越千秋のからだを蝕んでいた。 

2016年の堀越千秋展は、北海道/帯広、東京、福岡、再び東京と三つの都市で五つの展覧会を開催した。10月の絵本原画展 原作/E・A・ポー 文・絵/堀越千秋『大渦巻き』は生前最後の展覧会となった。作品は鮮やかな青、緑、紫を基調とした色彩のなか鋭い黒い線が紙の上でうねり、冴え渡る月明かりの静けさと極限の彼方で欲望に翻弄される人間の切ない哀しみが同居していた。オープニング前日、「明日、心配せんでええからな、わしの代わりにギタリスト用意したから、いつもみたいに皆に酒振る舞って愉しんでくれや」とマドリードの自宅から電話をよこした。そしてレセプション当日「そんな約束してないよ、さっきだよヒトミちゃんが落ち込んでるからギター弾いて慰めてこいって、千秋さんらしいよなー」と若林くん。皆、大笑い、それから泣きだした。その日を境に刻一刻と容態が変貌する堀越の報せが届くたびに、ギャラリーは現実の大渦巻きに翻弄され、のみ込まれていった。

堀越千秋との出会いから27年。どんな些細な思いつきも、「へっへっ、おもしろい、それ、やりましょ!」 ではじまった二人三脚。 画廊香月初個展のこと。街路樹の下で人々が見守るなか5mの看板にうねるような黒い太い線で「志賀島」を描いた。画廊を超え街に跳びだし、カフェ、レストラン、BAL、酒蔵、銀行、エレベーター、病院、個人宅、あらゆる時、あらゆる場所に描いた。ときにカンテを口ずさみ、土を練り、エッセイを書いた。超高級マンションには竹と萱草と二枚の畳で茶室。熊本の高橋酒造「白岳しろ」初CM出演では、アンダルシアロケと義兄弟アグヘタファミリーの棲みかへ。アジア美術館では、ジャズピアニスト板橋文夫、韓国のチェソリとのコラボレーションとライヴペインティングがNHKで放送された。後「横浜ジャズプロムナード」に毎年出演。日本最大のロックフェスティバル「フジロック」に招かれアグヘタファミリーのディエゴとミゲルと共にカンテで熱狂させた。福岡に共同で「アフィシオンレコード」を立ち上げ『フラメンコの仙人たち』をリリースした。三菱地所アルティアム福岡で展覧会「He has gone over to Spain」、北海道帯広神田日勝美術館で「西の国から」を開催、さらに「ART FAIR ASIA FUKUOKA」のロゴマークを制作、公では最後の登場となるアジア美術館での特別講演「美を見て死ね」では私と対談、そしてサプライズでカンテを絶唱し観客を湧かせた。

堀越千秋とは誰だったのか。 あの零れるような笑顔の奥から光の矢を放つような眼差しで、一瞬の内に傍にいる者を魅了する“獣と子供の魂を持つ生きもの”そして、恐るべき“天才芸術家”。 

私の最大の理解者だった。今日まで私がギャラリストであるとしたら、堀越千秋の存在なくしてはありえない。私の根底を見抜き、評価し、担ぎ、信頼し、勇気と希望を与え、導いた。出会って間もない頃、堀越はこんな言葉を寄せた。

「かづきひとみとは何か? …するとある日、会う機会が訪れたのである。西武線東伏見駅にて。黒っぽいボロ布をまとった”もの”が、ぞろり、ぞろりとやって来た。そして「わわわわわ」と何か言った。だから、はじめから、“人美”は美人として僕の前に登場したわけではない。それから車に同乗して、温泉かどこかに行ったのだった。車内でかづきひとみは、控えめな女、であった。が、これは ただ黙っているだけではないな、と私(探偵だから“私”)は、直感した。いやいや今でも彼女はとても控えめなひとである。クリームソーダに差し込まれたストローのように、控えめである。たまにくるくる回って、ソーダとアイスをかき混ぜたりする程度。そして音もなく薄緑色のソーダを時折吸う程度。しかるに諸君、ソーダは沸騰し、アイスは爆発し、コップは砕け散るのである WHY??」

銀座の画廊香月の扉に描かれた種子の芽吹きを想わせるような黒く太い躍動する線が私に問いかけてくる。 

「いま! ここで! 

自分がおもしろいと思うことをやりなはれ!!」と。

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