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日本の暮らしから生まれた芸術


Carolina Ceca




Casi espiral (ほとんどスパイラル) ©︎Carolina Ceca

PRIMEROS PASOS DE
UNA ARTISTA ESPAÑOLA EN JAPÓN

スペイン人現代美術家
カロリーナ・セカ

2005年の夏の終わり。日本の地を初めて踏んだ私が一番最初に口にしたものは、成田空港で食べたうどんだった。店内の驚くほど活気あふれる賑わいを耳にしながら、不器用な自分の箸先からツルツルと麺が滑るたび、横浜から私を出迎えに来てくれていたフェリス女学院大学の方々の清楚なブラウスにつゆが飛び跳ねてしまわないか心配でならなかった。幸い、そんな染みはできなかったけれど。

その時から約1年かけて私は、今までのスペインの環境と全く違うこの異国の地で、日本のデジタルアートを大学院で研究しながら、その傍らで作品制作をし、現代美術に関する2つの修士論文を執筆した。それから、故郷と日本を何度か往復した後、日本へ定住し現在に至っている。

日本へ着いた当初、私はまだスペイン北西部、若い学生たちであふれるクチナシ色と杏色の街並みの、サラマンカ大学所属の学生だった。

日本へ来て、電車の混雑具合や夜でも明るい夜空に驚いたり、喧騒から一歩外れた都会の裏道の静寂さに東山魁夷の青を彷彿としたりと、新しい発見ばかりの生活を大いに楽しんだ。日本のことをまだよく知らなかった私にとって、新しさと古さのコントラストは大変新鮮で感動的なものに映った。

やがて、東京と横浜で研究を進めていくうち、幸運にも、等身大の人形を使った舞台劇「百鬼どんどろ」こと、岡本芳一氏に出会った。彼の様々なお面を使った独特の舞踊とパフォーマンスには非常に大きな感銘を受けた。そして彼の舞台は、私の作品であるCasi espiral(ほとんどスパイラル)とMascarada(仮面舞踏会)に計り知れないほどの多大な影響を与えている。その後も、麿赤兒氏率いる大駱駝艦や、彼の師匠である土方巽氏の作品に出会ったが、日本人と同じものを感受することが私には難しく、舞台を鑑賞している間も、まるで自分だけが薄い布を被された鏡を前にしているような違和感を覚える時期があった。

母国スペインのトレドに帰省して、かつて親しんでいた西洋文化に再び浸る中で、私が日本で生きていくには日本文学を通じて文化を理解すべきではないかと思い付いた。そうして、安部公房や川端康成を読み耽った。その頃、ちょうど私は作品制作に取りかかっていた。ヨーロッパ製の紙と日本の和紙を融合させて生み出した初めての作品が、情熱を込めたMascarada(仮面舞踏会)だ。

Mascarada (仮面舞踏会) ©︎Carolina Ceca

カロリーナ・セカ / Carolina Ceca

日本在住の美術史研究家、現代美術家。サラマンカ大学とフェリス女学院大学の両大学で芸術史を研究。以後、スペイン大使館(東京)、スペイン、モロッコ、カリアリ王宮(イタリア)にて展覧会を開くなど精力的に制作活動を続けている。NHK のラジオ番組「まいにちスペイン語」テキストにイラスト連載や、テレビ番組『NHK 旅するスペイン語』の中で作品を紹介されたこともある。現在は、自身のアトリエで作品の制作、講義やインスティトゥト・セルバンテス東京でアートセミナーなどを行っている。 www.carolinaceca.com

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