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acueducto 13 特集「春祭りの都市、セビリャ SEVILLA」

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セビリャの「異端審問マーケット」


川成洋

 セビリャの市街地からグワダルキビル川にかかっている石造りの堂々としたイサベル2世橋(通称、トリアナ橋)を渡り切った右側に、大きな露店の市場がある。主に、食糧品、日常品などが売られている、喧騒と市場らいしにおいのする、実に庶民的な市場であった。だが名前は、何故か、実に厳めしく「Mercado de la Inquisición (異端審問市場)」という名前で、また、グワダルキビル川岸からの5、6段のステップを上りこの市場へ向かう川岸の小道も「Callejón de la Inquisición(異端審問小径」)となっていた。

Callejón de la Inquisición(異端審問小径)

 どうして、こんな名前が付けられたのだろうか。

 そういえば、セビリャにスペイン初の異端審問所が設置されたのは、1478年であった。イサベルとフェルナンドの両王によるレコンキスタの完成とスペイン統一(1492年)よりも、14年も前のことであった。異端尋問官から告発されれば、容疑者は身柄を拘束され、財産も取り押さえられ、裁きの場で己の身の証を実証しなくてはならなかった。勿論、取り調べの段階で過酷な拷問による自白も日常茶飯事のことであった。被告が自らの力で無罪放免を勝ち取るのはほとんど不可能であったろう。事実、1480年から1516年までの36年間で、異端として、6,000~7,000人が火刑で命を落としたと言われている。しかもこの制度が実際に王令で廃止されたのは、なんと1834年であった(1813年に廃止されたが、翌年復活した)。それにしても、「愛の宗教」といわれるカトリックがよくもこのような理不尽で無慈悲な制度を続けたものだ。

現在は市場の下の異端審問所跡はCastillo de San Jorge(サン・ホルヘ城)として、異端審問所の歴史を紹介している

 ところで、1992年の「スペイン・イヤー」に、この市場の少し上流が「セビリャ万博」の会場となった。主催者側のセビリャ市当局は、この市場が余りにもみすぼらしいために(と、私は思っている)、撤去することにした。たしか、トリアナ地区に移転したはずである。そして実際に撤去してみると、地面の下にかなりの数の個室のようなものが見えてきたのだった。果たせるかな、この市場は、名前の通り、異端尋問所だったのだ。この個室は、寄る辺なき被告たちが拘留されていた場所に違いない。

 現在は、全くこぎれいな市場となっている。時の流れというものなのだろう。



川成 洋 / Yo Kawanari

1942年札幌で生まれる。北海道大学文学部卒業。東京都立大学大学院修士課程修了。社会学博士(一橋大学)。法政大学名誉教授。スペイン現代史学会会長、武道家(合気道6段、居合道4段、杖道3段)。書評家。

主要著書:『青春のスペイン戦争』(中公新書)、『スペインー未完の現代史』(彩流社)、『スペインー歴史の旅』(人間社)、『ジャック白井と国際旅団ースペイン内戦を戦った日本人』(中公文庫)他。

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