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acueducto 18 特集「サルバドール・ダリ」

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天才、奇人、狂人… 巨匠サルバドール・ダリの生涯


大野方子

「天才」「奇人」「狂人」──数々の呼称と共に20 世紀を代表する芸術家として名を馳せた芸術家がいました。シュルレアリスムの巨匠、サルバドール・ダリです。緻密な描写で非合理的な世界を表現したダリの作品は、活躍当時のアートシーンを賑わせるのみならず、彼の死後四半世紀が経過した現在も変わらずに、見る者へ大きな衝撃を与えて記憶に留まります。その制作背景には、ダリの故郷スペインの風土が色濃く漂います。日本国内において最大規模のダリコレクションを誇る諸橋近代美術館の収蔵作品と共に、スペインが輩出した稀代の人物、ダリをご紹介いたします。

天才の誕生

 サルバドール・ダリは1904年5月11日、スペインの北東部カタルーニャ州の沿岸都市フィゲラスに生まれます。ダリの父親、ドン・サルバドール・ダリ・イ・クシは公証人であり、フィゲラスの有力者としても名高い人物でした。支配的な父とは対照的に、母親のフェリーパ・ドメネクはダリの我儘を受け入れて甘やかしていたと言われています。そして4歳下の妹アナ・マリアは、家族の中でもダリと非常に近しい存在であり幾度となく作品のモデルを務めています。

 一家にはもう一人の男児が存在していました。ダリの兄にあたるその子供は、ダリ生誕の約1年前、病のために幼くして世を去ったと言われています。彼の名はサルバドール。ダリに授けられたものと同じ名前を持つ子でした。スペイン語で「救世主」を意味する名ですが、長男の死を受け入れることが出来なかった両親にとってダリはまさしく救いの存在であったのでしょう。幼い頃から両親の期待を背負い、自身の存在と表裏一体となった兄を思いながら、ダリは死への強迫観念に囚われる日々を送りました。悲しき出生の秘密ですが、皮肉な事にこれが後のダリ作品に確固たる特徴を付随させ、ダリ自身の異常なまでの自己顕示欲を成立させたのです。

ダリが愛した土地、カダケス、ポルト・リガト

 ダリを語る上で切り離せないのが、カダケスとポルト・リガトです。カダケスはフィゲラスよりおよそ40キロ東に位置する小さな村です。現在は観光地としての知名度も確立していますが、漁師小屋が立ち並び、入り江に幾多のボートが船舶するなど、かつてアンチョビ漁で栄えた漁村としての名残が強い土地です。ダリの父イ・クシはこの地の出身者です。一家は夏の別荘をカダケスに所有し、ダリも幼少の頃からカダケスで休暇を過ごしていました。カダケスの入り江、ポルト・リガトでは潮風にさらされて風化した奇岩が至る所に点在します。おびただしい数の凹凸が付いたものや奇妙な形の穴が開いた岩は、見る角度によって異なる姿を見せます。この光景はダリの脳裏に焼き付き、やがて「ダブル・イメージ」という表現に形を変えて作品に反映されました。ダブル・イメージとは、だまし絵の手法の一つになります。一つの物体を観察し続けていると他の形に見えてくる、視点を変えると隠された他の物が姿を現すといった、人間の脳の働きを利用したトリックです。ダブル・イメージはダリ作品に欠かすことのできないエッセンスとして、作品の随所に現れています。

 1921年、ダリはマドリッドのサン・フェルナンド王立美術アカデミー入学のために故郷フィゲラスを離れたのち、更なる能力の研鑽と新たな発展を求めてフランス・パリへ赴きます。1926年にアカデミーを去って故郷に戻ったダリは、ポルト・リガトの老朽化した漁師小屋を購入してアトリエに改築し、創作活動の拠点としました。

 ダリの他にも、ポルト・リガトに魅了されこの地を愛した芸術家がいました。パブロ・ピカソ(1881-1973) とジョアン・ミロ(1893-1983) です。両者ともにフランスでの活動が取り上げられがちですが、ダリと同じくスペインの出身者です。ミロはダリの作品を一目見るために、わざわざパリから画商を引き連れてポルト・リガトを訪れています。作品を大層気に入ったミロは、この若き才能を余すとこなく発揮させるためにダリをパリで活動させることに奔走しました。ダリの芸術的才能がいかに素晴らしいものかをダリの父に説き、パリでの暮らしを了承させたのです。ピカソは同郷の芸術家の才能を評価し、ダリを出版社へ紹介して挿絵の制作を仲介したり、1934年にはアメリカへの渡航資金を工面するなど金銭的援助を伴う関係を築いてダリを支援しました。ピカソの援助による初渡米の後、数回に渡りアメリカを訪れたダリは、第二次世界大戦の戦禍を避けて亡命したニューヨークで生活します。しかし1948年にスペインへ帰国して、ポルト・リガトに移り住みました。以後、世界各地を巡りながら精力的に活動を続ける中でも、一年間の内でまとまった期間は必ずポルト・リガトに滞在して制作に励んだと言われています。ポルト・リガトはダリの創作の拠点であり、愛する風景に囲まれた安息の地でもあったのです。

ダリ渾身の大作《テトゥアンの大会戦》

 ダリの作品の中でも屈指の逸品が、1962年の絵画作品《テトゥアンの大会戦》です。縦3メートル、横4メートルという巨大な画面もさることながら、カンヴァスの上に繰り広げられた戦いの様子は、「圧巻」の一言に尽きます。テトゥアンはモロッコ北部の地中海側に位置する町で、スペイン領として治められた歴史を持つなどスペインと縁深い土地です。「テトゥアンの会戦」とはモロッコ・スペイン戦争中の1860年、テトゥアンにおいて起こった戦いの名称です。作中で戦場を駆け抜けるモロッコ兵の中には、ダリお得意のダブル・イメージで実に様々な数字が羅列されています。その最前線で、戦士に扮し馬に跨るダリと妻ガラの間には「5」「7」「8」、つまり制作期間中のダリの年齢「57」「58」が記されているのです。「芸術界という戦場で作品を残し続けること、これは即ち戦いなのである。」このように語ったダリにとって、《テトゥアンの大会戦》はまさに芸術家人生の縮図ともいうべき作品です。ダリは14歳当時、スペインはバルセロナ、カタルーニャ美術館でマリアノ・フォルトゥニー(1838-1874)の作品、《テトゥアンの戦い》を鑑賞しています。この作品は、フォルトゥニーが州政府の依頼を受けて戦闘の様子を克明に記録したものです。先人の大作から多大なる感銘を受けたダリは、いつか同じ主題の作品を世に出すべく構想を温め、この歴史的な戦いを芸術家としての表現上の戦いに変換して《テトゥアンの大会戦》を制作しました。スペインが関与する歴史的な出来事とともにダリの生涯を描いた、渾身の一点です。

諸橋近代美術館

 福島県の景勝地、裏磐梯の朝日国立公園内に位置する諸橋近代美術館は、いわき市出身の実業家 諸橋廷蔵(1934-2003) が二十余年をかけて蒐集した西洋近代以降の作品を収蔵しています。その中でもダリ作品のコレクションは絵画・版画・彫刻を合わせて340点と、アジア圏でも有数の規模を誇ります。現在、開館15周年記念「Episode15 ~コレクションの軌跡~」展を開催中です。同展では、スペイン・フィゲラスのダリ劇場美術館における廷蔵とダリ作品との出会い、ダリコレクション収集にかけた飽くなき情熱のエピソードと共に、当館の15年間の軌跡をご紹介します。

 

【美術館・問い合わせ先】

公益財団法人 諸橋近代美術館
福島県耶麻郡北塩原村大字桧原字剣ヶ峰1093-23
TEL:0241-37-1088 ホームページ:http://dali.jp

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