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acueducto 3 特集「ガリシア」

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2010年「聖ヤコブの年」のガリシアから


塩澤 恵

 

 2010年のスペイン、ガリシア州の州都であるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。いつもは中世の趣を残してひっそりとたたずむこの小さい花崗岩の町も、「聖ヤコブの年」である今年は、世界中から観光客や巡礼者が続々と訪れ、夏のバカンスシーズン中は、まるで東京や大阪の繁華街のような賑わいでした。

 サンティアゴとはスペイン語で「聖ヤコブ」を意味します。この聖人を祀る日が7月25日で、この日が日曜日に重なる年が「聖ヤコブの年」となります。この特別な年は、6年、5年、6年、11年という周期で周ってきますが、2010年の後は11年後の2021年なので、「どうしても今年、サンティアゴに行きたい」という旅行者の数が通常の数倍まで膨れ上がっています。そして、この「聖ヤコブの年」にしか開かれない「聖なる門」をくぐると「恩赦」が得られるので、巡礼者も観光客も、朝早くから行列を作って辛抱強く並んでいます。

 多くの巡礼者たちは、「サンティアゴ巡礼」のいくつかのルートの中で、最も主要な「フランスルート」を通ってサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指します。セブレイロ峠が、ガリシア州内のこのルートの出発点です。ここには、「サンタ・マリア・レアル教会」という9世紀に建設が始まった由緒ある教会があり、キリストの「聖杯伝説」とも関係があると言われています。また、このルート沿いにベネディクト派の「サモス修道院」がありますが、7世紀にその起源を持つこの荘厳な修道院の院長を始め修道士たちは、非常な親日家です。まだまだ数の少ない日本人巡礼者や観光客を、心から歓迎してくれます。

 ガリシアの歴史をさらに遡ると、聖ヤコブによってキリスト教が布教される以前の紀元前2世紀頃から、ガリシアにはローマ人の侵攻が始まり、それまで住んでいたケルト系民族を北方に追いやり、植民地を築きました。ローマ帝国の威光はこの辺りでも紀元5世紀頃まで続きました。その結果、ガリシアには、ローマ時代の遺跡が数多く残っています。「ルーゴ市の城壁」はユネスコ世界遺産に登録されている貴重な建築物です。ルーゴ市の市民は、毎年夏に「ローマ祭」を開催します。お祭りの間、城壁の周りではあたかも2千年前のような光景が繰り広げられます。ある週末、観光客で賑わうサンティアゴ大聖堂の前に、ルーゴからやって来たローマ人兵士たちが現れました。千年の歴史を持つ大聖堂の前に、突然、二千年前のローマ人軍団。この日、サンティアゴを訪れていた人たちにはちょっとした余興でした。

 11月6日には、ローマ教皇がサンティアゴ大聖堂を訪れますが、実質20%以上の失業率を抱えるガリシアで、この教皇訪問の警備にかかる莫大な費用をどこから捻出するのか、ガリシア州政府、サンティアゴ市が頭を悩ましています。サンティアゴ大聖堂から、「お布施」を募る手紙が配られ、すでに不景気に苦しむ一般市民に、さらにその負担が掛けられようとしています。教皇が聖ヤコブ様にお願いすることは一体、どんなことなのでしょうか。巷には、日に日に物乞いをする人たちが増えています。

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