2017年08月
© FMGB Guggenheim Bilbao Museoa
筆者がビルバオ・グッゲンハイム美術館の川向こうにある大学に学んだ当時、工場跡地に放置された資材置き場、茶色に淀んだ川面がネルビオン川ウォーターフロント開発以前の印象風景だ。
1990年代初めビルバオ市はヨーロッパ連合(EU)が推進する「サステイナブル・シティ」構想に参画、「経済(開発)か環境か」ではなく、双方の同時再生に挑戦した。ポスト工業都市の再生、鉄の街を文化の街に変えるために、川辺の空間が変わる。その「目玉」が美術館誘致だった。
1991年4月バスク州首相は州都ビトリアにニューヨーク・グッゲンハイム財団の責任者を招いた。その場でバスク側は「目玉」の必要性を訴えて準備金2000万ドルを財団に寄付した。財団ディレクターであるトーマス・クレンスは回想インタビューで「バスク人に魅せられてしまった」、「ビルバオは(危機を克服しようとする)強い都市だ」と答えた。郊外の飛行場からヘリ機でビトリアに向かい、その後同じヘリで古都ゲルニカへ飛び、そこから2キロ離れたフォルア村にある「カセリオ」(バスク風家屋レストラン)でさらなる説明を受ける間、「前衛」美術館と「古臭い」バスクとのミスマッチへの「賭け」が思い浮かんだ、という。
© FMGB Guggenheim Bilbao Museoa
表面はチタンの鱗で覆われており、巨大な鯨を連想させる。古くから漁業が盛んなバスクにふさわしいデザインだ。
グッゲンハイム効果
1997年10月、美術館は開館した。フランク・O・ゲーリーが設計したチタン製の鱗で全面が被われた巨大な鯨(バスクは西洋式捕鯨の発祥地)を想像させる建築物は評判となり、初年度に130万人強、その後も100万人前後の入館者があった。集客が期待できるピカソの「ゲルニカ」誘致には失敗したが、予想以上の数字は合意時の投入資金2000万ドルを2年で回収させた。経済復興を考えて宣伝した「グッゲンハイム効果」の文句が現実になった。美術館はビルバオ市のみならず、バスク全体、そして都市再生の「シンボル」となった。ビルバオ「衰退」を物語る高い失業率30%が3%台に。
美術館は「鯨」、国際会議場メイン・ホールは「造船所のドック」、川に架かる橋は「ガラスの下に透きとおる川面」を見せる。やがて磯崎新設計による「ツインタワー」のゲートが登場した。「鯨」、「造船所」に続く、ゲートの解釈をめぐる会話はキリスト教「マリア信仰」に及んだ。彼の地は、古代信仰の女神「アンドラ・マリ」と「聖母マリア」が融合して祖先礼拝が強いカトリックが根付いた。バスクの伝統が現代に創生される。美術館周辺の変容が話題を呼ぶ。20年間周辺の進化を促す「目玉」がこの美術館だ。
渡部 哲郎 / Tetsuro Watanabe
横浜商科大学教授
1950年島根県安来市生まれ。島根大学文理学部卒業、デウスト大学文哲学部留学、上智大学大学院文学研究科博士課程修了。常葉学園大学外国部学部助教授、デウスト大学客員教授、横浜商科大学商学部教授。著書に『バスク もう一つのスペイン』(単著)、『新スペイン内戦史』(共著)、『新訂増補スペイン・ポルトガルを知る事典』(共編著)、『バスクとバスク人』(単著)など。