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ロルカの世界を軸に発展した 日本のフラメンコ


大久保元春
天本英世と北御門義幸(天本英世記念館をつくる会事務局長)
写真提供 : 北御門義幸

 吟遊詩人で音楽家、戯曲家、演出家、画家でもあったフェデリコ・ガルシア・ロルカは1920年代から1936年、38歳の若さで非業の最期を遂げるまで多彩な才能を駆使して活躍、日本にも多くのロルカ信者をつくり、日本のフラメンコ界の発展にも大きな影響を与えた。

 ロルカ自身も、幼少時よりフラメンコの愛好家であり、ギタリストやカンタオールを自宅に招いてフェルガを催す父から影響を受け、ピアノに習熟しながら次第に土着のフラメンコに魅せられ、ジプシーからギターの手ほどきを受けるなど、フラメンコの世界にのめり込んで行った。そしてフラメンコの本質を追求して「ドゥエンデ」に行き着き、カンテ・ホンドの歴史的、芸術的重要性を語るまでに至る。

 特に日本では、フラメンコとの関連は深く、『ジプシー歌集』(28)、『カンテ・ホンドの詩』(31)、『イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌』(35)などの詩集、『マリアナ・ピネーダ』(27)、『イェルマ』(34)、『ベルナルダ・アルバの家』(36)などの戯曲、それにアンダルシア民謡の採譜・編曲した「ソロンゴ」「カフェ・デ・チニータス」などのスペイン古謡など、ロルカ作品がよく取り上げられ、フラメンコ作品のモチーフや題材となり、多くのアーティストにとってフラメンコの原点ともなっている。

 実際、ロルカの詩や戯曲などの作品をフラメンコのモチーフとして取り上げるようになったのは、ロルカの詩のもつ叙情性や音楽性だけでなく、晩年近くに発表した「ドゥエンデの理論とからくり」など、魂の叫びを醸し出す根源的な死と生を孕んだ内容に魅せられた面も大きい。特にスペインに留学したり、アンダルシアの土壌に根付くフラメンコを目の当たりにした者は、その向こうに広がるロルカの世界をフラメンコで表現したいと誰しも一度は思うはずである。

 その動きは、60年代から70年代にかけて渡西した者、あるいはロルカの死後、発刊された「ロルカ全集」や映像・音楽などの影響を受けた者が日本でロルカを紹介、伝播したお蔭で、それ以後ロルカを部分的に取り入れたり、公演の演目に加えるなど、次第にロルカが日本でも知られるようになり、プーロ・フラメンコの基本形にもなっている。

 その流れは、日本のフラメンコの開花期である70年代、80年代に顕著で、踊りだけでなく、歌、ギターや朗読の分野にまで及んでいる。

 例えば、長嶺ヤス子は七四年頃「イグナシオ・サンチェス・メヒーアス」を踊り、芸術祭優秀賞と第7回舞踏批評家協会賞を受賞、一躍注目を集めた。七六年には帰国後間もない蒲谷照雄がギターコンサートを開き、天本英世がレシタドールとしてG・ロルカの詩作品を朗読し、島みち子、小笠原その子が踊って、その見事なアンサンブルで好評を博した。

 80年代に入り、83年7月、ギターの北村隆がこまばエミナースでG・ロルカ スペイン民謡集より「ホイソ伯爵のロマンセ」「セビーリャの子守歌」「ソロンゴ」を演奏、10月には天本英世が「天本英世のロルカ」朗読の会でフラメンコギターの調べをバックにロルカの世界を唄い、11月、東仲一矩が第2回リサイタルを神戸、京都で開催、そこで「ロルカを踊る」を披露、12月には北海道の小角典子がトマス・デ・マドリーを招いて、舞踏団5周年記念公演に「ベルナルダ・アルバの家」をテーマに開催、札幌市芸術祭奨励賞を受賞するなど、フラメンコの開花期はロルカの世界を繰り広げることで着実な発展の礎をつくった。

 84年には、マヌエル・カーノの愛弟子の吉川二郎がロルカのスペイン民謡集を編曲して「四人のF・G・ロルカ」を発表、リサイタルを85年にかけて開いたり、テレサ林が「フラメンコの世界“ガルシア・ロルカを踊る”」と言うテーマで闘牛士イグナシオ・サンチェス・メヒーアスに捧げる公演を行っている。

 この頃、最も活躍していたのは、スペイン全土を旅して「スペイン巡礼」や「スペイン回想」を著した俳優の天本英世である。ロルカの時代のフラメンコは、バイレ、カンテ、トーケと共に朗詠(レシタシオン)は付き物であったが、日本では小海永二や小川英晴など一部の詩人を除いてあまり流行らなかったようだ。唯一、天本英世が日本語、スペイン語で吟誦、86年に銀座「ラ・ポーラ」でロルカの詩と歌を朗読し、唄ったり、六甲スペイン祭ではフラメンコ・ギターの藤塚栄二と共演するなど、ロルカの思いを誠実に伝えた功績は大きい。

 その後、ロルカを大編成で踊って注目されたのは東仲一矩で、87年大阪厚生年金ホールで上演した「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」は、カンテにエンリケ・エレディア、瀧本正信、ギターに藤井正仁、藤塚栄二、木越剛、上林功など関西の一流アーティスト、それに天本英世の朗誦が入った布陣で、プロローグから「負傷と死」「不在の魂」「存在する肉体」「流れた血」、そしてエピローグと丁寧にロルカの死を痛み、哀悼を捧げて高い評価を受けた。

 その後、80年代後半から90年代の後半にかけてギターの土橋幸男、竹下茂、伊藤日出夫、エンリケ坂井、踊りの小角典子、沙羅一栄、佐藤佑子、小松原庸子、小島章司など、大物アーティストがロルカをモチーフに度々公演を行っている。

 特に1998年は、ロルカ生誕百年に当たり、日本でもいろいろな記念行事が催されたが、なかでも小島章司は、「ロルカ詩組曲“夜”を取り入れた「フラメンコに魅せられて1998〜TOKIO」に続いて「詩人は死んで伝説は生まれた」、そして「ガルシア・ロルカへのオマージュ」と立て続けに公演を行い、ロルカを偲ぶなど、むしろロルカは死して再生した感があった。

  小島章司は、その後「LUNA」(99)、「1929」(00)、「黒い音」(01)、「ロマンセ」(05)など、踊りの原点をロルカの世界に求め、ひたすらロルカを通してフラメンコの新しい世界を創造して来た。その思いは留まる事を知らず2006年、ロルカ没後70周年記念に「FEDERICO」を公演、更にロルカと共に内戦の犠牲者となった詩人たちを悼んで「戦下の詩人たち<愛と死のはざまで>」を上演、愛と平和をロルカに託して実現しようと願う舞踏家のひたむきな思いが伝わってくる。

 かようにロルカがこの世に発したフラメンコの原点ードウエンデは現在のフラメンコに生き続けてはいるが、未来を担う若きフラメンコ・アーディストにどれだけ継承されていくかは最近の傾向を視ている限り、必ずしも楽観はできない。ただロルカの精神を灯した光を放ち続けて欲しいと願うばかりである。(文中敬称略)

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