2015年11月
ディアギレフ率いるバレエ・リュスが、長く滞在したスペイン。その風土と人々、豊かな民俗舞踊に触れた日々の集大成と言えるのが、スペインを代表する芸術家パブロ・ピカソ、マヌエル・デ・ファリャとのコラボレーションで誕生した《三角帽子》である。初演はロンドンのアルハンブラ劇場で、第一次大戦の終結から約8か月を経た1919年7月22日に行われた。
《三角帽子》の舞台は18世紀のアンダルシア、サン・フアン(聖ヨハネ)の祝日である。粉屋の女房に横恋慕した代官(市長)が、粉屋を不当に逮捕させ、その隙を狙って女房に強引に迫ろうとするが、うっかり川に落ちてずぶ濡れに。着替えのため粉屋の家に入ったところへ、留置所から逃げ出してきた粉屋が戻ってくる。寝室で濡れた代官の服を見つけた粉屋は、妻が不貞を働いたと勘違い、復讐のため代官の家へ向かう。そこに警吏たちがやってきて、粉屋の服を着た代官を見つけ、実は代官とは知らずに捕まえて散々に打ちすえる。最後には村人も集まってきて代官は笑い者にされる――という、風刺のきいた筋である。
粉屋役はもちろんレオニード・マシーン、粉屋の女房には、このシーズンから団に復帰したカルサーヴィナがキャスティングされ、好色の代官を若手のウォイジコフスキーが踊った。メインとなる踊りは、粉屋の女房の踊り(ファンダンゴ)、村人たちの踊り(セギディーリャス)、粉屋の踊り(ファルーカ)、代官の踊り(メヌエット)、フィナーレの踊り(ホタ)である。メヌエット以外はすべてスペイン舞踊であるが、あくまでも「バレエ」でありながら、スペイン舞踊を巧みに取り入れているのが画期的で、ディアギレフのもとで華開いた振付家マシーンの才能が冴えている。もちろん、あの不運なジプシーの踊り手フェリックス・ガルシアも、陰の功労者であることを忘れてはならないだろう。
レオニード・マシーン
冒頭ではティンパニの連打、続いて2本のトランペットによるファンファーレが響く。間髪入れず踵を鳴らす音、カスタネット、さらに「オレ!オレ!オレ!」と3回の掛け声。このイントロの効果で、観客は一瞬にしてスペインにいざなわれる。幕が上がると現れるピカソのアクト・カーテンには、闘牛を観戦する人々が描かれていて、スペイン気分はさらに盛り上がる。このアクト・カーテンは、《パラード》のために制作したものとまたスタイルが異なるが、同様に称賛された。白とグレー、少し沈んだ色調のピンクに深い青が配色された背景は、シンプルかつ美しいもの。衣装も斬新で、バレエを華やかに引き立てた。ピカソは、粉屋の衣装に半ズボンをデザインしたのだが、マシーンは、ファルーカの踊り手はタイトな長いズボンを履いているのだから、長ズボンにするべきと主張したそうである。両者はしばらく譲らなかったが、結局、前半で長ズボン、後半で半ズボンを着用することで落ち着いた。
この作品の音楽をさらにみてみると、スペインの多様な地方性が効率よく盛り込まれている。たとえば、粉屋はムルシア、女房はナバラ出身という設定で、粉屋のテーマにはファリャ自作の《7つのスペイン民謡》から〈モーロ布地〉の前奏部分が、女房のテーマにはホタの素材が使われるなど、ファリャが細部までこだわって作曲していることがうかがえる。(ホタはアラゴン地方を本場とするが、隣接するナバラでもポピュラーな踊りである。)その他にも、様々な民謡や子供の歌などが引用されていて、スペインの人々からすれば、普段から親しんでいるメロディがそこここに顔を出す、楽しい仕掛けが満載なのだ。ディアギレフやバレエ・リュスの面々は、多分そこまで細かく知らされてはいなかっただろうが、《三角帽子》はバレエ・リュス話題の新作でありながら、「スペインらしさ」の紹介にもひと役買っているのである。
粉屋がソロで踊るファルーカは、ガリシア地方の伝統的な短詩をベースに、タンゴから派生したフラメンコの曲種のひとつである。これは、改作前のパントマイム作品《代官と水車小屋の女房》にはなかったもので、ディアギレフからマシーンの見せ場を作ってほしいと乞われたファリャが短時間で作曲した。
代官の踊るメヌエットが象徴しているのは、上流社会。スカルラッティ風の曲想のなかに、ピリッと揶揄が効いている。18世紀の幕開けと同時に、スペインの王室はハプスブルクからブルボンに継承され、ルイ14世の孫である国王(アンジュー公フィリップ=フェリペ5世)のもと、スペインの上流階級はフランスかぶれとなった。それに反発した庶民が、セギディーリャスやファンダンゴといったスペイン生粋の民俗舞踊を愉しんでいた一方、ハイソな人々はメヌエットなどの難しいステップを覚えるのに必死だったというわけである。この作品中で、村人たちが踊るのがセギディーリャスなのも、そんな時代の理にかなっているといえる。
コール・ド・バレエでホタが賑やかに踊られるフィナーレでは、ゴヤのタピスリーに描かれ、ゴヤに触発されたグラナドスによるピアノ曲でも有名な「わら人形遊び(エル・ペレレ)」も登場する。女性たちがブランケットの端を持ち、その上でわら製の人形を高く跳ね上げる「エル・ペレレ」の遊びは、図像学的には「女性が男性を嗤う」と解釈されてきた歴史がある。ここではまさに、笑い者となった代官をペレレとオーバーラップさせているのである。
ところでファリャは、この初演には立ち会えなかった。「母危篤」の電報が届き、急きょスペインに戻ることになったのである。アルハンブラ劇場での《三角帽子》の指揮は、バレエ・リュスの専属指揮者だったエルネスト・アンセルメが行った。アンセルメは、ストラヴィンスキーの紹介でディアギレフと知り合っており、《パラード》の初演も指揮している。アンセルメは滅多に人をほめないタイプだったそうだが、この《三角帽子》におけるマシーンの踊りを「忘れられない」と賞している。
アルハンブラ劇場でのシーズンを終えたバレエ・リュスは、興行の場をエンパイア劇場に移す。その期間中、スペイン国王がロンドンを訪れ、《三角帽子》を初めて鑑賞した。ディアギレフとバレエ・リュスの庇護者である国王がたいそう喜んだのは言うまでもない。
エンパイアでの公演は12月20日で終了、数日後のクリスマス・イブには、早くもパリ・オペラ座での初日を迎える。《三角帽子》は翌1920年に上演され、パリの観客にも好意的に受け入れられた。そして、1920年代パリを中心に興る「第2次スペインブーム」の立役者ともなるのだった。
下山 静香 / Shizuka Shimoyama
桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。
www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica
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