ガルシア・ロルカと音楽 その5
下山静香

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ロルカへのオマージュ2

 弦楽器よりも木管楽器を好んだプーランクが作曲した、唯一のヴァイオリン・ソナタ。それがロルカに捧げられていることは、前号で述べたとおりである。今回は、この曲が具体的にロルカとどうつながっていくのか、みていきたいと思う。

 ヴァイオリン奏法のメインは弓弾きだが、弦を指ではじくピツィカートも効果的に使われる。ギターを模すこともできることから、ロルカを悼む音楽を奏でる楽器としてヴァイオリンが選ばれたのは納得できる。そういえば、このソナタは、第1楽章・第2楽章ともに、ピツィカートで始まりピツィカートで終わっている。また、第3楽章には、「ピツィカートとアルコ(弓弾き)をアドリブで混ぜるように」と指示された箇所がある。

 またこの作品には、プーランクには珍しく、ダイレクトな感情があらわれている。感情の生々しい表出は、言ってみれば「スペイン的」なのであって、「フランス的センス」にはあまりみられない種類のものであるといえる。軽妙洒脱で、アイロニーのスパイスも効いた生粋パリジャンのプーランクにいたってはなおのことだが、それは、ヴァイオリンという楽器のディオニュソス的なキャラクターとも無関係ではないのかもしれない。

 衝撃音から始まる第1楽章の演奏表現指示は、「とても荒々しく」。途中で曲想が多少和らぐものの、激しく悲壮な雰囲気がメインで、軍隊の行進を連想させるような箇所もあり、作曲当時まさに戦時中だったことを感じずにはいられない。

〈インテルメッツォ〉と題された第2楽章には、ロルカの詩の一節が、フランス語訳で書き込まれている。

 La guitare fait pleurer les songes (La guitarra, hace llorar a los sueños)

 原典は、『Las seis cuerdas 六本の弦』(1924年)。引用されているのは、「ギターが夢想を泣かせる」という冒頭の2行である。ロルカの残したたくさんの詩のなかから、プーランクはこの短い一節を選んだ。というより、そもそもこのソナタは、この一節からひらめいたものなのである。どれだけの思いが、ここに凝縮されていることだろう。ロルカをよく知ったうえでこの曲と向き合ってみると、また違った景色が見えてくるのだった。

 それにしても、日本語に訳した途端、ロルカの紡ぐ言葉が持つ “音楽的な” 美しい響きがまったく失われてしまうことに落胆を禁じ得ないのだが……ともあれ、この詩は次のように続いていく。

 失われた魂たちのすすり泣きが その丸い穴からこぼれる……

 何とも悲劇的な、ギターのイメージである。プーランクが「メランコリックな即興」と表現したこの楽章は、ゆっくりと静かで、まさに彼らしい美しさを湛えるのだが、それでも、「込められた何か」が、やはり他のプーランク作品とはひと味違った印象を与えるように思う。ちなみに、プーランクはこの楽章を「少しスペイン風」と述べている。 「速く悲劇的に」と記された終楽章は、何といってもラストが印象的だ。

 突然、銃声のごとく、容赦のない衝撃音が二発 —— その響きは暗く、重い。一瞬の空白、そしてヴァイオリンとピアノが悲鳴のように、荒々しく駆け上がる。それから一つ……二つ……と乾いた音が鳴り、最後の和音が残される。

 ここはどうしても、ロルカの最期とイメージが重なってしまう。プーランク自身は、「生の躍動感が、悲劇的なコーダに突然砕かれる」と述べてはいるものの、直接的な説明表現はしていないようだが、そんなことはしない、むしろすべきではないのが作曲家というものだろう。

 ロルカの死から33年ののち、20世紀を代表するソ連の大作曲家ショスタコーヴィチも、ロルカにからんだ作品を書いている。ショスタコーヴィチは、体制に迎合した国家のプロパガンダ作曲家だと思われていたところ、没後に『ショスタコーヴィチの証言』が出版されると、そのイメージが一変した作曲家である。

 

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ©Deutsche Fotothek

 

 晩年、体調が悪化し死を意識するようになった時期に作曲された交響曲第14番は、その名も《死者の歌》。11もの楽章から構成されるが、その第1楽章と第2楽章の歌詞に、ロルカの詩(ロシア語訳)が選ばれているのである。

 ショスタコーヴィチは、「死は、輝かしい栄光への扉である」というような捉え方には異を唱え、死をあたかも美しいもののように表現する音楽家たちにも共感しなかった。彼にとって、死とは完全な「終わり」なのであり、だからこそ与えられた生を全力で生きなければならないのだ、という考えを持っていた。

「死そのものに抗議するのは愚かだとしても、強制的な死に抗議するのは可能であるし、必要でもある……私はあの交響曲の中で、死に対してではなくて、人々を処刑する死刑執行人たちに対して抗議しているのだ」という作曲家自身の言葉からも推察できるように、この交響曲のテキストに詩が採用された詩人たちはみな、ある意味で強制的な死=自然死ではない終わりを迎えている。

 第一次大戦従軍中に後遺症が残るほどの重傷を負い、その後スペイン風邪で亡くなったアポリネール、シベリア送りとなり結核にかかったキューヒェルベッカー(*デカブリストの乱に関わり、政治犯収容施設に収監されていた)、白血病のリルケ……最終的に彼らの命を奪ったのは病だったが、ロルカだけは、銃殺という、明らかな人的暴力の被害者である。

 約50分に及ぶこの作品はまず、弦楽器の美しくも物哀しい調べに誘われ、ロルカの〈De profundis(深き淵より)〉で始まる。

 100人の恋人たちが 乾いた大地の下で 永遠の眠りについている……

 バス歌手による100人の恋人たちへの哀歌はまた、若くして戦争の犠牲となり大地に眠る、100万の若者たちへのまなざしでもあるのかもしれない。ならばロルカは、その象徴としても生きてくるのである。

 第2楽章は曲想が一転、ソプラノによる〈マラゲーニャ〉である。

 死が居酒屋に 入ったり出たりしている / 黒い馬たちと不吉な人々が ギターの深い道を通っていく……

 お酒とたばこの匂いがたち込めるアンダルシアのタベルナ、テーブルの上で踊っているのは「死」か。マラゲーニャのリズムが悲痛な叫びをあげ、カスタネットの響きが突然途切れたところで、アポリネールの〈ローレライ〉が使われる第3楽章に突入していくのである。

 スペイン国内では長らくその名を口にすることすら憚られたロルカは、こうして国外の音楽家たちにインパクトを与えてきた。次号では、ラテンアメリカにおけるロルカへのオマージュ、そしてスペイン本国に戻って、「ロルカと音楽」を締めくくってみたいと思う。



下山 静香 / Shizuka Shimoyama

桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。

www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica

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