スペイン◆舞踊と音楽の物語 その1
下山静香

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オペラ《カルメン》初演でカルメンを演じた女優セレスティーヌ・ガリ=マリエ(1875年)。
「ハバネラ」は彼女からのビゼーへの要望で何度も書き直しがなされ、完成した

 

 クラシックファンならご存知、「ハバネラ」! オペラ《カルメン》の劇中、ジプシー女カルメンが薔薇を片手に歌うハバネラが、やはり代名詞的な存在だろう。クラシックを聴きつけない方にとっては、もしかすると「ハバネロ」のほうが馴染み深いかもしれない。そう、こちらはとっても辛いトウガラシの仲間である。この2つ、まったくイメージが結びつかないけれど、実は同じ言葉。『acueducto』の読者なら説明の必要もないと思うが、habanero(アバネロ・男性形)、habanera(アバネラ・女性形)──ともに「ハバナの」を意味する形容詞だ。

 音楽ジャンル、リズムを意味する「アバネラ」がなぜ女性形なのかというと、もともとは「contradanza habanera コントラダンサ・アバネラ」だったものが、「コントラダンサ」の部分を省略した形で呼ばれるようになったからである。

「コントラダンサ」とはなにか? そのルーツは、フランスのコントルダンス、さらにイギリスのカントリーダンスまでさかのぼることができる。フランス国王ルイ16世の妃マリー・アントワネットは、ロココ趣味の限りを尽くしたというイメージが強いが、その一方で、真逆のイギリス趣味にも興味を示している。カントリーダ ンスは、イギリス各地で踊られていた民俗舞踊・音楽を主なルーツとし、17世紀にはすでに広い階層の人々によって踊られていた。フランスでは「コントルダンス」と呼ばれ、アントワネットのお気に入りとなり宮廷でも流行、フランスの植民地だったサン=ドマング(エスパニョラ島西部。現・ハイチ共和国)にも伝わっていた。そんななか、フランスで世界を揺るがす市民革命が勃発する。その波を受けたサン=ドマングでも、黒人奴隷の反乱に端を発した独立革命が起きる(1791〜1804)。その折、対岸のキューバに逃げてきた人たちがコントルダンスを伝え、今度はスペイン語に読み換えられて、キューバのエッセンスが加わった「コントラダンサ」となったのだという(この頃のキューバは、もちろんスペインの植民地である)。

 しかし、コントルダンス由来のコントラダンサはスペイン本土にも存在していたため、サン=ドマング経由ではなくスペインからキューバに伝わったとする説も長らく存在していた。イギリスのカントリーダンスには、男女が向かい合って一列で踊るもの、男女4組が四角形になって踊るもの、輪になって踊るものなどの形 があるが、サン=ドマングとキューバで踊られていたのは一列タイプ、スペインで流行していたのは輪踊りタイプだったことから、サン=ドマング経由説が有力となったというわけである。いずれにせよ、ラテンアメリカで発展したほかの多くの音楽・舞踊と同様、コントラダンサにはアフリカから奴隷として連れてこられた黒人のリズム感が溶け込んでいる。 

 キューバのコントラダンサも様々あったなかで、ハバナを中心に発展したものは「コントラダンサ・アバネラ(ハバナ風コントラダンサ)」と呼ばれていた。そこからダンサ・アバネラ、アバネラ……と省略されていったというわけだ。そしてハバネラは、主として中流以上の階級で流行、いわゆる「サロン」で好んで演奏され踊られるものであった。

 記録に残る「ハバネラ第1号」は、1842年にハバナの新聞に掲載された《El amor en el baile(ダンスの愛)》(作者不詳)とされるが、その頃、「キューバ芸術音楽の父」と呼ばれるマヌエル・サウメル(1817-70)も様々なコントラダンサをピアノ曲として発表していた可能性もあり、そのなかにはハバネラのリズムを用いた楽曲も含まれていると考えられる。また、サウメルと交流のあったポーランド出身のユリアン・フォンタナ(ショパンの親友・協力者)や、アメリカ出身のルイス・モロー・ゴットシャルクなど国外の作曲家もハバネラを書いている。しかし、ハバネラを世界に広く知らしめたのはなんといっても、宗主国スペイン(バスク)出身のセバスティアン・イラディエル(1809-65)である。

 

「ハバネラの父」セバスティアン・イラディエル

 

 キューバに滞在したイラディエルが1860年頃(?)に書いた歌曲《ラ・パロマ(鳩)》は、ハバネラらしいのびやかで明るい曲調を持ちながら、実はハバナから出港する船乗りとひとり残る娘の切ないお別れの歌。これが本国スペインだけでなく、同じスペイン語圏のメキシコや、キューバと距離が近いアメリカなどでも大人気となり、ハバネラ・ブームのきっかけを作ったのである。「初の国際的流行歌」という見方もでき、まさにハバネラの代表曲。イラディエルが「ハバネラの父」と呼ばれるゆえんである。

 イラディエル最晩年の曲集《スペインの花》(1864)に収録されている歌曲《El arreglitoエル・アレグリート》もハバネラで書かれているが、パリでこの曲を知り、読み人知らずのスペイン民謡だと思い込んだ作曲家ビゼーがメロディを転用してしまったのが、カルメンの歌うあの誘惑ソング《恋は野の鳥》である。今ならば「盗作」として大騒ぎになるところ……いや、当時も盗作問題は音楽界を揺るがすことがあり、ビゼーも出版元から訴えられてしまう。そこで初めてイラディエル作と知った彼は、ヴォーカル・スコアの初版にその旨を明記、その後の裁判でも、悪意はなかったことが認められて一件落着となっている。この2曲、ほぼ同じメロディ、同じハバネラのリズムでもかなり違った雰囲気になっているのがおもしろい。歌詞の内容もさることながら、つけられているハーモニーの違いも大。ご興味あらば、《エル・アレグリート》もぜひ聴いてみていただきたい。

 

 

 ビゼー作《カルメン》の初演(1875)そのものは不評に終わったが、カルメンのキャラクターと相まって、ハバネラを人々に強く印象付けたことは疑いのないところだ。その後シャブリエ、サン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなど、フランスの作曲家たちがこぞってハバネラを書いている。

 ヨーロッパ上陸を果たしクラシックの世界にも定着したハバネラは、新大陸にも舞い戻り、各地の音楽にエッセンスとして入り込んでいく……そのお話はまた、次回。



下山 静香 / Shizuka Shimoyama

桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。

www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica

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