スペイン◆舞踊と音楽の物語 その2
下山静香

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 前号では、ハバネラ誕生のいきさつから、歌劇《カルメン》のハバネラにまつわるお話までを書かせていただいた。記録に残された最初のハバネラとして、前号では《El amor en el baile》(1842年)をご紹介したが、現在のところ、さらに時をさかのぼって1829年にハバナの新聞に掲載された《El abufar》が第1号となっているようである。いずれにしても、スペイン語圏ではもっと早い段階からハバネラによる歌が口ずさまれていたことは間違いない。

 さて、スペインに入ったハバネラにはどんなことが起きたのだろうか? 今回はその一端をお話ししてみたい。

 19世紀半ばに作曲されたイラディエルの《ラ・パロマ》は、世界初の国際的流行歌であった。その30数年後、さらに流行をみたのが、ハバナ生まれの作曲家・ピアニスト・教育者、エドゥアルド・サンチェス・デ・フエンテス(1874-1944)が生み出したハバネラ、《Tú(君)》である。1892年に作曲され(1890年説もある)、のちに兄弟のフェルナンが詞をつけたものが1894年に出版された。「燃えるような太陽の美しい島、キューバ/その青い空の下/すべての花々の女王/それは、愛らしい小麦色した君(tú)……」これが大変人気を得て、初の“純キューバ産”ヒットソングとなったのだった。

 出版の翌年、第二次キューバ独立戦争が始まると、その名も《クーバ》としてキューバ讃歌になり、スペイン側兵士、キューバ独立軍側兵士の双方が、それぞれ自陣営の歌として合唱するという現象まで起きたのだった。この折は、「キューバ人よ、天からの声が響きわたる/困難な戦いにある/俺たちに勇気を与えるために/愛国の賢者は/勝利にとりかかった……」という、兵士たちを鼓舞する勇ましい歌詞に替えられている(ホセ・A.ラミレス作詞)。そしてキューバからの政治亡命者によってメキシコに伝わり、当地で革命歌にもなったのだった。また、スペイン人兵士たちが本国に持ち帰り、アンダルシアのカディスやカタルーニャでも替え歌となって愛唱された。

 オリジナルの《Tú》は、1898年にキューバ人ソプラノ歌手のチャリア・エレラ(1864-1948)によって初めて録音されていて、現在youtubeで聴くことができる。

 

 

 キューバをめぐる戦争とハバネラの興味深い結びつきはまだある。1898年、アメリカが介入して米西戦争に発展、スペインは敗北しわずかに残っていた植民地のほとんどを失う。生き残った兵士や失職した商人がスペインへ引き揚げてくると、今や幻となってしまったキューバへの郷愁もあいまって、ハバネラは大流行をみる。19世紀スペインにおいては、町から町へと歌い歩く盲目の歌い手や、世紀後半から人気を博していたサルスエラ(スペインの歌芝居)がハバネラ浸透に一役買っていたが、そうして定着したハバネラを、人々は「キューバの化身」のように愛したのではないだろうか。

 例えばタベルナ(居酒屋的な食堂)は、しばしばハバネラ歌いの格好の場所となった。海に出られないとき、また農作業ができないとき、男たちはタベルナに集まっては飲み、ハバネラを歌った。また、カタルーニャのように合唱が盛んな地域では、ハバネラの合唱をプロが指導することもあった。

 しかしその後、20世紀も半ばになると、昔からの純粋なスタイルよりも、他の流行り歌の影響を受けたものが多くなり。ハバネラ熱は下火になっていった。

 そんななかで、ハバネラの伝統を復活させた町がある。

 まず、カタルーニャ北部、地中海に面した小さな漁師町カレリャ・デ・パラフルジェリ。ここでは20世紀初め、海の男たちがキューバを懐かしんでハバネラを愛唱していた。やがて時を経て、町に伝わるハバネラを集めて記録した『カレリャ・デ・パラフルジェリとハバネラ』という本が1966年に出版される。その折、かかわった人たちが出版を祝ってタベルナに集まり、ハバネラが歌われた。それが、今でもこの町の浜辺で盛大に開催される「ハバネラ・フェスティバル」の始まりである。毎年7月最初の土曜日に行われるこのイベントは、カタルーニャ・ハバネラの代表曲《El meu avi(僕のお祖父さん)》で最高潮に盛り上がる。作曲者はオルテガ・モナステリオ大佐(1918-2004)、軍人ながら音楽を愛好し、120曲以上のハバネラを作曲した人物である。この《El meu avi》は、まさに米西戦争を歌っている。カレリャ・デ・パラフルジェリの同胞を乗せた「カタルーニャ号」の艦長としてキューバに戦いに行き、死んでしまったお祖父さんを誇る内容で、米西戦争に赴いた作曲者自身の祖父の実話が投影されていると言われる。ちなみに、サビに「カタルーニャ万歳」とあり、時にカタルーニャ愛国の歌としても機能しているようだ。

 もうひとつ、意外なことに、内陸のカスティーリャ・イ・レオンはバリャドリード県、マジョルガ・デ・カンポスという町にもハバネラの物語がある。記録によると、この町からは66人が米西戦争に出かけ、うち37人が生還したという。カリブの海で命を落とした男たちを、人々はハバネラを歌って称え、偲んだのである。そして、こちらもやはり、ハバネラに関する書籍『カスティーリャはハバネラを歌う』の出版(1991年)をきっかけとしてハバネラ復興の機運が高まり、1993年から毎年フェスティバル(Trovada de habaneras)が開かれている。こちらは7月最後の週末なので、ハバネラを求めて7月のスペインを旅してみるのもよいかもしれない。

 カレリャ・デ・パラフルジェリの青いビーチ

 

 次号は再び新大陸に戻って、ハバネラの旅を追っていく予定。



下山 静香 / Shizuka Shimoyama

桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。

www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica

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