2019年07月
ファンダンゴ(2)
前号では芸術音楽として書かれたファンダンゴをご紹介したが、今回ももう少し続けてみていくことにしよう。
18世紀スペインにおける重要な作曲家の1人に、アントニオ・ソレール(1729-83)がいる。カタルーニャに生まれた彼は、少年時代からモンセラート修道院で音楽を学び、優れた作曲家および聖職者としてエネルギッシュな活動を行った。おそらくスカルラッティに教えを受けたとされ、優に100曲を超える鍵盤楽曲を書いているが、なかでも異彩を放つのが《ファンダンゴ》だ。繰り返される和声進行にのって、即興的な変奏が10分以上続く(ミニマル・ミュージックが苦手な方はもしかしたら耐えられないかもしれない?!)、まさにトランスをもたらす楽曲。この曲が真正にソレールの作品だとして、聴き手をここまで興奮させる同時代の音楽はなかなか見つからないだろう。仮定形にしたのは、実はこの曲に関する「別人作曲説」が研究者によって提起されているからだ。かといって、ソレールではないという確固たる証拠もないため、現在も「ソレールのファンダンゴ」として通用している。ソレールの音楽にはまさにスペインらしい特徴──つまり、抑制されない純粋な感情表現がみられるので、この熱い《ファンダンゴ》がソレール作ということも不自然でなく受け入れられてきたのだろう。チェンバロで演奏されることが多いが、もちろんピアノでの演奏も可能で、チェンバロとはまた違った魅力を楽しむことができる。「当たるも八卦」的な手の跳躍を要する箇所などは、弾く方も聴く方もスリル満点。
ソレールの活動期にあたる18世紀後半(いわゆる「ゴヤの時代」)のスペインでは、上流階級に広まっていたイタリア趣味・フランス趣味に対する反動のように、スペイン本来の民衆的な文化が盛り上がっていくという現象が起きていた。最初の担い手となったのは、マホ、マハと呼ばれるマドリード下町の庶民だった。彼らは奔放な生活を楽しみ、居酒屋や野外パーティに集っては騒いでいたのだが、そこで好んで踊られていたものの1つが、当時大流行していたファンダンゴだったのだ。ファンダンゴは、自由気ままなマホ、マハたちにピッタリ。かつ、「カスティーソな(純粋にスペイン的な)」性格を持つ踊りとして認識されていたのだろう。それは、のちにエンリケ・グラナドス(1867-1916)が晩年に情熱を傾けて創作した《ゴィエスカス》でも表現されている。その名の通りゴヤ風の世界を描いた《ゴィエスカス》は、まずピアノ組曲として生まれ、その後オペラにも改作されたのだが、そのなかに〈ともし火のファンダンゴ〉と題された曲がある。1800年前後のマドリードを舞台に物語が展開するオペラでは、主人公の1人が決闘を言い渡す緊迫の場のあと、皆で踊るシーンにファンダンゴがあてられている。マホとマハたちは、そのステップにみずからの誇りを転写する。彼らは「これこそがマドリード……これこそが粋、品格、生気、美しいもの!」と礼賛し、「こんなステップを見られたなら、そのあとに死が訪れようと構わない」「マホとはこの足の忠実な僕(しもべ)なのだ!」とまで歌うのである。ちなみに、オペラ《ゴィエスカス》のリブレットを担当したのは詩人・小説家・劇作家のフェルナンド・ペリケ。ゴヤの熱狂的な愛好家でオーソリティを自負していた彼の影響もあって、グラナドスはマホとマハが彩るゴヤの世界に傾倒していったのだった。
少々話が外れたので、時を18世紀に戻そう。スカルラッティと同様にイタリア出身ながらスペインで長く活躍した作曲家に、ルイジ・ボッケリーニ(1743-1805)がいる。スカルラッティがマドリードで没したのは1757年──その頃、少年ボッケリーニは才能を発揮し認められつつあったがスペインはまだ遠く、両者が邂逅することはなかっただろう。ボッケリーニはハイドンやモーツァルトとほぼ同時代、いわゆる古典期の作曲家ということになるのだが、彼らとはひと味違う作風を持っている。そういえばスカルラッティも、大バッハとヘンデルというバロックの巨匠と同年に生まれながら、2人とは異なる独自の路線を歩んだ。
ボッケリーニの音楽は、おおむねシンプルに聴こえる。というのも、複雑な対位法や完璧な構成よりも流麗な旋律線を好むからで、歌謡性を重視するイタリア的性格が表れているといえる。また、長いスペイン生活のなかで、当地固有の音楽の特徴をとりいれた作品も書いていて、「スペイン音楽」の系譜に含められるものもある。その代表格として挙げられるのが、ギター五重奏曲第4番G.448の終楽章、その名も「ファンダンゴ」だ。ギターと弦楽四重奏というこの編成は、ボッケリーニの後援者でアマチュアギタリストだったブナバント侯のために書かれ、全楽章が自分の旧作からの編曲となっている。ソレールのファンダンゴに比べると上品な印象だが、ファンダンゴのキャラクターはしっかり踏襲されていて、さらに、チェリストが弓をカスタネットに持ち替えてリズム体を演奏! という離れ業も指示しているのがおもしろいところ。ボッケリーニはチェロ奏者だったからこの曲も自分で演奏したはずで、そのように書いたということはきっとカスタネットも上手だったのだろう。現在は、カスタネットパートを打楽器奏者やダンサーが担当することもあり、その場合はせっかくなのでこの楽章を通して参加する形になる。特にダンサーの場合は踊りながら奏することができるので、耳でも目でも楽しめて一石二鳥なのだ。ダンサーつきの演奏動画はいくつも視聴することができるけれど、やはりナマの演奏会で体験してみたいものだ。
……そのときを楽しみにしながら、ファンダンゴの旅は続く。
下山 静香 / Shizuka Shimoyama
桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。
www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica
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