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『消えたベラスケス』


川成洋

『消えたベラスケス』
ローラ・カミング 著
五十嵐 加奈子 訳

柏書房
■2018年1月刊
■定価2,500円+税

 16~17世紀中葉のスペイン文化は、当時の世界を牽引し「黄金の世紀」と呼ばれた。しかし17世紀中葉になると、かつての「陽の沈むことなき大帝国」の威光は霧散し、「無能王」フェリペ4世(在位1621~65)の統治下でひたすら破綻へと突き進む。それを何とか差し留めるべく、マドリードとウィーンの両ハプスブルク家間の連帯強化のために同族結婚が繰り返されてきた。フェリペ4世も例外ではなく、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナンド3世の娘マリアナを2番目の妻として迎えるが、なんと彼女は国王の実の姪であった。果せるかな1661年に生まれたカルロスは、精神的にも肉体的にも生来病弱で、「呪われた王」という異名を頂戴した。フェリペの死去を受けて4歳でカルロス2世(在位1665~1700)として即位し、35歳で世継ぎを遺さず薄幸な生涯を閉じた。ハプスブルク・スペインの無惨な終焉であった。

 ところで、黄金の世紀の掉尾を飾ったのは、「画家の中の画家」と云われたベラスケス(1599~1660)だ。24歳という若さで宮廷画家に抜擢され、61歳で亡くなるまでその任に仕えていた。ところが、彼は手紙や日記のたぐいはもちろんのこと、絵画の署名もほとんど残さなかった。「肖像画の天才」と云われていたが、自画像と称する絵もすべて贋作と判明。彼が埋葬されたマドリードの教会は、独立戦争期に侵入してきたフランス軍に蹂躙され、遺骸もなくなっている。40年以上のキャリアにもかかわらず、120点ばかりの作品しか遺していなかった。しかも彼の作品の大部分は、仕事柄、国王と宮廷のために描かれたのであって、描かれたその場所を離れることがなかった。1819年にプラド美術館が初めて作品を一般公開したが、それも40点あまりで、彼の作品を多少なりとも鑑賞できたのは裕福な旅行者くらいであった。晩年に描いた不朽の名画《ラス・メニーナス(女官たち)》に登場する画家がベラスケス本人とされている。

 本書において、美術評論家の著者が2つのプロット──ベラスケスの生涯と、彼の絵の虜になった男の数奇な人生──を掘り起こし、不測不離の関係で双方は展開していく。

 19世紀半ば、ロンドン郊外の町レディング。この町のパブリックスクールの閉校を受けて、備品のオークションが行われた。近くの書店主ジョン・スネアはチャールズ1世の肖像画が出品されることを知る。思いのほか安く入手したその絵は、イギリス王室のお抱え画家ヴァン・ダイクが描いたものだった。だが、スネアは、いろいろと調べた結果、これこそ「失われたベラスケスの絵」と確信する。その絵の来歴と系譜を綴った『1623年マドリードにてベラスケスが描いたチャールズ皇太子、のちのチャールズ1世の肖像画の概要』を嚆矢として3冊の冊子を出版し、各地で大々的に展示会を開く。スペインの宮廷画家によるチャールズ1世の肖像画が発見されたというニュースはイギリス中を駆け巡り、スネアは一躍有名になった。

 当時、著名な美術評論家といえども、スペインの宮廷画家の描いた絵を実際に見た人はほぼ皆無で、こうした絵の真贋を見極めるのは至難の技であろう。やがて、「盗品」と告発され、裁判闘争に巻き込まれたあげく、スネアの書店も倒産し、妻子を養えなくなり、絵だけを持って単身、芸術の新天地ニューヨークへ移り住むが、赤貧のうちに亡くなる。彼の死後、クスコがその絵を持ち帰るが、レディングでの展示・オークションでも買い手が付かず、絵はいつしか忽然と消える。

 たった1枚の絵に取り憑かれたスネアの強烈な思いと、襲いかかる悲劇の数々、それでも貫いた不退転の生き方から、後世の人々を夢中にさせるベラスケスの神秘が伝わってくる。「画家の中の画家」と云われるゆえんかもしれない。



川成 洋 / Yo Kawanari

1942年札幌で生まれる。北海道大学文学部卒業。東京都立大学大学院修士課程修了。社会学博士(一橋大学)。法政大学名誉教授。スペイン現代史学会会長、武道家(合気道6段、杖道3段、居合道4段)。書評家。

主要著書:『青春のスペイン戦争』(中公新書)、『スペインー未完の現代史』(彩流社)、『スペインー歴史の旅』(人間社)、『ジャック白井と国際旅団ースペイン内戦を戦った日本人』(中公文庫)他。

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