2020年01月
Eternamente Loja
永遠のロハ
スペインとの付き合いは、今年でちょうど40年になる。1年をかけて東回りの世界一周の旅をした時のこと。最初の国・米国で、ある写真家の遺作展をやっていた。その中に「スパニッシュビレッジ」という組写真があった。これは行かなくてはと思った。
スペインにたどり着いた時には、世界一周も半ばを過ぎていた。移動の連続で、ここらで少しのんびりしたいと思った。スペインではほぼ英語は通じない。大学のスペイン語科に行っていた友人から、スペイン語の本を送ってもらい、この本を携えてアンダルシアの小さな鉄道駅で降りた。
こじんまりしたhostalに宿をとり、町を歩いた。坂を下り橋を渡ると、学校があった。高校のようだった。そこの生徒と仲良くなって山に登った。日本と違ってほとんど木の生えてない岩だらけの山だ。一緒に登った 2人の生徒は授業をさぼった。その 1人が「父はalcaldeなんだ」と言った。辞書を調べると市長。きっと立派な屋敷に住んでいるのだろう。
家を訪ねると、予想に反して大邸宅ではなかった。一軒家でもなく、pisoと呼ばれる古い集合住宅の2階だった。広くもなく、子どもたちは 6畳ほどの部屋に2段ベッドを2つ置いて、兄弟5人が寝ていた。一番下の女の子だけは、狭いが1部屋を与えられていた。住んでいるのは、社会主義者の市長さん夫婦と子どもの計 8人だった。最初に出会った高校生は長男だった。
ある日、三男が「泊まることはできないけど、8人食べるのも9人も同じだから、ウチで食べたら」と言ってくれ、滞在中の昼食と夕食はそこで頂くことになった。こうしてぼくは、3週間あまりをグラナダ近郊のLojaという小さな町で過ごした。
あれから40年が過ぎ、元市長さんたちは、町の中央公園に面した3階にあるpisoに引っ越した。6人の子どもたちは独立して、Lojaを離れていった。あの頃、 Lojaのメインストリートを走る車はあまりなかったが、今では駐車するのも大変になった。近くに大きなスーパーがいくつかできて、主婦が店主と会話を楽しみながら買い物をする tiendaはほとんど姿を消した。が、barは今もたくさんある。
スペイン語に関しては文盲といってもいいが、Loja で写真展をひらいたとき、インタビューを受けるにあたって1つのフレーズを覚えた。
Donde quiera que esté, estaré siempre con Loja.
(どこにいても、ぼくはLojaとともにある)
今も毎年、スペインを取材で訪れる。マルティン家の人々との交流も続いている。
篠田 有史 / Yuji Shinoda
1954年岐阜県生まれ。フォトジャーナリスト。24歳の時の1年間世界一周の旅で、アンダルシアの小さな町Lojaと出会い、以後、ほぼ毎年通う。その他、スペイン語圏を中心に、庶民の生活を撮り続けている。【写真展】冨士フォトサロンにて『スペインの小さな町で』、『遠い微笑・ニカラグア』など。【本】「ドン・キホーテの世界をゆく」(論創社)「コロンブスの夢」(新潮社)、「雇用なしで生きる」(岩波書店)などの写真を担当。