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acueducto 21 特集「ベレン・マジャ」

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ニューフラメンコの先駆者として世界から注目される舞踏家 Belén Maya


Carmen Álvarez


©Luis Castilla

2015年2月某日 東京にて ベレン・マジャ、エミリオ・マジャと

*東京、恵比寿駅で私はエミリオ・マジャと2人で彼女を待った。

 

 ニューフラメンコの先駆者であり世界的な舞踊家であるベレン・マジャ。一方でエミリオもまた偉大な人物であり、一流のフラメンコアーティストである。もう3年も東京に住んでいるのだが、それは彼の言葉によれば『地上の楽園にいる』のだそうだ。ベレンに会ってすぐにこのことを聞いてみたが、彼女もまた、『私も帰りたくないわ。だって日本が大好きだし、その思いは来るたびに強くなるのよ』とのことだ。

 私達は夕食を共にして親しく語り合った。私の名前はカルメン・アルバレス。現在日本に住んでいる。私は幸せなことにセビージャとグラナダでベレン・マジャのフラメンコクラスを受けた経験があり、そしてこのことは私のフラメンコ舞踊の考え方に影響を及ぼしている。初めて彼女が踊るのを見たのは、カルロス・サウナ監督によるフラメンコ映画の中だった。彼女は緑のドレスを身に纏い、フラメンコ独特のブレリーアス(3拍子の快活な曲種)のリズムに合わせて自由に舞っていた。ジプシー的な要素が混ざる曲の中、彼女の身体は自由に躍動し、さらには魂が身体から抜け出て空中を舞っているようだった。これを見た時、私も踊りたい、と思ったのだ。

 エミリオとベレンはマジャという同じ苗字だ。ベレンの父親はマリオ・マジャと言い、グラナダのバイラオールだ。エミリオの家族もグラナダの沿岸地域の出身だから、彼等のひいおじいさんくらいが親戚だったのではないだろうか。2人が一緒にいるとどこか似ているような気がする。マジャとは、秀でたアーティストであり、一流の人物の苗字なのだ。

 

Belén Maya ©Luis Castilla

 

Emilio Maya

 


Carmen Álvarez

 

 さて、レストランではエミリオが日本に来た経緯を話し始めている。

 

エミリオ:ベレンのお父さんのマリオ・マジャが僕にフラメンコギタリストである蒲谷照雄さんを紹介してくれて、2人でグラナダのサクロモンテの洞窟タブラオ(フラメンコを上演する酒場)に行ったとき、照雄さんがこう言ったんだ。『エミリオ、私と一緒に日本で働かないかい?』ってね。実は、数日前、僕は日本でギターを弾けたらいいなと思っていたから、こんな願ってもいない機会を逃すはずがなかった。初めの頃は日本とスペインを行ったり来たりしていたけれど、結局はここに落ち着いた。今ではもう、スペインに戻りたくはないな。

カルメン:ベレン、あなたのお母さん、カルメン・モラのことを聞かせてくれる?もちろん、多くのフラメンコ関係者はあなたのお父さん、マリオ・マジャのことは知っているけれど、お母さんもまた、偉大なバイラオーラだったわね。私はテレビで彼女の踊りを見て、あなたは間違いなく彼女の娘だって思ったの。

ベレン:残念ながら、母は私が14歳の時に亡くなったの。一度も母にフラメンコを習ったことはなかったし、母らしいことさえもしてもらえなかった。両親は私が5歳の時に離婚して、母はマドリッドのタブラオ、チニータスで踊っていたし、海外ツアーに出ることもあったから、殆ど家にいることはなかったわ。私のそばには素敵な女性がいて、幸せなことに彼女が母親のように私を育ててくれたの。子供の頃は家に両親はいなかったし、フラメンコの音楽を聴くことすらなかった。18歳の誕生日を迎えた時、自分の意志でフラメンコを習い始めたの。それは必死で練習したわ。だって18歳にしてゼロから初めたから、まるで外国人がフラメンコを習うようなものだったの。その頃はマドリッドに住んでいたけれど、19歳になるとタブラオ、『ロス・ガジョス』で踊ろうとセビージャに移り住んだわ。もしバイラオーラとしてやっていくのなら、自分自身で学び、人生を切り開いて行く以外に道はないと感じていたの。ちょうど父がセビージャでアンダルシア・ダンスカンパニーを立ち上げていて、私はそこに一団員として参加したの。私の中にはいつも既存のものに抗う自分がいて、私には私だけの踊り方があると知っていた。それが運命にせよ、なんにせよ、独学で自分だけのフラメンコを見つけなければと分かっていたから、スタジオに籠もってひたすら自分自身に向き合ったわ。そんな私に唯一、師と呼べる人がいるとすれば、それはトナね。彼女はステップの基礎的技術からドレスの裾の扱いまで、沢山のフラメンコの踊りに関することを教えてくれたわ。そして、20歳の時、彼女が『私と一緒に日本に来なさい』と、初めて日本に連れて来てくれたの。

 

*ベレンの母親の話題に触れるのはとてもデリケートなことだと思ったけれど、もう少し詳しく知りたくて、『お母さんのことで覚えていることをもう少しだけ、話してくれない?』と再び聞いてみた。ベレンはしばらくだまって考え込んでいたが、やがてそっと目を閉じると涙がその頬を伝った。

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