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acueducto 34 特集「LAS CORRIDAS DE TOROS -闘牛-」

闘牛を描いた芸術家たち
宮田渚

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闘牛を描いた芸術家たち
LOS ARTISTAS QUE DESCRIBEN LAS CORRIDAS

死に切迫する闘牛は、

観る者に強烈な印象を与える。

コリーダに魅せられた者、

あるいは恐怖した者は、

何を語り、描いたか。

 

闘牛士の独特の帽子をモンテラという。マタドールは第3幕の前にこの帽子を砂場で放り投げることがある。
この時、帽子が逆さまに落ちると不吉であるとされる
ⒸJacques Rouquette

 

パブロ・ピカソ Pablo Picasso

 スペイン人の闘牛愛好家といえば、ピカソの名がいの一番に挙げられるだろう。美術界「20世紀最大の巨人」は、足繁く闘牛場に通い、闘牛士たちに牛を捧げてもらい、お返しに自分のスケッチを彼らに与え、モンテロ(闘牛士帽)を被ってはしゃぎ、「画家でなかったらピカドールになりたかった」と宣い、あるいは雄牛の仮面を被り、アトリエに友人たちを集めてギリシャ神話のミノタウロス伝説を模した酒宴を開くなど、この世界に誰よりも深く嵌り込んだ。彼が9歳のときに最初に描いた油絵も《ピカドール》(1890)だった。その後も、油絵、版画、墨絵、陶器画、彫刻など、時代ごとにさまざまな様式や技法で闘牛をモチーフとした作品を制作している。中でも特に魅力的なのは1930年代の《ミノタウロマキア》の時代だろう。ギリシャ神話とスペイン闘牛を融合させ、黒い雄牛はクレタ島の怪物となって馬や闘牛士に襲いかかる。牛の顔はピカソ自身である(“El toro soy yo”)。殺される女闘牛士の顔はピカソの妻の顔である。この作品では残酷さとエロティシズム、さらには生贄の像から連想されるキリスト教の磔刑も主題としていると言われている。また別の時期には、制限時間内に一瞬の運に任せて演技をする闘牛士に倣い、制限時間内に筆のやり直しが効かない墨絵や陶器の皿に闘牛を描く試みをした。いわば画布の上の闘牛士になりきろうとしたのである。実際の闘牛士たちとも親しく交流し、特に仲の深かったミゲル・ドミンギンはピカソを「彼は根底から闘牛士だ Picasso es un torero, en el fondo…」と讃えている。

 スペイン内戦の惨禍に憤り生み出された大作《ゲルニカ》(1937)、ここにも闘牛のモチーフ (牛、馬、倒れた人間が持つ折れた剣、太陽のメタファーとも解釈できる真上の電球)が複数描かれている。女たちも馬も肉体が大きく捻れ、まるで闘牛場全体が苦痛に歪んでいるようだ。闘牛の主役であるはずの牡牛は左端でぽつねんと佇み、目の前の光景を静観しているのだろうか。牛はフランコや暴力の象徴であるという解釈もあるが、スペインという舞台から離れたところで喪心するピカソ自身にも見える。この作品はパリのアトリエで制作された。ピカソはフランス生活が長かったが、南仏で「第二のスペイン」を発見できたこともあってか、祖国の民衆文化への深い愛を忘れたことはない。ピカソにとって幼い頃から親しんだ闘牛は、スペインそのものだったのである。

 

ジャン・コクトー Jean Cocteau

 フランスの詩人ジャン・コクトーも闘牛に魅入られた人物のひとりで、ピカソと一緒になんども観に行った。コクトーにとって、牛とマタドールの対は男女の関係と並行にあった。詩的作品『5月1日の闘牛』(1957)のほか、闘牛デッサンも多数残している。

コクトーの友人、ジャン=マリー・マニャン氏にアルルの自宅で見せてもらったデッサン。
左の絵には2体の牛(愛の対象としての観念的な牛と、目の前の怪物のような牛)が描かれている。
Jean-Marie Magnan所蔵(撮影:宮田渚)

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