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第4回 ムール貝


片岡治子

 料理好きの読者の中には、オロ・リキド(Oro Liquido)というスペイン語でオリーブオイルを比喩する言葉を聞いたことのある人は多いだろう。では、オロ・ネグロ(Oro Negro)はどうだろう。「黄金を帯びた漆黒」と訳すと、どんなに神々しいモノが登場するのかと期待してしまうのだが、その正体は「ムール貝」である。

 ムール貝は地中海沿岸部を原産地とする。残念ながら和食の食材として取り扱われることは少ないものの、スペインだけでなく、イタリア、フランス、ギリシアといった地中海諸国では、安価かつ栄養価の高い食材として欠かせないものとなっている。

 たかがムール貝といえども種類があり、実はスペインには、春先の数ヶ月間だけしか味わえない珍種が存在する。ガリシア地方やエブロ川河口付近で獲れるムール貝『メヒジョネス』(Mejillones)のことではない。ここで言っているのは、バレンシアおよびサグント沿岸でのみ漁獲され、原産地呼称のもとに保護されているムール貝『クロチナス』(Clótxinas)である。

 通常のムール貝の貝殻の部分が6cm程度だとすると、『クロチナス』は、それよりも小ぶりな4.5~5cm程度。中の身の部分の色合いも、薄いオレンジかクリームの淡色で、サイズは大きめの身でも、成人男性の親指の先程度と小ぶりな種類だ。しかし、磯の香りも味もとっても濃厚なのだ。モッチリとクリーミーで、余計な味付けをしたら申し訳ないくらいに美味しい。

 普段食べるムール貝なら、白ワイン蒸しにして、ローレルやパプリカを効かせたりするのだけれど、『クロチナス』は、白ワインとレモン、ニンニクとほんの少しのコショウで充分。貝から出る地中海の海水が、絶妙の塩味を出してくれる。

 美味しさのヒミツは、バレンシア沿岸部の海水。プランクトンやミネラル成分が非常に高い。低カロリーでビタミン、鉄分、カルシウム、リン、マグネシウム、オメガ3が豊富でダイエットにも最適らしいのだが、だからといって、たくさん食べてしまっては何の役にも立たない情報だ。

 そういえば、「スリムになって彼女ゲット」を目標とする、友人のマノロ。先日、一緒にランチをした際、ムール貝の殻をフォークの先にひっかけた即席マイスプーンで、残ったスープを最後まで啜っていた。目標達成の成果については言わないでおく。

『クロチナス』の漁獲期は、4月の満月の日から、“R”が付かない月。つまり、Mayo(5月)、Junio(6月)、Julio(7月)、Agosto(8月)の下弦の月まで。ビオディナミ(月の満ち欠けに基づく有機農法)を取り入れるのはワインのためのブドウやオリーブ農業だけではない。髪の毛を切るタイミングも月の動きに合わせることで艶のある活き活きとした髪になるのか、コシのないパサパサの髪になるのかが変わってくる。スペインでは、生活の知恵としてビオディナミの考え方が受け継がれている。

 メヒジョネスの漁獲総量が約267.000t。対して、D.O.バレンシアのムール貝を養殖する22の養殖筏から獲れる『クロチナス』の数は、わずか約800tしかなく、他の地方へは流出しない。どれだけ希少であるかがわかる。バレンシアでしか食べることができない珍味。時期が合えばぜひ試して欲しい。

クロチナスの原産地呼称証明として、出荷時にバレンシア州国旗のマークと、養殖された棚番号がつけられている。冷蔵庫で保存する場合、濡れ布巾を上に被せ、調理寸前に余分な汚れを落とすのがベスト。バレンシアではシーズン中、他所から入荷するメヒジョネスが姿を消す。通常のメヒジョネス料理もクロチナスに置き換わるので、本来は価格的にも 2 倍以上もするクロチナスを格安で食べられるかもしれない
コロン市場内の自然派カフェが用意した特別メニューは「クロチナスの薪炊きパエリア」。クロチナスがたっぷり載っている。アリオリソースを合わせると美味しい。独特の食感が味わえる
クロチナスのシーズンには、バレンシア市内に点在するいくつかの市場で、季節の到来を知らせるお祭りが開催される。繁華街近くにあるコロン市場では、シーズンが開始されてまもなく、クロチナス・フェスと称して市場に店舗を持つ各店が特別メニューを用意する。写真はコロン市場の正面入口とクロチナス・フェスのパンフレット


片岡 治子 / Haruko Kataoka

大阪府出身。1991年より渡西。スペイン全土を食べ歩きののち、「食」や暮らしに関するコラムやレシピ執筆。様々な業務経験を経て、現在、バレンシアを拠地に飲料、食材・食器の輸出、卸販売ほか、スペインの「食」をトータルで日本へ届ける『オルカ・スペイン』代表。ブログ媒体を通してスペインの内側から見る「食」を紹介するほか、体験版グルメツーリズムにも積極的に取り組んでいる。執筆依頼も可。

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