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<スペイン史>という、「謎」に向かって ― 川成洋著『スペイン通史』を読む


平井うらら

スペイン通史
川成洋 著

■丸善出版
■2020年3月刊
■定価2,500円+税

このたび、『スペイン通史』という充実の一書が刊行されましたので、ご紹介するとともにおすすめします。

「スペイン史」を首尾一貫した視点で記述するということは、口で言うほどそう簡単なことではありません。他のヨーロッパの国の歴史とは違う、独特の難しさがあるのです。著者はそのことを、「はじめに」でつぎのように述べています。

スペインの歴史は「激変」というべきか、不思議なほど変転極まりない。しかもある時代とその次の時代とが断絶する場合がほとんどである。言ってみれば、「断絶の連続」である。それは、古代よりスペインの国造りの担い手が外国勢だからなのだろう。[中略]その中からヨーロッパを席巻し、時には覇権を握った枢要な民族がスペインの国造りに、あるいは国のありように大きく関与したのだった。それ故に、スペインの歴史は、ダイナミックであり、われわれを瞠目させる壮大なドラマが常に秘められている。

ここには、スペインの通史を俯瞰して見たときの、重要な特徴が述べられています。ここで述べられていることを裏返して言いますと、スペインにおいてはじつは、一国の歴史を成立させるはずの主体となる強力な民族なり共同体なりが初めは存在していなかった、ということです。

スペインは、自分たちの手によって形成されたひとつの主体なのではなく、地政学的に区切られたひとつの地域にすぎなかったのです。その地は、古代にスペインの支配者となるローマ帝国によって、「イスパニアHispania」と名づけられました。その名が意味することとなったのは、「ヨーロッパ中央部からはピレネーの山々でさえぎられ、大西洋沿岸へはポルトガルとの国境となる西部の山脈でさえぎられた区域全体」のことです。この地域は、カルタゴと支配権を争ったローマが勝利の結果、ローマ皇帝直轄の属州となったところです。この時にすでにスペインに住んでいた先住民は、フェニキア人やイベリア人、ギリシャ人、北方山岳地帯ではカンタブリア人やバスク人など多様でしたが、それぞれ個別の共同体を育んでいて、域内に共通する普遍的なものはありませんでした。言い方を替えますと、スペインは「ヨーロッパ中央からアフリカへ往還する南北の文化」と、「中東から地中海を通って大西洋へ抜ける東西の文化」が交差する十字路であり、またそれらが自由に流入し定着する器でもありました。地中海は巨大な内海であり、古代においては陸地を移動するよりはるかに簡単に、地中海沿岸のどの地域からでもスペインに流入することができたのです。ですから、ローマ帝国が「支配」という網をかけるまでは、スペインは自由の地であり、異族・異文化共生の地でした。スペインがその初発に持つこの性格は、スペインの歴史全体を貫いていて、現在まで続いています。この国がどんなに強権的な政体のもとにあった時期でも、たとえばスペイン帝国の絶頂期のころも、フランコ体制の頃も、国全体がひと色に染め上げられるということはついに一度もありませんでした。そのせいで、スペインでは求心力と遠心力がいつも同時に働いていて、遠心力がつよくなると最近のカタルーニャのように、独立志向が強くなるのです。

ロイ・キャンベルは、スペイン内戦で殺された国民的詩人・ロルカとほぼ同世代のイギリスの詩人ですが、そのすぐれたロルカ論のなかでスペイン史にふれて、つぎのように指摘しています。

人々がスペインの「後進性」を口にするとき、実は大変誤った基準によってスペインを判断しているのだ。進歩というものが坂を登るような事業であったころ、スペインはつねに大巾にリードしていた。それが本当に危険な下り坂になったとき、つまり、悪魔にとりつかれたように皆がわれ勝ちに走り出したとき、スペインは伝統という形のブレーキだけでなく、反動という形の逆転ギヤをも具えていること、そしてスペインに関する限り、「進歩」とは自分でそう考えるかどうかの問題であることを証明したのだ。[1]

著者は本書の「はじめに」で、「起こったことが話題にならず、話題にならなかったことが起こる。これが二十世紀のスペインだ」というフリアン・マリア―スの言葉を引用して、「それは二十世紀に限らず、スペイン全史にあてはまる」と指摘しています。わたしは、マリア―スもキャンベルも結局は同じことを言っていると思います。それはすなわち、「今まで世界史、あるいはヨーロッパ史を解釈し評価してきた基準を、そのままスペイン史にあてはめることは不可能だ」ということです。キャンベルの言葉を借りれば、「進歩」とか「反動」とかいう概念でスペイン史を理解することはできないのです。スペインに関する限り、「進歩」や「反動」は相対的な概念であり、個人の思想信条の問題に帰着するものに過ぎないのです。このようなスペイン史は、「ヨーロッパの世界制覇の過程」として語られてきた今までの公認の世界史のなかでは、「謎」として現れざるを得ません。これが、スペイン史を通史として語るときの難しさです。著者はこの困難を踏まえたうえで、このスペイン通史を歴史段階論によって整序しようとはしていません。目次を見て頂ければすぐわかることですが、記述は「古代/中世/近代」という分け方をせず、先史時代の第一章から現代史である十七章まで政体の変化や歴史状況の変化にともなって、順に語られることになるのです。

では、スペインが一応の統一性を持ち、国らしい姿を獲得したのはいつか、すなわち「スペインがスペインになったのはいつか」という問いが生まれます。今までの多くの通史ではこれを、「キリスト教国家・スペインの確立と発展」という大きな物語のもとに、<西ゴート王国→レコンキスタ→カトリック両王による国家統治→世界帝国スペイン>という軸で語ってきました。

これに対して、端的につぎの事実を示しておきましょう。すなわち、スペインのローマ時代は約600年続きました。ローマ時代が終わって、西ゴート王国がスペインを支配した時代は、約230年です。イスラム勢力が侵入してきて、西ゴートの残党を北の山間部に閉じ込めて、スペインを支配したのが約800年です。レコンキスタが完了してから第二共和制までが、約440年です。つまりスペインでは、厳格なキリスト教国家でなかった時代の方がはるかにずっと長いのです。[2]その間に、民衆レベルの文化の基層がつくられています。その具体的な例、痕跡を挙げればきりがないのですが、皆さんはそのことのいくつかを、もうご存知でしょう。

ロルカは、イスラム教徒の最後の砦・グラナダ王国の陥落について、こう述べています。

「学校では反対のことを教えていますが、グラナダ王国の陥落という事件は、悲惨な出来事でした。世界でも特異な素晴らしい文化、詩、天文学、建築、繊細な美が失われ、グラナダは、貧しく、意気消沈してしまった町、つまらない土地に変わってしまいました。」[3]

通史を記述するとき、スペイン史のこのような多重性をどう説明していくかは、重要なところです。本書は、レコンキスタが完了する以前のスペイン史を、イスラム側からも丁寧に記述しています。その間スペインは、二つの勢力が対立し対峙する最前線であるだけでなく、混在し共生する場所でもあったからです。西ゴートの残存勢力が、東の、もうひとつの最前線である十字軍にインスパイアされて、レコンキスタというイデオロギーを獲得してから、イスラムと非和解的なものとなったのです。レコンキスタは、いままで多くの書で訳されたような「国土回復運動」ではありません。それは、「再征服」と訳されるべきもので、「異教徒の地スペインを再征服するのは、神から与えられた使命」とするものです。つまり、レコンキスタの戦士たちにとってスペインは、「征服の対象」なのです。ここに、スペインの支配者たちと被支配者たちとの、根本的な亀裂が存在するのです。著者はもちろん、この点については、レコンキスタに「国土再征服戦争」という訳語をあてています。

わたしの考えでは、スペイン史には歴史を動かす三つの動力があると思います。ひとつは、国家権力とは相対的に独立した民衆の巨大な流れです。大航海以降は、この流れはスペイン本国だけでなく、中南米も包み込みます。スペイン帝国主義は、搾取や収奪をイギリスやフランスのような精緻な管理システムとして構築しなかったかわりに、人的な交流圏と広大な文化圏を作り出しました。フランコによってスペイン本国がロルカを完全なタブーにしたとき、中南米がロルカを保存し、ロルカ再興の策源地になったことでも、その文化圏の広がりと深さがわかります。

もうひとつは、民衆たちの直接の支配者たちである貴族や地主たちです。彼らは、氏族国家ゲルマンの伝統にのっとり、「良き王」には従い、「悪しき王」とは徹底的に抵抗します。しかしそれでも、自ら王となることはなく、「王」という超越的なものを自分たちの上に必要としていました。そのようすは、国民的叙事詩『わがシッドの歌』で明らかです。シッドは、約束を守らない王に反抗し、信義に厚いアラブの王たちと盟約を結び、王の軍と戦っています。これは、『ニーベルンゲンの歌』(ドイツ)や『ローランの歌』(フランス)とまったく違うところです。[4]

三つめの動因は、王族たちです。彼らは、カトリック両王以来、徹底した政略結婚を行います。すでにヨーロッパ中枢では、婚姻を通して各国の王族たちどうしが分厚い血族の集団を形成していました。各国の争いは所詮、同じ血族内部の争いでもあったのです。この血族集団への参加が遅れたスペインは、中南米から略奪した金銀財宝を惜しげもなくつぎ込みながら、むりやり参入しようとするのです。この試みは、ハプスブルクの王となることで一時的に成功しますが、ヨーロッパにおける「成り上がり者の栄光と悲惨」は最後までつきまといます。

この三つの動因は、他国においても多少なり存在していたわけですが、他国においては最後には、「国」という枠組みの中に回収されています。しかしスペインにおいては、たがいに複雑に絡み合いながら、それぞれが独自の論理をもって独自に展開していき、国家に完全に組み込まれてしまうことがないのです。これが、スペイン史を他国と違ったものにし、分かり難くしているのです。

著者はこの問題を大胆に整理しています。ひとつは、大航海時代と植民地経営には直接踏み込まず、スペイン本国の歴史を主軸に据えること。二つめは、歴史の展開を主に、「王族たち」という動因を基本にすること。そうしなければ、通史の基本的な軸が見えなくなるからですし、通史を本書の分量に収めることができないからだろうと思います。

この書において、著者が大事にしていることがあります。それは、歴史的シーンの現場に自ら臨場しようという姿勢です。同時にこの歴史上の現場に、読者も立ち会わせようとしています。それは、記述の合間にしばしば「註」として挿入される引用文や豊富な図版に表れています。引用文は、その歴史的事件の同時代人の証言が多数採用されています。著者自身による註も、ただの補足ではなく、出来事の背景にある「物語」を紹介するものとなっています。しかもこの註は、巻末にまとめられるのではなく、記述されているその同じページに掲載されています。これは、ほんとうは編集上、たいへん手間のかかるやり方です。

臨場感の工夫は、年表の作成と、そのなかの説明的な文章にもあらわれています。巻末に添付された地図や王朝の系図にも、あらわれています。このようにして、スペインの通史全体をひとつの物語として読むこともできますが、同時にあらたなスペイン像を読者自身が描いていくうえでの導きの糸ともなるものです。

圧巻なのは、「第14章 第二共和国」から、スペイン内戦、フランコ体制、フランコ後の現代史へと至る現代史です。この部分は、いままでの「通史」が駆け足で通り過ぎていたところです。いまでも議論が別れる内戦の経過、日本ではほとんどていねいに語られることのないフランコ以降が、2020年の現在まで(年表は、2020年まで記載されています)簡潔に語られています。

この書の最後の章は、「第18章 日西関係」にあてられています。とくに、第二次大戦下の日西関係は、あまり知られることなく、貴重なものです。

著者は「はじめに」で、「のろのろと進む牛車の脇を、カラフルな自動車が土煙をあげて走り去る姿」にスペインを見ています。ほとんどが舗装された道路しか持たない日本とは違って、スペインでは、<「革新」も「保守」も>、<「過去」も「未来」も>、<「生」も「死」も>、同時に存在するのです。時間は、直線的に伸びているものではありません。循環しています。すなわち、「過去は未来にあり、未来は過去にある」のです。このことをもっともよく教えてくれているのは、ロルカの『ドゥエンデ論』[5]です。そこで彼はこう言っています。

スペインの芸術の核心であるドゥエンデは、私たちが受け継ぎ、私たちを生かしているところの、血の問題です。つまり、古代から長い間受け継がれてきた文化の問題であり、そこに私たちが何をつけ加えることができるかという、創造的行為の問題でもあります。

つまり、<スペインの芸術には、スペインの歴史的体験の全重量がかかっている>、と言っているのです。<その意味ではスペインの文化は、どこの国の文化とも違っている>、と言うのです。

この意味で、スペインを理解するために、通史をきちんとたどることは、とりわけ重要です。本書は、多くの人にとって、そのためのかけがえのない羅針盤となるにちがいありません。         

                 (ひらい・うらら=同志社大学講師・詩人)


[1] 長田弘篇『スペイン人民戦争』p337全集現代世界文学の発見 第三巻 学芸書林 1970年

[2] ローマ時代が約600年(BC200~AD395)/西ゴート王国時代が約230年(476~711)/イスラム時代が約800年(711~1492)/再征服以降が、約440年(1492~1931)

[3] イアン・ギブソン『ロルカ』(内田吉彦、他訳 中央公論社 1997年)p46

[4] 牛島信明『スペイン文学史』p33以下 名古屋大学出版会 1997年

[5]講演「ドゥエンデ論」=原題、‘Teoría y juego del duende’ (ドゥエンデの理論と機能)は1930年の春、「イスパノキューバ文化協会(Institución Hispanocubana de Cultura)」の招きでキューバを訪れたときに行われた講演のテキストである。その後、機会あるたびに何度も、スペイン本国や中南米でこの講演がなされた。



平井 うらら / Urara Hirai

同志社大学講師 詩人

1952年香川県高松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。京都外国語大学大学院修士課程修了。グラナダ大学博士課程修了。文学博士(グラナダ大学)。著書に『対訳タマリット詩集』(単著)、『平井うらら詩集』(単著)、『マヌエルのクリスマス』(単著)、『ガルシア・ロルカの世界』(共著)、『スペインの女性群像』(共著)、『スペイン文化辞典』(共著)など。

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