「バレエ・リュス」とスペイン その1
下山静香

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 伝説の「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」を主宰したセルゲイ・ディアギレフ。もし彼が存在しなかったとしたら、20世紀前半における世界のアート・シーンはいささか寂しいものになっていたことだろう。天才を見つけ、結びつける天才―― 比類なき芸術プロデューサーだったディアギレフのもと、文学、音楽、美術、衣裳などの新しい才能が結集、バレエ・リュスは斬新な振付と舞踊で作品に命を吹き込み、「総合芸術としてのバレエ」を革新したのである。最初の大きな旋風は、まだ無名だったストラヴィンスキーの音楽によるバレエ《火の鳥》(1910年)で巻き起こった。「バレエ・リュス」と名乗り常設カンパニーとしての活動を開始する前年のことである。この作品の大成功により、一躍時代の寵児となったストラヴィンスキーは、《ペトルーシュカ》《春の祭典》と立て続けにバレエ・リュスとのコラボ傑作を生み出すことになる。ストラヴィンスキー以外にも、ドビュッシー、ラヴェル、サティ、ミヨー、プーランク、プロコフィエフ、ピカソ、マティス、ミロ、ダリ、ローランサン、シャネルなどなど……バレエ・リュスと仕事をした音楽家、画家、デザイナーは綺羅星のごとく、豪華な顔ぶれが並ぶ。

 

ディアギレフ

 しかし、興行は水物の宿命を逃れられない。舞台がいかに好評であっても、経済的な問題とは常に隣り合わせ。ディアギレフも何度も破産状態になっている。そして、活動の範囲が広がれば、それだけ社会情勢の影響もこうむることになる。

 折しも、バレエ・リュス正式結成からわずか3年後、人類史上初の世界大戦が勃発した(1914年)。ロシアも連合国側として参戦し、総動員体制となる。バレエ・リュスのメンバーのなかには無国籍移民になる者もいて、団の状態は不安定になった。しかしディアギレフは、とにかく前へと進み続ける。シーズン終わりで一旦解散したバレエ団は、1915年、中立国スイスに拠点を移してリハーサルを続け、ディアギレフは新ダンサーの獲得と翌年からのアメリカ・ツアーなどを画策。そして、最初のアメリカ巡業(思ったほどの稼ぎとはならなかった……)の帰路、一行が向かったのは、もうひとつの中立国スペインだった。1916年5月のことである。これが、ディアギレフとバレエ・リュスの、長期にわたるスペイン滞在の始まりとなった。

 きっかけは、マドリード・王立劇場での公演オファーだったが、それはスペイン国王アルフォンソ13世[在位1886-1941]の希望でもあった。ディアギレフは、オーストリア=ハンガリーの戦争捕虜として拘束されていたニジンスキー(バレエ・リュス初期の花形ダンサー)が釈放された際、手を差し伸べてくれたアルフォンソに恩義を感じていたため、この話を喜んで受けた。この国王はまた、亡命ピアニストという立場にあったアルトゥール・ルービンシュタイン(ポーランド生まれのユダヤ人)にスペインのパスポートを発行し、演奏活動に支障が出ないよう便宜を図ったことでも知られる。芸術を心から愛し、才能ある芸術家を温かく庇護する人物だったのである。

 さて、スペインの首都マドリードにやってきたバレエ・リュス。王立劇場での公演演目は、《シエラザード》《ル・カルナヴァル》《レ・シルフィード》などである。夜10時開演という習慣に団員たちは面食らったが、それを除けば、どこかロシアに似て親近感のあるスペインでの日々は非常に快適だったようだ。バレエ・リュスの舞台監督だったS.グリゴリエフの手になる『ディアギレフ・バレエ年代記』によれば、「ディアギレフはスペインの美しさに有頂天になっていた」そうである。スペインの人々もまた、彼らを好意的に迎え入れた。

同年 8月、バレエ・リュスはバスクのサン・セバスティアンで新作を初演する。会場は、当時の王妃の名を冠したビクトリア・エウヘニア劇場。風光明媚なサン・セバスティアンは、スペイン王室お気に入りの避暑地だった。ここで8月21日に初演されたのが、《ラス・メニーナス》と題された短い作品である。タイトルが示す通り、ベラスケスの同名絵画にインスピレーションを受けて創作されたもので、舞台装置はイタリア人画家カルロ・ソクラテ、衣裳はカタルーニャ出身の画家ジョゼ・マリア・セールであった。ベラスケスの《ラス・メニーナス》に描かれている人物によって踊られたのは、《パヴァーヌ》―― フランスの作曲家、ガブリエル・フォーレが1887年に作曲した、オーケストラ(オリジナルはピアノ版)と合唱のための音楽である。振付を担当し、踊り手として出演もしたレオニード・マシーンは、この高貴でメランコリックなフォーレの音楽に、ベラスケスの《ラス・メニーナス》の世界にも呼応するスペイン黄金世紀の幻影を感じとった、かもしれない。

バレエ《ラス・メニーナス》を踊ったチェルヌィショーワの写真

 ちなみにパヴァーヌとは、16世紀のヨーロッパで広まった宮廷舞踊。その後、踊りはすたれたものの、音楽形式としては生き残った。パヴァーヌはスペイン起源とする説も根強く聞かれるが、ヨーロッパの流行がスペインに移入され「パバーナ」として親しまれるようになったという説が有力である。

 ともあれこの作品は、特に王家の人々に気に入られ、国王にいたっては、予備公演にまで足を運ぶという惚れ込みようであった。バレエ・リュスの作品群のなかではあまり重要性が置かれない小品だが、ディアギレフにとってはスペイン経験の最初の結実であり、カンパニーのレパートリーとして死ぬまで大事にしていたという。

 バスクでの公演が終わると、ディアギレフやマシーンなど10数名を除いたバレエ団の面々は、2度目のアメリカ巡業へ旅立った。しかし、アメリカでは団内で深刻な揉め事が起こり、散々な赤字という痛手も負ってしまい、ディアギレフ・バレエはその後二度とアメリカで公演することはなかったのだった。

 一方、「バレエ・リュスとスペイン」の関係は続き、数年後に名作が誕生することになる。その話はまた、次回に。



下山 静香 / Shizuka Shimoyama

桐朋学園大学卒。99年、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡西、マドリード、バルセロナほかで研鑽。NHK-BS、Eテレ、フランス国営ラジオなどに出演。海外アーティストとの共演多数。CD《ゴィエスカス》《ショパニアーナ》など10枚、共著は10冊以上を数える。翻訳書『サンティアゴ巡礼の歴史』。2015年より「下山静香とめぐるスペイン 音楽と美術の旅」ツアーシリーズを実施。桐朋学園大学、東京大学 非常勤講師。日本スペインピアノ音楽学会理事。

www.facebook.com/shizukapianista17
裸足のピアニスト・下山静香のブログ ameblo.jp/shizukamusica

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