2015年05月
Belén Maya 「Ensayo Flamenco (Carmen Linares)/ 2013年フランス公演」 ©PriscaB®
ベレン:一番覚えているのは、母がタブラオに出かける時、おやすみなさいを言いに行った時のキス、その時の母の美しさ、そして香水の香り。母は最高にエレガントで、美しい女性だった。彼女は夜のショーに出演するために出かけ、私は朝早くから学校があるから寝なければならなかった。だから日中に会うことも殆どなくて、私達は本当に少しの間しか一緒にいられなかった。でも、時折タブラオに母の踊りを見に行ったし、あと、そう、ロサンゼルスに1年間、一緒に行ったこともあったわ。母の楽屋に行ってドレスを見たり、他の女性ダンサー達に会ったりする時、すべてが別世界に思えた。女性達はとてもエネルギッシュで、母も家にいる時の母とアーティストの母とでは別人に見えたわ。
エミリオ:僕の場合、フラメンコギターの師と言えば後にも先にもただ1人、パコ・デ・ルシアだな。初めて彼のギターを聞いた時、その音が心に響いたね。僕は6歳の時からおじいさんの横で小さな椅子に座り、彼が弾くギターの真似をしていた。おじいさんが最初に僕に弦の調律を教えてくれたし、人生最初のギターを買ってくれた。その時から一度も、そのギターを手放したことはないよ。
カルメン:ところで、ステージに上がるたびに最高の評価を受けている2人に聞きたいのだけれど、フラメンコには、『ドゥエンデ』と言われる、魔法というか、何か不思議な現象があると言われるけれど、おそらく2人はかなりの確率でそれを感じているのではと思うけど、どう?
*しばし、2人は黙り込んだ。お互いに見つめあい、そして微笑みがこぼれた。まず、エミリオが口を開いた。
エミリオ:そうだね。僕もそういう瞬間を感じたことはあるよ。でも、それはめったにないな。僕には、ベレンがその『ドゥエンデ』そのものじゃないかと思うのだけど?
ベレン:フラメンコ歌手のマイテ・マルティンは『ドゥエンデ』は漫画やテレビに出てくる小人だって、言っているわ。それが本当かどうかわからないけど、私にとっては、基本的な毎日の作業で、自分が信じるものやなりたいもの、そして到達したい場所を目指して積み重ねていく こと、それが『ドゥエンデ』ではないかと思うの。私にみんなの言う『ドゥエンデ』は一度も現れたことはないわ。
エミリオ:『ドゥエンデ』は特別なもので、いつもじゃない。もし今やっていることを心の底から楽しんでいたら、『ドゥエンデ』と言われる魔法が現れる瞬間があるんだ。すごく良い気持ちになって、自分の中から思ってもいなかったものがあふれ出てくる。それこそが『ドゥエンデ』さ。それは本当に思いがけなく現れるんだ。だからこそ、とてもなものなのさ。
カルメン:では、フラメンコを職業にすることについてどう思う?
エミリオ:フラメンコを職業にするなら、常に沢山のフラメンコ音楽を聴き、学ぶことが必要だと思うね。
ベレン:フラメンコは簡単ではないわ。踊りの技術はとても難しいの。歌とギターの音を聴きフラメンコ独特のリズムを刻むこと、それはとても複雑な作業よ。だから、フラメンコを職業にするのは決して簡単なことではないわ。もちろん、フラメンコを学ぶことはできるけれど、それはプロになるということとは別だと思うの。フラメンコのプロフェッショナルはいつだって練習し、音楽を聴き、そしてスペインに何度も足を運ぶことが必要だと思う。これは日本のフラメンコのプロにとって、とても重要なことよ。
カルメン:真のフラメンコを理解するにはスペインに行かなければならないということ?
エミリオ:それが基本だね。
ベレン:そう、もちろんだわ。そこに行って、聴いて、そして住まなければだめよ。私がフラメンコを始めた時はマドリッドにいたけれど、翌年にはすでにセビージャに住んでいたわ。しばらくはセビージャとマドリッドを行き来していたけれど、いまやセビージャに住んでいる。さらに言えば、グラナダのフラメンコはセビージャのそれと同じじゃない。完全に別物なの。また、アンダルシアのそれぞれの地方のフラメンコもみな違うし、ましてやバルセロナとマドリッドの違いなんて、言うまでもないわ。
カルメン:フラメンコを理解したいと思う人はまず、どこに行くべき?
ベレン:もちろん、セビージャのビエナル(フラメンコフェスティバル)とへレスのフェスティバルね。この2つのフェスティバルはスペイン中から集まった有名アーティストや新人も参加する、最新のフラメンコショーが見られるし、フラメンコの新旧の型が見られるわ。最近では日本のグループもスペインの大きなフェスティバルに参加しているわよね。それから、歌を聴く為にペーニャ(愛好家クラブ)や、田舎の小さなフェスティバルに行くべきね。生のフラメンコの歌を聴くのは大切よ。それから、タブラオ。真に素晴らしいバイラオーラになりたいなら、歌を聴く術を知らなくては。だから、とにかくできるだけ沢山のタブラオに行く。そして、人々と共に過ごすこと。ペーニャや、街角、それからスペイン人の家でね。フラメンコの中で暮らすの。
エミリオ:フラメンコは独特で、ミステリアスなんだ。だから、フラメンコの拍子や技術を学び、上手に弾いたり踊ったりできたとしても、本場のフラメンコに触れなければ本当のフラメンコを体現することはできないよ。それにはスタジオを飛び出して、スペインに住まなければだめさ。
カルメン:2人はどんなフラメンコが好き?
ベレン:私はシギリージャ(神秘的で苦しみの曲種)。上手く踊れてより感情が出せると思うの。あとは、タンゴ(2拍子系の軽快な曲種)を踊るのが好き。この2つは全く対極にある曲だけれどね。
エミリオ:シギリージャは母なる踊りだよね。ソレア(フラメンコの最も古い形の曲種)と共に、フラメンコの真髄とでも言うか…ある歌詞にあるよね、—シギリージャを歌うと、喉に血が滲む— この踊りには心の奥底からの叫びが織り込まれているよね。より深い人の悲しみとか…。
カルメン:では、この数年のフラメンコに関してはどう思う?
ベレン:カルメン、それは沢山の人に聞かれるけど、特にフラメンコは純粋さを失って、衰えてきているのではないかと言われる。でも、はっきり言えるけれどフラメンコは観客を魅了し続けているし、世界中でフラメンコの教室が開かれ、新しい生徒も増えているわ。決して衰退なんかしてないと思うし、神様のご加護で常に仕事をする機会にも恵まれている。それに、いまやフラメンコは昔には考えられなかったくらい沢山の地域で知られ、門戸が開かれている。これにはイスラエル・ガルバンやロシオ・モリーナと言ったアーティストに感謝しなくちゃね。
エミリオ:そしてもう1人、ベレン・マジャ、ね。
*これについては私もエミリオと全く同感である。ベレンこそがその代表であろう。スペインの長い独裁政権の後、民衆が焦がれた自由を歌や踊りで表現したその2人の偉大なフラメンコ革命者の娘がベレンなのだ。そんなすごい人がいるだろうか?でもベレンは極度に控えめで慎み深い女性で、それを語ることはない。
Belén Maya「 Tr3s / 2011年フランス公演」 ©Jean Louis Duzert