特集

ESPECIAL

acueducto 17 特集「友好の道~和歌山県・ガリシア州交流の記録~」

PDF記事

PDF掲載誌

友好の道~和歌山県・ガリシア州交流の記録~ EL CAMINO DE LA AMISTAD


ガリシア文化都市からサンティアゴ巡礼の道、サンティアゴ・デ・コンポステーラ市内へ

 サンティアゴ市郊外にあるガリシア文化都市。アメリカの著名な建築家ピーター・アイゼンマンが設計した、超近代的なデザインの総合文化施設で、斬新な中にも花崗岩などを各所に使った「ガリシアの特徴と伝統を生かした文化都市」を造り出している。デザインの美しさに感動しながらも、この広大な敷地と建物の機能について考えさせられた。

 その後、サンティアゴの道へ。昨年6月に皇太子殿下が歩かれた道と同じ道を歩くことが出来た。天気にも恵まれ、鳥のさえずりが聞こえるのもすがすがしかった。

 サンティアゴの道とは聖ヤコブの亡骸があるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を終着点とする巡礼の道で、多くのルートが存在する。徒歩に限らず、馬や自転車などの乗り物での巡礼もでき、道路沿いの看板がそのことをよく示している。道中の看板や道端の道しるべには、シンボルであるホタテガイや黄色の矢印が刻まれているだけでなく、道端の石や道路上など随所にも黄色の矢印があり、その細やかさに驚いた。

 その後、少し足を延ばして歓喜の丘を見学。ここは、巡礼の道の中で初めて目的地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂が見える場所。長い長い巡礼の道を乗り越えて、壮大・荘厳な大聖堂が見えた瞬間の喜びが想像できる。現在この丘には、当時の巡礼者のモニュメントが立っているのだが、その他に思いがけなくスペイン・日本交流400周年記念の碑もあり、私たちに驚きと喜びをもたらしてくれた。ふたつの意味で歓喜できた丘だった。

 昼食後、サンティアゴ旧市街地を訪れた。石畳の続く小径を歩いていると、まるで中世ヨーロッパかローマ時代にタイムスリップしたような気分になる。また、築300年、400年の建物が、アパートや洋服屋、カフェなど今でも変わらず生活の一部として使われていることにも驚いた。広場にあるカフェのテラス席では、太陽の日差しを浴びながら、ワインを片手に友人との会話を楽しむ人々が多く見られ、日本よりもゆったりした時間の流れを感じた。

 旧市街の見学を終え、いよいよ大聖堂に近づくにつれその大きさと迫力に圧倒された。建物の細部まで手の込んだアートワーク、きらびやかな内装。巨大なオルガンパイプ。費用と労力がかかっていることは一目で分かる。

 中世ヨーロッパでは、教会と学校が同じ敷地内に置かれていたそうだ。それで現在も、スペイントップクラスの大学が同じ広場にある(つまりカテドラルから独立した)。日本では人口9万人の小さな町に総合大学などありえない。

 ミサの時間ではなかったからか、思ったより参詣者はまばらだったが、1000年以上前から多くの巡礼者が目指して来た大聖堂。日本で見慣れた神社や寺院にはない非常に興味深いものがあった。ミサが行われる大ホールの両端に黒いカーテンに覆われた告解室があった。

 この日最後に訪れたサン・マルティン・ピナリオ修道院は、サンティアゴ市内では大聖堂に続いて2番目に大きい宗教建築。見事なファサードが印象的だった。

 

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。残念ながら一部が修復工事中であったが、荘厳な佇まいだ。

VOLVER

PAGE TOP